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大井神社大祭総合研究所

島田大祭? 帯祭? おヽいさんの祭ってなんだろう?
このブログは 『永く万人に愛され続ける大井神社大祭』を
目指して、知らない事を教え合う架空の研究所です。
ただ今、大祭に対する質問も受け付けております!(*´∀`*)

先日拝見した勉強会 祭りシンポジウム~掛川の祭りを機会に「遠州祭研究会」へ入会させていただきました。

↓ 遠州祭研究会が掛川市連雀のミライフ掛川に設置した交流会場

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祭り中に全国から研究家達が集います。

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大井神社大祭の七街の皆様も来場いただきました。


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祭りについて研究家の先生からお話を聴いたり名刺を交換したりして情報を得ていたようです。

自分たちの祭りは、他の祭りを見て比較すると、改めて良いところ悪いところが自覚できるようです。

もちろん、いつもの仲間と祭りの運営について語り合うのも大切ですが、外に目を向けてみるのも勉強になりそうですね。


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昨日9/29 遠州祭研究会主催の「祭りシンポジウム~掛川の祭り」へ行ってきました。

名古屋大学大学院文学研究科助教の谷部 真吾先生の公演の後、氏をコーディネーターとしてパネルディスカッション。パネリストは‥

松井 康行氏 (豊栄寿多代表)
岡田 力氏 (元高校生の祭参加を考える会代表)
香川 尚斗氏 (平成24年掛川大祭典年番長)
名倉 眞一郎氏(掛塚まつり本部資料調査部長・元掛川西高校長)

内容は‥

自分達がやっている祭りとはどんなものなのか
人材、資本が先細りの今、いかに維持をして、いかに後世へ祭りを継いでいくのか
高校生、女子の祭りへ参加のあり方。

テーマは主に遠州の祭り、掛川の祭りでしたが問題とされるのはどこの祭りでも共通なものがある気がします。
掛川市長も視聴にきて(^^)積極的に質問を投げかけていました。


皆で集い
皆で学び
皆で知恵を出し合う

彼らのこういう謙虚な姿勢には尊敬の念を禁じ得ませんね。
シンポジウムのあとは反省会?懇親会?ビール
私も宴の末席を汚してきました。
参加された方は10人あまり。
皆様熱く、知識が深く意識の高い人ばかり。
いやー、図々しくも美味しいお酒を頂いてきましたニコニコ


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↑大井川の上流から下ってきた木材(イメージです)


江戸へ出荷するため 島田市から焼津漁港(小川地区)までを運河で結んだ紀伊国屋文左衛門

彼が作った運河「木屋川」

この運河を使って、材木が島田から焼津まで流れるのかをテーマにした実験

↓「木屋川の旅」


http://youtu.be/bZkJwt8_xqA


http://youtu.be/QZ2MsUw6a30


http://youtu.be/UE1onmDyUkc

↑この活動されているのは“WATS21”(和田地域振興会)の皆様。

文献、伝承を実験によって実証しようとする彼らの行動に尊敬と感謝を感じますね。
(リンクの快諾を m(_ _ )m ありがとうございます)

フォークリフト、舗装道路、トラックがない江戸時代。
私たちの祖先がいかに物流を確保していたか、偲ばれますね。
(°∀°)b

↓材木運搬の旅を地図でビックリマークたどってみましょう(ドラックできます)






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金谷町(かなやちょう)は、かつて存在した静岡県の遠州東部に位置し、江戸時代は東海道の宿場町であり、お茶の産地で知られる町だった。2005年に旧・島田市と新設合併し島田市となった。

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↑SLの大井川鐵道

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↑美しい茶畑

白波五人男のリーダーのモデル
大泥棒「日本左衛門:にっぽんざえもん」の首塚かある町

昔、この地に
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↑「鰐口:わにぐち」など青銅製品を作る人達がいた。

金(かね)をあつかう人がいた→金屋(かなや)がいた→金屋→金谷→金谷町

同じような由来で三島市に具師、刀剣鍛冶(とうけんかじ)などの技術者が住んでいた町→金谷町がある。

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8/26 吉田の火祭りを見てきました。
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メインストリートをチラ見したあと

まずは神社へ参拝
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↑北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社。
富士山を神体山としている。
主祭神は‥
●木花開耶姫命(このはなさくやひめ)→火の神
●夫神の彦火瓊瓊杵命(ににぎのみこと)→天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫と
●父神の大山祇神(おおやまづみ)→山の神
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社伝によれば、110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に、大塚丘より富士山を遥拝し「富士には北側より登拝するのが良い」として、祠と鳥居を建てたのが始まりと云われている。

↓巨大な鳥居の足元
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↓御神木(天然記念物指定)太郎杉
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↓拝殿の梁からが見下ろしている天狗さん達
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↓夕方、境内の参道の松明に火が点けられた。
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↓一方、メインストリートの大きな松明(3m)や脇道の家の前の小さな(1m)たき木にも点火され、町中が火の海のようになります。
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この松明‥ろうそくのように上から燃えながら短くなってゆく。
消防団員、家人、祭りの方がジョロなどで水を掛けながら燃え具合を調整していく。

↓中には油断して崩れてしまう松明もあったりする。
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●この祭りの主旨は‥浅間神社と諏訪神社の神様を市中にお迎えして、今年の夏山の富士山登拝の山仕舞いを意味する祭り。

そして‥島田の「大井神社大祭」、愛知県国府宮の「裸祭り」と並び「日本三奇祭」に数えられています。

今年 2012年(平成24年)3月8日、国の重要無形民俗文化財に指定されました。


●なぜ松明を燃やすのか‥元々地元に伝えられた火焚き行事が神社のお祭りに取り入れられたとか、あるいは木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)などの神話に由来するなどと伝えられています。
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↑木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)

●歴史は‥古い記録では寛政2年(1790年)に御師に招かれて富士登山をした京都・賀茂社の祠官 賀茂季鷹(かものすえたか)が記した『富士乃日記』に火祭りについての記録があるそうです。
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↑賀茂季鷹(かものすえたか)

『くれがたより、家ことのまへに、たき木、ひとかゝへにもあまるばかりのかこみにて、たかさは弐間一尺といふが、おほよそ十駄ばかりなりといふ、つい松をたてならべたり…日のくるゝをまちて、一時にともしつけるさま、秋の夜のやみもあやなく見えたり』

とあるように、今と同じように家々の前に松明をたてて燃やしていたことがわかります。
 

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↑去年までは山道に露天商がならんでいたそうですが
↓今年からその姿は見れなくなったそうです。
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露天商さん達がいるのと、いないのと、どちらがいいんでしょうかねはてなマーク

●少なくとも200年前から続いているこの祭り 燃えやすい木造建築しかなかった時代から続けられているみたいですが 今までもらい火による火事はなかったようです。

これって浅間神社の祭神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」が猛火の中で皇子を出産したという故事があり、そのご神徳のおかげですかね。

また、この松明の炭を持ち帰ると、防火のご利益があるそうです。

この紀行‥

神社のオーラに圧倒されました。

夕暮れ時の境内の灯篭のロウソクの淡い灯火の美しさ

メインストリートの松明の雄々しさ 炎炎炎炎炎炎炎炎炎

そんな印象を受けましたニコニコ





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↑「ばね」の語源は はね(跳ね)

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↑「ねじ」は ねじる

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↑「ぜんまい」は
↓山菜のぜんまい
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ははは そのまま(@^▽^@)ですね。

ところで‥
皆さんのお名前の由来は何ですかはてなマーク

知らない方は親御さんに訪ねてみましょうかお
「いい名前をありがとう」(・ω・)/~お忘れなく


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2010年4月

市と「島田宿・金谷宿史跡保存会」との協働事業で「旧東海道島田宿案内図」が、旧東海道沿いの「ぴ~ファイブ駐車場」南側歩道に設置されました。
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この絵図は、嘉永7(1854)年の「島田宿獨(ひとり)案内」
に描かれた島田宿の様子を元に書きおこし、当時の島田宿周辺の主な施設などを現代風にわかりやすく解説しています。


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お近くをお通りの際は「あーだ、こーだ」言いながら眺めても楽しそうですね(^ω^)

実はこの案内図、ミニ版があります。
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制作はアートスタジオ・ヤマ(島田市中溝町1728-5 電話0547-36-2230)在庫4ヶ有り

店先や玄関に飾って、その場で「あーだ、こーだ」言っても楽しいかもですねにひひ


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