名君:長谷川藤兵衛は島田宿の「ダイカン」ですよ! | 大井神社大祭総合研究所

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名君:長谷川藤兵衛は島田宿の「ダイカン:代官」ですよ!

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長谷川藤兵衛は5代にわたり島田をおさめました。



初代  長谷川藤兵衛長盛
1590年(天正18年)頃、徳川家康が豊臣秀吉から在京賄料の一部として与えられた、島田周辺の管理を命じられました。

2代目 長谷川藤兵衛長親
1616年(元和2年)に、島田宿内に陣屋を新築して移っています。川根筋の幕領も、支配しました。

3代目 長谷川藤兵衛長勝
1644年(正保元年)に、私財を投じて大井川から用水を引き、新田を開きました。

4代目 長谷川藤兵衛長春

5代目 長谷川藤兵衛勝峯
1692年(元禄5年)に、遠江国川井(袋井市)代官へ転任を命ぜられる。


1604年の慶長の大洪水から30年後、3代目が大きな堤防をつくりました。

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また彼は、田畑の水不足を解消するため水神山の大岩に穴をあけ1kmの水路をつけ、その先に「中溝川」「宮川」「問屋川(といやかわ)」の3つの用水路をつくりました。

費用は自分の財産をつかいました。


お米の取れだかも

1635年は 109石だったのが

1666年は 2181石になりました。  


用水路ができたおかげで後に「島田三千石」といわれるほど豊かなまちにっていったのです。


そういえば川根街道の1中をこえたあたりの川って怖いくらいゴウゴウと水が流れていますからね。

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