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1988年6月20日ー島流しー

むかし、刑罰の一つに「島流し」というのがあった。

「遠島(えんとう)」「流刑(りゅうけい)」ともいう。

交通が不便だったころだから、「島流し」は死罪(死刑のこと)に次ぐ、重い刑だった。

といっても、そんなに遠くない。

源八郎為朝(みなもとはちろうためとも)が流されたのは伊豆の大島。

後醍醐天皇は隠岐(いき)・対馬(島根県の沖)。

その中でも有名なのは鬼界が島(きかいがしま)だ。

平家を倒そうとして、辛抱が発覚、犯人の1人の僧俊寛(しゅんかん)が流されたのは安元三年(1177年)

6月20日のこと。近くを通る船に「待ってくれ」と叫びながら、2年後にやせおとろえて死んだ。

これも鹿児島の南の端から30キロしか離れていない。

ただし今の名前は硫黄島。前の戦争で日本軍が玉砕した硫黄島とは違う。

1988年6月19日ー父の日ー

きょうは「父の日」である。

6月の第3日曜日。

1910年に、アメリカ・ワシントン州のブルースという夫人が言い出して始まった。

父の労苦と慈愛にこたえ、感謝をささげて「贈り物」をする日だということは知っているね!

英語でファーザー、ドイツ語でファーター。

よく似ているのが面白い。どちらも、牧師のことを指す。

エライ人ということなんだ。

漢字の「父」も同じような意味がある。


最初は、こんな形をしていた。

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何に見える。

石の斧を手に持って、たたいているところだ。

仂くことを表している。

また、むかしは、斧が権威の印だったという説がある。だから父の字がオノに使われている。



1988年6月18日ー火の玉ー

「火の玉」。

「人魂」ともいう。

墓場や、人が死んだとき、ゆらゆらと、火のような青白い玉が、尾をひいて飛ぶといわれる。

だから、むかしの人々は、魂が死体から抜け出て、天国に行くんだと信じていた。

その後、くさった死体から流れ出したリンだといわれたものだ。

今は、雷と同じような、放電現象の一つというのが定説になっている。(前に書いたね)

ところが、最近になって、人の死と関係があるという説がでてきたらしいよ。

ある大学の先生が、人が死んだとき「火の玉」をみたという報告が余りにも多いので、研究した結果、

放電現象が死にかけた人の弱った心臓を刺激して、止めてしまうのだという。

近く学会にも報告される。

本当かな。


1988年6月17日ー朝シャン禁止ー

お父様は、戦争前の日本と、戦争後の日本とを知っている。

最近、ふと、日本が、戦争前に戻ったような錯覚(さっかく)をおぼえるときがある。

特に学校をみていると、そう思う。

昭和14年6月16日(お父様が小学校6年のとき)、戦争に備えて生活刷新案というのが出た。

そのなかには、男子学生の長髪禁止、女性のパーマネントや派手は化粧の禁止なども入っている。

つまり「ぜいたくは敵」というわけ。「パーマネントはやめましょう」という歌もはやった。

そして、現在。学校の校則をみると、まるでむかしの刷新案のようだ。

ついに「朝シャン」を禁止する学校もでてきたらしい。校門で検査して、朝シャンをしていると、手洗い場に並ばせ、水洗い場で洗いなおさせるのだそうだ。○○中はどうなの。先生たちもマメだね。


2010年6月17日

私が通っていた中学は、朝シャン禁止などという校則はなかった。

パーマは禁止だったが。私はクセ毛をいいことに、ホットカーラーで巻いて

巻き髪で登校していた。

「僕らの七日間戦争」という映画が上映されたこともあり、先生が暴力を振るうと

「教育委員会に訴えるぞ!」と生徒はいったものだ。でも、実際に訴える生徒

はいないし、そんな言葉を真に受ける先生もいなかった。

悪い生徒は殴られるし、親に泣きつく生徒もいなかったと思う。

昔の先生は強かった。だから、生徒も多少は逆らうが、結局は従ったように思う。

私は、隣の友達と授業中話していただけで、頭を授業で使用していた石で殴られたことも

あった。でも、自分が悪かったと思ったものだが、今は事情が違うようだ。

息子が中学生になるころは、どうなっているのだろうか?

1988年6月16日ー明治三陸自身・津波ー

東北地方の寺などに行くと、次のように書き込まれた(彫られた)墓が、よく目につく。

「明治29年6月15日没」

この日、三陸地方を襲った津波で死んだ人たちだ。

「三陸」-よく天気予報で「低気圧が三陸沖を通過」などという。

青森から宮城県の仙台近くまで海岸のことを三陸海岸と呼ぶ。

むかし、陸奥(むつ)、陸中(りくちゅう)、陸前(りくぜん)の3つの国が、この海岸沿いにあったからだ。

地震の名所でもある。だから津波もよくおこる。

このときは、高さ24メートルの波が村や町を飲み込み、2万7千人が死んだ。

昭和8年3月3日にも、すごい津波があった。

このときの波の高さは35メートル。死者は3千。

35年5月にはチリの地震でおきた津波が三陸までやってきたこともある。


1988年6月15日ーV1号ー

黒い巨大な物体が赤い火を引いて、闇夜の空を飛んでくる。

間もなく、すさまじい爆発音。

第2次世界大戦中、ロンドンの人たちを恐怖におとしわれ、毎日、眠れぬ夜を送らせた「V1号」だ。

ドイツ軍が、ドーバー海峡のかなたから、第一号を発射したのが1944年(昭和19年)の6月15日だった。

「V」は「VERGELTUNG」の略。

「復習」という意味だ。

さらに大きい「V2号」もつくったが、ついに復習はできず、翌年降伏した。

しかし、これが、いまのロケットを生む。

そして、イギリスではなく、宇宙にも。

初の米ソの人工衛星が空をすれ違った時、マンガ家は二つの衛星が、こうあいさつしたと書いた。

「グーデン・ナハト」。ドイツ語で「今晩は」。どちらも捕虜になったドイツ人が設計したものだった。

1988年6月14日ー100メートル走ー

運動会が近付いたね。

中学、高校時代は、勉強だけでなく、スポーツにも力を入れてほしい。

この年ごろに作られた体力は一生、役に立つ。

太ることなど気にしなくてもいいんだよ。女は年頃になると、やせるんだから。

お父様は、中学校時代、戦争するための訓練ばかりしていた。

40キロ近いカバンを背負い鉄砲をかつぎ、35度もする道を40キロも歩かされた。

その体力が、どうにか残っているので、いまでも、まあまあ、やっていけるのだ。


ところで、昭和39年6月14日、飯島という選手が100メートルで10秒1を出した。昭和10年に吉岡選手が

10秒3を出して以来、29年ぶりの記録更新だ。

100メートルは0.1秒の差をかける競技といわれる。試験も1点差が何十番という差になる。




1988年6月13日ー大統領戦の3S-

アメリカでは、いま、大統領選挙たけなわ候補者たちは「3S」に忙しい。

「3S」とは、「スマイル(SMILE)シェークハンド(SHAKEHAND握手)サイン(SIGN)にこと。頭の三つのSをとって、こういわれる。

この「3S」をふりまいて、選挙民のご機嫌を、とっているのだ。

ところで、国際会議では、日本の代表国も「3S」で有名だ。

この「3S」は、「スリープ(SLEEP)スマイル(SMILE)サイレンス(SILENCE沈黙)」のこと。

英語が得意でないから、つい眠ったふりをし、話しかけても、笑うだけで、ときには、ダンマリを決め込む。

これに「サンタクロース」を加え「4S」になることもある。おみやげだけは、やたらばらまくからだ。

1988年6月12日ー殺人バチー

殺人バチが、いま、アメリカ大陸の人たちを恐怖に、おとし入れている。

ハチの名前は「キラービー」。

「キラー」は「殺し屋」。「ビー」はミツバチのことだ。

南米の方から北上、いま、その大群は、メキシコの南部に達したといわれる。

すでに、刺されて死んだ人は数百人にのぼり、家畜などの動物も、数千頭が犠牲になっているらしい。

専門家の話では、来年には、米国のテキサス州の国境を超えるだろうといわれる。

このキラービーは、アフリカ・ミツバチとヨーロッパ・ミツバチの混血。ヨーロッパ・ミツバチは、おとなしいけど、アフリカの方は乱暴ものだ。

1957年に、ブラジルの検疫所から、植物についていたアフリカ・ミツバチが逃げ出し、それ以来、増え続けている。検疫も、いかに大事かがわかる。

1988年6月11日ー「カメハメハ・デー」ー

ハワイには、むかし、こんな、おもしろい名前の王様のいたことは、

NHKの朝の「みんなのうた」で知っているだろう。

「カメハメハ大王」

ハワイでは、11日が「カメハメハ・デー」

ホノルルでは、パレードが行われる。

キャプテン・クックが、ハワイ諸島を発見したのは1778年のこと。

ハワイには、すでに、ポリネシア系の人々(オーストラリアに近い太平洋の島々の人)が移住、そのころ、

4つの王国が争っていた。クックも、この戦いに、巻き込まれて死んだという。

そして、1810年のこの日、カメハメハ大王が、ハワイを統一したんだ。

アメリカ領になったのは1900年。それまでに、一度は、アメリカの横暴に困って、ハワイの王様(カメハメハではない)が、日本の領土にしてくれといってきたこともある。日本の領土になっていたら、歴史もずいぶんかわっていたろう。