目標の大会では決勝戦で負けてしまっていたが、教え子たちが韓国に渡って“日の丸”を背負い良い結果を出せたこと、、、障害者バレーボ―ル「わかふじ大会」で大人の審判役員と同じレベルで小学生が審判(ラインジャッジ)をやれせてもらうなどと、、、前例に無い貴重な経験が次から次へと続いていたので、周りに立つ波風はむしろ気持ちがいいくらいだった。 子供たちや親には、以前から目標の大会が過ぎた夏の後半からは、小学生特別ルールによるバレーは止め、来年の中学生から行うバレーボールのルールに倣った練習をしていくことを伝えてあったので、予定通りローテーションや新ルールの勉強を始めた。 子どもたちっていうのは、新しいことには目を輝かせて取組み、、、審判の面白さを知った子どもたちだけに飲み込みも早く、、、教えている私も楽しかった。 世間では、ローテーションは難しい、、、とか、、、こんがらがっちゃうとか、、言われていたが、本来、一個ずつ時計回りに回っていくだけだから、格好つけて変な移動を教えなければ何でもないのに、、、っとよく思っていた。
秋になると2回目の全国大会出場を賭けた大会が始まった。今まで殆どの大会では中部地区予選1位で県大会に進んできたが、さすがに我がチームだけ、ローテーションをして、エース2人を表と裏に分けてしまっていたので今度ばかりは負けてしまい中部3位での県大会出場となった。前回の県大会の決勝戦で負けた相手には負けたくなかったので、ローテーションを止め、小学生特別ルールに戻そうかっと一瞬思ったが、、、、やっぱり、、、やめた。 その代り、完全にそのチームを想定し練習した。 私と同じ名前の監督が率いる強豪チームも怖かったんだが、その頃には、その監督からも声をかけていただき、練習に呼ばれるようになり、子供や私までも指導していただくこともあった。 当然、したたかな私は、そのチームの普段の見える練習や試合開始前の練習方法まで全く同じことができるまで調べ、子供たちと練習の練習をして、、、実際に試合で見せてびっくりさせようかと、、、詰まらぬことまで考えていた。
県大会の当日になってみると、ローテーションで前衛エース一枚で戦っているのに、子供たちはのびのび出来て、、、しまいにはバックアタックと前衛とのコラボ、、、みたいな攻撃や、Aクイック、ブロード、、、、サーブは、体を低くしてフローター、、、次はオーバーハンドサーブに切り替えて、、、次は5m下がって、、、次は、ジャンピングフローター、、、次はジャンプサーブ(ドライブ)っと、、、。何故か、負けそうで負けなくて、、、前回の覇者である浜北も破り、、、あっという間に又、決勝戦まで行ってしまった。 相手は、予想していた私と同じ名前の監督が率いるチームだった。 周りで見ている観客も役員関係者も気がつかなかったようだが、試合開始前の練習も公式練習も全く同じ練習を両チームが行っていて、、、相手チームの子供たちは、「あ、あれ?」、、、みたいな顔をしていた。 実際、試合をしてみるとさすが相手チーム監督は一枚も二枚も私より上で、、、途中から、、、やっぱ、、、ローテーやめよっか?、、、と頭をよぎったが、、、、結局、当然だが最後まで通し、、、負けた。 2回連続、準優勝だった。
勝てば全国大会。でも、まさか、準優勝まで勝ち上がれるとは思っていなかったので、この子供たちの凄さにびっくりしてしまうばかりだった。 コートの外から見ていて、どのくらいの人が我がチームだけ、セッターが立ち足を気にしているのか、アタックラインを気にしてローテーションをしているのか、、、を解っていただろうか?でも、そんなことはどうでもよかった。 また、やってもうたんです。誰もやるわけがない、、、ローテーションで準優勝を。
多分、いや、間違いなく、県で?日本で、、、一番上手にラインジャッジできる子供たちは、、、相変わらず決勝戦まで勝ちあがってしまうので、、、負け審をやらない訳ですから、、、嫌み抜きで、そのラインジャッジの勇志を見せることはできなく、、、複雑気持ちだったのは、私だけじゃなく、子供たちもそうだったのかもしれない。