三国志のお話し -11ページ目
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中元、盂蘭盆

お中元、お盆、これらの行事の語意について、ちょっと考察してみたいと思います。


【三元】
道教の経典に「正月十五日を上元とする。七月の望を中元とする。十月の望を下元とする。
昏方から翌朝まで太乙を祠る。今の人がこの日、燈を観ずるのはこの故である。」とある。

【盂蘭盆】
『翻訳名義集』に、「盂蘭盆は西域の語で、倒懸という意味である。盆は食べ物を貯る器で、
これに百味をならべ、それを三尊にたてまつり、大衆の恩光を仰ぎ、倒懸の窘急を救うのである」とある。
『盂蘭盆経』に、「目連の母は死んで餓鬼の中に生まれた。仏が目連に次のようにいった。
これを救うには十方の衆僧の力を借りなければならない、七月十五日になれば、いろいろな違った
味の五種の果を用意し、これを盆に入れて十方の大徳に供養せよ 云々」とある。


***『倭漢三才図会』から引用***


日本では上・中・下元のうち中元だけが入ってきた。


六盆・燈籠・京都の大文火・盂盆斎の蓮飯

これらは、みな【元】【盂蘭盆】に基づいた行事である。


日本で言う所のお盆のお供えは、目連の古事から来てるっぽいですね。
親しい間の人に贈り物をして、その無事を確かめるといった感じでしょうか。


蓮飯を亡くなった父母の霊前に供えるのは、目連の古事そのものですね。


なお盂蘭盆の字義については、詮索しても意味がない。
これは梵語の当て字と考えて問題無いんじゃないでしょうか。

倭国、日本国考

■邪馬壹國への行程について
邪馬壹國への行程については、魏書 東夷伝の倭人の項に微妙に詳しく載ってますよね。

{末盧国に至る。云々…
東南陸行五百里にして、伊都国に到る。云々…
女王の都する所、水行十日陸行一月。}

というやつです。

疑問なのは、何故、里数と日数をごちゃ混ぜにして説明してるか?という点ですね。
諸説あるようですが、個人的には、同じく魏書の倭人の項で
倭の地の入り口にあたる末盧国の地勢について、次のような記載があります。

{草木茂盛し、行くに前人を見ず。}
倭の地に入ると、草木が茂っていて、歩いていると前の人が見えないということらしいです。
なので水行十日に対し、陸行一月と、陸行の方が異常に時間がかかっているし、
入り口にして、この有様ですから、もっとヒドイ場所については里数なんか分かりゃしない。
ということで、場所によっては日数であらわしたのだと思います。
大方、里数表記についても、間違いが多々あるのではと思っとります。

なので、私の所感では、行程に関する記載は無視です(笑)。

■倭国、日本国の大きさ
隋書 東夷伝 倭国の項には、次のようにあります。

{夷人は里数を知らず、ただ計るに日を以ってす。
その国境は東西五月行、南北三月行にして、各々海に至る。
その地勢は東高くして西下り、邪靡堆に都す。
則ち魏志のいわゆる邪馬臺なる者なり。}
ほぼ四角っぽい形の島国で、東方に山が連なり、西方は下って浜辺が多いといった感じでしょうか。
形的には、四国っぽい感じもしますが、地勢的には、九州っぽいですね。

旧唐書 東夷伝 倭国日本の条には次のようにあります。

{その国の界、東西南北各々数千里あり、西界南界は咸な大海に至り、東界北界は大山ありて限りを
なし、山外は即ち毛人の国なりと。}
ここら辺から、日本国が出てまいります。
私の見解としては、ここでの記述は、四国、本州を含めた土地を日本とし、北は日本海、東は畿内
あたりまで、南は四国太平洋岸、西は本州の西端までを〝東西南北各々数千里〟と言ってるのしょう。
畿内から東北の方の奥州にかけては、延々と山々が重なり続く、地の果てみたいな感じで書かれてる
のだと思います。

隋書では、国境は東西五月行、南北三月行にして、各々海に至る。}とあり、
旧唐書では、国の界、東西南北各々数千里あり、西界南界は咸な大海に至り、東界北界は大山
ありて限りをなし、}
となっています。
隋書で倭の地の説明-->四角っぽい、四面海に囲まれた島国を示し。
旧唐書で日本国の地の説明-->畿内あたりが地の果てで、その先(東北方面)は無限の山々が連なり
              先が知れないといった感じ。

■倭国、日本国の地理
隋書、東夷伝 倭国

{阿蘇山あり。その石、故なくして火起こり天に接する者、俗以って異となし、因って禱祭を行う。}
九州の阿蘇山でいいと思います、〝禱祭を行う〟ってあたりが卑弥呼っぽい記述ですよね。

元史 外夷伝 日本

{日本国たるは中土を去ること殊に遠く、また大海を隔つ。}
私の見解は、中土=旧倭国、大海=九州と本州の海峡。

倭国の説明を、阿蘇山を以ってしてるのは注目していいと思います。
畿内まで行ったのであれば、もっと他に特筆すべき名山とかがあったのではと思います。
隋書で言うがごとく、四面海に囲まれてたという記述が本州のことを指すなら、富士山あたりを
必ず書くんじゃないかと思うしだいです。

■倭国、日本国の環境
おなじみ、魏書 東夷伝 倭人の項には

{倭の地温暖にして、冬夏に生菜を食す。
皆徒跣。}
後漢書 東夷伝 倭の項には

{土気温煗にして、冬夏に菜茹を生ず。}
とあり、また、隋書、東夷伝 倭国の項には

{気候温暖にして、草木は冬も青く、土地は膏腴にして、水多く陸少なし。}
一方、宋史 外国伝 日本国の項では

{四時の寒暑は、大いに中国に類す。}
倭国、日本国の説明で、気象条件が明確に変わってますね。

倭国の説明-->四季温暖
日本国の説明-->四季の寒暑、中国に類す。

以上のことを要約しますと、次のよう
【倭国】
①四季温暖、生菜を食す
②四面海に面す
③阿蘇山あり

【日本国】
①四季の寒暑、大いに中国と類す。
②西南方面は海に面し、東北方面は山々が延々と連なる
③中土から非常に遠く、大海を経だつ

私の所感としては、80%くらいの確立で、倭国=九州、日本国=畿内という感じです。
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