恵美酒吉外備忘録 -27ページ目

裏寺町

下世話な話だが、どうも「裏」とつく言葉には

心をくすぐるものがある。


この「裏寺町」という地名にも

非常に惹かれる。


尤も、「裏寺町」という地名を知ったのは比較的遅く

10数年前に「つボイノリオのハイヤング京都」という

ラジオ番組で聞いたのが最初だった。


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裏通りという訳でもないのだが、

やはり表通りから一歩引いたところは

心地がよい。

新と旧、表と裏、陰と陽の境目が見える所には

なんともいえず魅力を感じる。


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そして、裏寺町のもうひとつの魅力が

居酒屋「たつみ」。

一時期仕事で京都の山奥に頻繁に通っていたときに

行き始めたので、3、4年ほどの付き合いになる。

立ち呑みで、一杯やるのは、裏寺めぐりの締めに

相応しい、と思う。


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そして、酔い覚ましに京都駅まで歩いて帰ると

さらに心地よさが増すのであった。


想い出の地

記憶に残る街というのがあるのではないだろうか。

私の場合は、20歳の時に行った尾道が思い浮かぶ。


正直なところ、何故尾道に行ったのかが思い出せない。

別に大林宣彦監督の尾道三部作 に興味があった訳ではなく

地縁がある訳ではないのだが、学生時分にどうしても行きたくなった事を

非常によく覚えている。


当時の行動を思い出すと、同じく行きたかった筑豊飯塚から

夜行列車で岡山に着き、その後尾道まで折り返し、さらに高知まで行く

という、時間だけは有り余っている学生ならではの行動だった。

しかも、青春18きっぷで・・。


その後、何度か尾道に行くことを試みたが、

天候や日程の関係で行くことが出来なかった。


長年行きたいと思いつつも行けなかった尾道・・、

昨年末、岡山の旧知の友人に会いに行ったついでに

念願だった尾道に降り立った。まあ、退職記念みたいな

意味合いでもあったのだが・・。




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当時と比べると、駅前が綺麗に整備されていたが

基本、街なかは変わっていなかった。


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やはり好きな街だと思う。

ただ、坂と階段の多いこの街は、

老人には中々厳しいのではないだろうか。

観光と生活、どこの町でも抱えるような

問題だろうなと考えてしまった。



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筑豊飯塚も久しぶりに行ってみたいが、

中々先立つものが・・・。

宝くじでも当てて、各地に別宅でも持ちたいものだと・・。


あと、人生の転機には、ふと後ろを振り返ってみるものなのか、

最近、どうも20歳前後の事を思い出す。

まぁ、前向きに、前向きに・・。



岸辺のアルバム

とはいっても

水害で家が崩壊するドラマ ではない。


かつて、失業中に友人から連絡があり、

「ブラブラしているのなら手伝いに来い。」

と、声を掛けられたので、

事実ブラブラしていた私は、

友人の商いを手伝いに行くことにした。


それから数ヶ月、財布の中身を整理していると、

そのとき通勤に使った回数券の残りが出てきたので

久しぶりに出かけることにした。


で、訪れたのが吹田市の岸辺駅。

JRで大阪方面に行くときにいつも通過する駅だが、

正直千里丘と岸辺はどっちがどっちだかいつも迷ってしまう。

しかも、駅は「岸辺」だが、地名は「岸部」ということも

通ってみてはじめて知った。もっと言えばここが吹田市であることも。


この駅の前には、私の地元で有名な「二羽の鳩」のマークのスーパーがあって

少し調子が狂ってしまうが、久々に駅に降り立った。


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まあ、わずか数ヶ月で極端に街並みが変わるわけでもないが、

通勤ではなく、時間に追われる訳ではない散歩だと

いろいろ見えてくるものだ。


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この街では、新幹線0系が展示、というか

今は放置プレイのような状態で置かれている。

ここに485系ももってきて、公園として整備されるらしい。

その時は又是非いってみたい。


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ところで、JR岸辺駅と、阪急正雀駅がすぐ近くなのに気付いたのは

この駅に初めて降り立った時だった。

故に、仕事上がりに、阪急電車がおいでおいでをして

京都は四条河原町にある好みの居酒屋「たつみ」にいざなってくれた。


ったく、ちっとは節制しろよ・・俺。


二十歳の頃



国松警察庁長官銃撃事件が時効を迎えたらしい


警察庁長官銃撃事件の時効成立:asahi.com

http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201003290428.html


考えてみたら、いい年こいたおっさんになっているこの私が、

成人式を迎えた年だ。


個人的にはあっという間の年月だったと思う。

そして、二十歳の頃、即ち平成7年は、私の人生にとって

重大なポイントになった年だったと思う。


しばし、昔話にお付き合いを・・・。


この年は阪神大震災に、オウム事件と、大きな事件が相次ぎ

正直、「世紀末」を実感し、恐怖感を感じていた。


地下鉄サリン事件の第一報はいまだに覚えている。

当時始めたばかりのカメラマンのアルバイトで

現場に向かう途中、カーラジオの

「ありがとう浜村淳です」を聞いている際、


「東京の地下鉄でガス漏れ、負傷者多数の模様。」


というものだった。


バイトを終え、なけなしの金を持って、カメラ屋に行くと

たまたま、まさに腐れ縁の友人Nに出会った。


私:「何か東京でガス漏れがあったらしいな。」

N:「あちこちの地下鉄の駅で、無茶苦茶死者も出てるらしいぞ。」


正直まさかこんなに大事件の幕開けだとは思わなかった。


何故ここまで覚えているか、

実はこの時のアルバイトが、私の職業選択の大きな

重要なファクターとなった。


この時のアルバイトが、所謂営業写真というものだったが、

写真学校の学生だった私たちからすれば、カメラマンの中でも

数段下に見られる職業だった。


しかし、この時をきっかけに始めた、この仕事で

「写真が人々の思い出につながる。」という事を感じ、

現在の営業写真という職業を選んだ。


それから15年、

訳あって、以前の会社を退職することになったが、

やはり気持ちとしてほかの業種に移ることが出来ず、

縁あって同業他社の今の会社に厄介になることとなった。


どちらかというと、飽きっぽく、堪え性が無く、意志の弱い私が

こうやってひとつの業界にいるというのは

この時のアルバイトのインパクトが相当強かったのだと思う。


阪神大震災、オウム真理教事件と聞く度に、

このアルバイト、そして「初心」を思い出す。

そして、警察庁長官銃撃事件でも・・。


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もうひとつ、街を歩きながら

街の風景を撮る今の撮影スタイルも

この年が最初だった。

鉄ちゃんが、一歩前に出た年であった。


そして友人N、

ここ数年音信不通気味だが元気にしているのだろうか。

正直いまいち冴えない奴だが、

内心「こいつには敵わない。」と思うことが

多々ある奴だからなぁ。


余談:

アメブロの「なう」ってやつで

暇つぶしに何してるか書いてみた。

いくら酒飲んですぐに物を忘れるといっても

人様にグジグジとしょうもない事を

晒すなよなぁ、と自己嫌悪。

何故、今更・・。

確か季節は春、

もうすぐ4月だったはず。


しかし・・、

雪が降ってきやがった。


ここ数日来、寒い日が続いていたが

まさか雪まで降ってくるとは・・。


私は現在、日本最大の湖がある県に住んでいるが、

元来、温暖湿潤、瀬戸内海気候区出身なので

寒いのは苦手なのである。


しかし、今日はひどかった。

日ごろの行いの悪さが露見したのだろうか。

買い物に出ると、猛吹雪で足止め、

雪の止み間に帰ったが、

寒いを通り越して、冷たい。

夜になって寓居から外を見ると、

車にうっすら雪が積もっている。


おいおい、もうすぐ4月だろ・・。

温かいところに引っ越したいものだな。

それが見果てぬ夢だとしても。


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温かいところといっても沖縄は勘弁して欲しいな。

以前の職場で、毎年4月末に沖縄に出張していたことが

あるのだが、空港ビルを出たとたんに、背中を流れる汗、

あの蒸し暑さには耐えられない。

私は暑さ、寒さよりも、湿度が苦手なのである。