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1989年3月3日ー刷り込み理論ー

きょうは「ひなまつり」。

それなのに、テストとは。

こうした“非情”も、これから、大人になるに

従っていくらでもある。


先月末、オーストリアのノーベル賞学者

コンラート・ローレンツが死んだ。動物行動学の

権威で、「刷り込み理論」の発見者。


この理論は、鳥のひなが、誕生後、初めて

目にしたものが、常にそばにあると、その印象が

強く脳細胞に「刷り込まれ」、たとえばそれが

人間なら、そのひなは、それを本当に母鳥と

思い込んでしまうことをいう。


だから、もし、必要な時期に、必要で正しいものが

与えられ、それを学んでおかないと間違った

ことが「刷り込まれ」、順調に成長しないことになる。

○○○ちゃんにとっては、いまの勉強がそうだ。

学生時代に知識を十分に「刷り込ん」でおかないと、

あとで困るよ。

1989年3月2日ー吉野ヶ里遺跡で墳丘発見ー

邪馬台国、ひいては日本の起源をさぐる手掛かりと

なる大きな墓が、また発見された。

佐賀県の「吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」。

墳丘(ふんきゅう)と呼ばれる山のようなこの墓は、

よほど強大な力を持った者しか作らないほど巨大

(当時からみれば)なものだそうだ。

だから、ここに、だれかを頭(かしら)にした

「クニ(国)」があったに違いないという。


小学校の時、「卑弥呼」を研究した○○○ちゃんの

ことだから、そのころのことはくわしいね。

○○○ちゃんは「邪馬台国は九州」と信じている

ようだが、これで、ますます、九州説の方が

有力になってきた。

そして大和説の方は、一段と不利になった。

でも、この論争の終着はこれからだ。

いま日本中で、古い時代の遺跡がでてきている。

なかには大和説が有利なものもあるからだ。


2011年3月2日

20年以上たっても、いまだに邪馬台国の大和説、九州説の

論争の決着はついていない。

1989年3月1日ービデオの語源ー

「ビデオ」が新しくなった。

前の「ビデオ」を買った58年ごろとくらべると、

価格も重量も半分。その進歩には驚く。

ところで、この「ビデオ」は、正確には、

「ビデオ・テープ・レコーダー(VTR)」という。

「ビデオ(VIDEO)」はラテン語で、

「I SEE(私はみる)」という意味。

アメリカでは「テレビジョン」のことを指す。

形容詞にもなって「テレビの」と訳す。

だから「テレビのテープレコーダー」が正式名だ。

こんな言葉も覚えておいた方がいい。

「VIDE」

「何々を参照」というときに使う。

略して「 V. 」または「 Vid. 」

「V. P30」と書くと「30頁参照」ということになる。



2011年3月1日

父は家電が好きだった。

そのため、私もいち早くいろいろな

最新機器と出会えるチャンスがあった。

ビデオは、当時かなり高価だった。

ビデオテープも同じく。

大好きな映画のビデオテープが高すぎて、

(確か15000円以上はした)

おこずかいではとても買えないと嘆いたものだ。

幻魔大戦 」も欲しいビデオの一つで、親に頼みこんだが

買ってもらえず、テレビで放映された時は、

涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。

六本木のスタジオフォーラムがあるビルの1階に

レンタルビデオ屋があったが、レンタル料が、

1日1000円だった。

今では、信じられない価格。

でも、あのビル(インペリアル六本木だったかな?)は

よく店がかわる。風水的によくないのかな。



1989年2月28日ー戦後、強くなったものは女と靴下ー

30年ほど前まで、よくこういわれたものだ。


「戦後、強くなったものは女と靴下」


靴下は、それまで、綿か絹で作られていたが、

戦後はナイロンの発明で、なかなか、破れなくなったからだ。


女は、わかるね。

38年にエジプトに行ったときも、向こうの男の人が、

これと同じことを言って、ウィンクしていせた。

女は、顔も出して歩けないほどだったイスラム教の

世界でもこうだった。


だが、戦前は女には、日本では選挙権もなかった。

昭和6年には、婦人も選挙できる法案が衆議院は

通ったのに、2月28日に貴族院で否決、

ついにこの法律は戦後までお預けとなった。

貴族院は今の参議院みたいなものだが、

議員には皇族や貴族、大金持ちしかなれなかった。

そんな時代が昭和にもあった。


2011年2月28日

参議院、今の時代、存在意味が不明だ。

大体、二院制である必要性を感じない。

二院制である限り、

ねじれ国会になることは、悪いことではない。

ようするに、どっちもどっちだから

国会がねじれる。


1989年2月27日ー二・二六事件と雪

きのは「2月26日」。

いつまでも歴史に残る、昭和の象徴的な日だ。

もちろん、お父様の誕生日だからというだけではない。

あの「二・二六事件」によってである。

この事件のことは、もうよく知っているだろう。

いまの防衛庁のところにあった陸軍の麻布三連隊などが

反乱を起こし、大臣や将軍を殺害した。


でも、お父様にとっては「雪」の連想の方が強い。

大阪でも、この日雪が降り、その中を弟の小学校の

入学試験についていったことを覚えているからだ。

この日だけではなく、例年2月は東京でも必ず雪が降る。

けれども、今年は雨。

ついに雪に変わらなかった。

やはり暖冬なんだね。

北海道でも流氷がまだ接岸しないそうだ。



2011年2月27日

父は生きていれば84歳。

ずいぶん年をとってからの子供だった私は、

厳しかったけれども、やっぱり甘やかされて

育ったのだと、今になって思う。

もう少し、いろいろ話しておけばよかったと思う。

後悔先に立たず。


学生時代は、よく語学研修で海外にいったものだ。

最初は、家に連絡をいれていたものの、

だんだんと連絡を入れるのが面倒になり、

全く連絡しなくなったとき、父から学校に電話が入ったのを

よく覚えている。学校に先生にも、ちゃんと連絡しなきゃ

ダメでしょと怒られ、最悪と思ったものだが、

親になって、はじめて親の心配が分かる。


クライストチャーチの大地震で

被害に遭われた方のご冥府をお祈りいたします。


1989年2月26日ー深夜の思い出ー

きのは、がんばっていたね。

夜、人の寝静まった時に勉強する心地よさというものが、

わかってきたろう。

それに、少し、大人になったような気もする。

自分だけが、だれにも支配されない独自の時間を

生きているんだという感じかな。

むかしは、深夜放送などなかったから、一層孤独を

楽しみ味わった。


忘れられない思い出もある。

高校の受験のため徹夜の勉強しているときだった。

昭和18年ごろかな。

寝静まった街のどこからか、若い男の歌う声が聞こえた。

「湖畔の宿」 という、その当時、高峰三枝子が歌って

ヒットした物悲しい歌謡曲だ。

窓から見ると歌っているのは、隣の問屋さんの

住みこみの若い店員さん。

翌日、彼は召集され戦地に行った。

真夜中、街に別れをつげていたのだ。

1989年2月25日ー天皇制の是非ー

「大喪の礼」で「昭和」は形のうえではすべておわった。

けれども、未解決の問題は、たくさん残っている。

もっともおおきいのは、なんといっても、このことだと思う。


「天皇制」


かつては、世界中の国々が「君主制」だった。

特定の一家の長が強大な権力をにぎり、その子孫が、

その国を支配する制度のことをいう。

しかし、余りにも力が強すぎ、民衆を圧迫したため、

憲法で君主の権力の一部を制限するようになった。

これを「立憲君主制」と呼ぶ。

戦前までは日本も立憲君主制だった。

ところが軍部が逆にこれを利用、

天皇の名で好きなことをしてきた。


いまは象徴天皇制。

だがまだこれを利用しようとしている連中がいる。

「天皇制」の是非が、今後も問われるだろう。

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しあわせまねくアヒル堂では、早速チャレンジ宣言を!

子育て中で、時間がないけど、
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しあわせまねくアヒル堂で春のチャレンジを宣言!
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1989年2月24日ー昭和天皇の「大喪の礼」-

きょうは、昭和天皇の「大喪の礼(たいそうのれい)」。

「大喪」とは、天皇が先代の天皇や皇太后らの死に対して

「喪」に服することをいう。


天皇らの葬式のことを「大葬」というが、いまでは、どうも

「大喪」という言葉で代えているらしい。


実は、お父様も「たいそう」は「大葬」と書くんだと思っていた。

そして「大喪」を「たいも」と読んでいた。

皇室というものは、わざわざ、むづかしい文字を使うものだ。


しかし、いわれてみると「喪」は「そう」と読み、

普通によく使われている。


「喪失」は「失うこと」

「喪心」は「気を失うこと」、これはまた「喪神」とも書く。


また、この字は、よく書き違える。

下の方は、「衣」ではなく、「長」「辰」と同じだ。

字もどこか「喪失」している。

1989年2月23日ー男子の「家庭科」必須科目化ー

きのうの夕食は、なかなか、うまくつくったね。

ちょっとは、家庭科も、役に立っているのかな。

それとも、女性だからか、あるいは、才能があるのかー。

しかし、この「女性だから」という考え方は、少なくとも

学校では許されなくなる。

日本では、いま、家庭科は小学校では男女一緒に

勉強しているけれど、中学になると技術と家庭科に

わかれ、高校では女子は必修だが男子は選択になる。

ところが、これは、男女は同じ教育課程を学ばなければ

ならないと決めている「女子差別撤廃条約」に違反する。

このため中学は来年から男子も「家庭」をやり、

高校も69年(※)から男子も家庭科から1科目を

選択することになった。

ただし、そのころは○○○ちゃんは高校を卒業しているね。


※昭和69年のことだと思われる。

  しかし、もうすでに平成になっていたので、

  今までのくせで、69年と書いてしまったのだろう。