
8/26 吉田の火祭りを見てきました。

メインストリートをチラ見したあと
まずは神社へ参拝

↑北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社。
富士山を神体山としている。
主祭神は‥
●木花開耶姫命(このはなさくやひめ)→火の神
●夫神の彦火瓊瓊杵命(ににぎのみこと)→天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫と
●父神の大山祇神(おおやまづみ)→山の神

社伝によれば、110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に、大塚丘より富士山を遥拝し「富士には北側より登拝するのが良い」として、祠と鳥居を建てたのが始まりと云われている。
↓巨大な鳥居の足元

↓御神木(天然記念物指定)太郎杉

↓拝殿の梁からが見下ろしている天狗さん達

↓夕方、境内の参道の松明に火が点けられた。

↓一方、メインストリートの大きな松明(3m)や脇道の家の前の小さな(1m)たき木にも点火され、町中が火の海のようになります。

この松明‥ろうそくのように上から燃えながら短くなってゆく。
消防団員、家人、祭りの方がジョロなどで水を掛けながら燃え具合を調整していく。
↓中には油断して崩れてしまう松明もあったりする。

●この祭りの主旨は‥浅間神社と諏訪神社の神様を市中にお迎えして、今年の夏山の富士山登拝の山仕舞いを意味する祭り。
そして‥島田の「大井神社大祭」、愛知県国府宮の「裸祭り」と並び「日本三奇祭」に数えられています。
今年 2012年(平成24年)3月8日、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
●なぜ松明を燃やすのか‥元々地元に伝えられた火焚き行事が神社のお祭りに取り入れられたとか、あるいは木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)などの神話に由来するなどと伝えられています。

↑木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)
●歴史は‥古い記録では寛政2年(1790年)に御師に招かれて富士登山をした京都・賀茂社の祠官 賀茂季鷹(かものすえたか)が記した『富士乃日記』に火祭りについての記録があるそうです。

↑賀茂季鷹(かものすえたか)
『くれがたより、家ことのまへに、たき木、ひとかゝへにもあまるばかりのかこみにて、たかさは弐間一尺といふが、おほよそ十駄ばかりなりといふ、つい松をたてならべたり…日のくるゝをまちて、一時にともしつけるさま、秋の夜のやみもあやなく見えたり』
とあるように、今と同じように家々の前に松明をたてて燃やしていたことがわかります。

↑去年までは山道に露天商がならんでいたそうですが
↓今年からその姿は見れなくなったそうです。

露天商さん達がいるのと、いないのと、どちらがいいんでしょうかね

●少なくとも200年前から続いているこの祭り 燃えやすい木造建築しかなかった時代から続けられているみたいですが 今までもらい火による火事はなかったようです。
これって浅間神社の祭神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」が猛火の中で皇子を出産したという故事があり、そのご神徳のおかげですかね。
また、この松明の炭を持ち帰ると、防火のご利益があるそうです。
この紀行‥
神社のオーラに圧倒されました。
夕暮れ時の境内の灯篭のロウソクの淡い灯火の美しさ
メインストリートの松明の雄々しさ









そんな印象を受けました
