三国志のお話し -9ページ目

幸田露伴 『太公望・王羲之』-太公望

高島先生が、以前何かの著書で幸田露伴の『太公望・王羲之』が非常に面白いと太鼓判を

押しておられたので、さっそく手配して読んでみた。


これが非常に面白い、特に-太公望-の随筆が絶品だった。

全てはご紹介できないので、さわりだけご紹介しますね。



蛭子

露伴は、太公望に触れる前に、同じ釣きちにちなんで、日本のえびす樣のことを
前置きとして話している。


これがなかなか面白い内容で、とても前座でちょいと語るような、ちんけな物では無いので
大筋をご紹介します。


最初に、えびす樣と関係ありそうな名を連ねて、それぞれについて考察を加えている。
・釣鉤の賃借で物言いの起こった火闌降命や彦火々出見命
・出雲の國の美保で鱸釣をして遊ばれた八重事代主命
・二尊の第三子、蛭子尊
・源平盛衰記・太平記あたりから顔をだしておられる、えびす三郎

火闌降命や彦火々出見命、蛭子尊、えびす三郎らについては、上記のように適当にあしらった上で、
今一般に見られるえびす樣について述べられている。

 えびす樣の抱へてゐられる鯛は赤い鯛だつたらうか、黒い鯛だつたらうか。
 黒鯛なら竿で釣れる場合が多い、眞鯛なら竿では釣れぬ場合が多い。
 竿を持つて居らぬ戎子樣に御目にかかつたことは無いから、あの鯛は多分赤い鯛では無いらしい。
 が、黒鯛をかゝへてござる戎子樣といふものも彩色畫には見受けぬから、
 あの竿は馬鹿畫工の猿てんごうのおまけでござるか。

今日の赤鯛は何の拠所も無く、竿で釣る事自体が馬鹿げてるようなことであり、単なる絵描きの
好き好きで生まれたものなら、何の有難味も無いということを言いたいらしい。


黒鯛ならまだしも話しはわかるとして、黒鯛説を挙げている。

 戎子樣の鯛は黒鯛だつたことにしてゐる人も有るから餘計なことを云つたので、食鑑十二巻を
 著はした野必大は黒鯛としてゐる。
 但し其據るところは知らぬ、

しかし、これも拠所が無く露伴としては面白くないようだ。


最後に八重事代主命について詳しく述べている(長いので飛び飛びに引用します)。

 えびす樣の御紋といふものは何時頃から定まつたのか知らないが「みづがしは」となつてゐる。
 …
 その三柏の御紋が、出雲の美保神社の何にも彼にも見える。
 …
 美保は即ち八重事代主命の釣して遊ばれた地で、
 …
 美なる鱸を命が釣られた…
 …
 美保の神樣、事代主命、みづがしは、えびす樣という連鎖比例の問題のやうな理から、えびす樣は
 八重事代主命樣で、赤い鯛は鱸といふことになつてしまふ。
 ハヽヽヽ。

いくらかでも論拠のある八重事代主命をおしてるようですね。


露伴は、日本の釣の神様でさえ、こんぐらがって何がなんだかわからないとしながら、

鉤無しで魚は釣れるけれども、まさか綸無しで魚を釣るやうに、とぼけた談も出来ない。

としめて、太公望の話しへとつなげている。


こういう論調で、太公望のことについても論拠の無いものはやっつけて、拠所のある説を枚挙し
自説を述べている、非常に面白い内容の随筆でした。


関聖帝君


関聖帝君


関羽さんの緑の直垂に、左右に関平と周倉を侍らした姿が凛々しいですね。
有名な三人の神様ですが、典拠はどこから来てるんでしょうか。

『三国演義』には次のようにあります。


只空中に一人を見る、赤兔馬に騎り、青龍刀を提げる。
左に一白面の將軍有り、右に一黑臉に虯髯之人有り相隨う。
一齊の按落雲頭、玉泉山の頂きに至る。
普靜
是を關公と認め得る。

『三国志演義』 第七十七回 玉泉山に關公聖を顯し 洛陽城に曹操神に感ず


忽ち門外に一人、面は重棗の如く、丹鳳の眼、臥蠶の眉、三縷の美髯を飄し、綠の袍に金の鎧、
劍を按え而入る。
璋(潘璋)是を見る關公の聖を顯す。

『三国志演義』 第八十三回 猇亭に戰て先主讎人を得る 江口を守て書生大將を拜す


こんな感じのところが典拠になるんですかね。


威厳という意味では、演義の關羽の右に出る者は、そういないですよね。
トレード・マークの髯は、ここでは〝三縷の美髯〟と形容してますね。
あご・ほおの計三筋の美しいお髯であったということになるんでしょうか。
〝髯〟の字義からかんがみると、頬ヒゲの方に強調性がみられるように感じられます。


【縷】ル(漢音)
いとのように細長くつらなるさま。

『学研漢和大辞典』

孔明の嫁選び

諸葛亮さんは、勤勉・質素・倹約に勤め、私財を蓄えるようなことはしなかったとあります。
諸葛亮の劉禅への上表文に
 「成都には桑八百株、やせ田が十五頃、必要な衣食は支給品のみです。
 財産を作って、利益を得たいと思うことはありません」
とあり、諸葛亮の死後に確認したところ本当にそのようだったとあります。


孔明さんは仕事以外に興味が無いかのようですが、嫁さん選びに関する面白いお話も
伝わっております。

『蜀書』諸葛亮傳の註に引く『襄陽記』にこうあります。

 沔南の黄承彦は、諸葛亮にこう薦めた「君が嫁を探していると聞いたが、私に醜娘がいる。
 赤毛で色黒だが、才知の方は、君とお似合いだ」
 諸葛亮が承知したので、すぐさま娘を車に乗せて送り届けた。

この話しは、当時の人の笑い話の種となり、郷里では、
『孔明の嫁選びを真似るな、承彦の醜娘をもらうはめになる』
という諺にもなったほどだそうです。


この小話は、孔明さんの質を求めて、見てくれを気にしないという性格を、よくあらわしてますね。