ワールドカップの興奮醒めやまぬ中、翌日から平然と少年団の監督をいつも通りにこなし、、、指導者と審判員の平常運転に戻った。 10日後には、中部小学生の大会の審判をこなし、確か、その次の週末だったか、『障害者バレーボール』っていう大会の審判をやることになった、、、話には聞いていたが、実際に目にするのは初めてで、聴覚障害者のバレーと精神障害のバレーとに分かれていた。 一見、私たち健常者とは、違いが見えないが、聴覚に障害があることから、喋ることが上手くできなくて、聞き取りにくかった。 担当?の先生に伺ってみると、生まれた時から聞こえない子は、音ってーものが分からないから、声もうまく出せないけど、病気や怪我など、何らかの原因で大きくなってから聞こえなくなった子は、ある程度喋れるらしい。 バレーボールに関しては、聴覚障害の選手は健常者と変わらぬプレーがしっかりと出来ていたし、ルール自体、全く同じバレーだった。 しかし、精神障害のバレーも方は、ソフトバレーボールを使ったものであれっ?と思った。 喋り方も普通だし、ある意味、聴覚障害の方より健常者に見えていたが、、、このルールでやらなくてはならないっという内容からして、精神に障害があるってことは、大変なことなんだっと、、、、この歳になって、改めて考えさせられた。 





笛の吹き方、審判のシグナルを大げさに解り易く、でも、とるべき反則はしっかりと取り、、、そして、精神障害バレーの方は、安全に楽しく試合ができることを最優先して、反則よりも、スムーズにプレーができることを最優先した。 ある意味、この精神障害バレーでの審判員の気持ちっというか、スタンスが、、、、ギスギスしていてた、形やらルール重視し過ぎたり、反則とるのが仕事、、、、みたいなオゴリ高ぶり、傲慢な間違った感覚から目を覚まさせてくれた。 おまけに試合の運営では、主審、副審、記録員、アシスタントスコアラー、ラインジャッジと全てを順にやらなければならなかったので、練習といっては失礼だが絶好の練習にはなったのは間違えない事実だった。 




そして、これを機に毎回、障害者バレーの審判を県の審判員が率先して審判をやらせてもらうようになっていった。 最初にいろいろ教えてくれたお爺さんが実は、県のデフ(聴覚障害)バレーの監督で、おまけに名誉審判員。 その後も何かと公私ともにお世話になる事になり、手話などもこの旭名先生に教えていただいた。 そして、翌年には、全国大会に向けた、デフバレーの東海・北信越ブロックの決勝の審判台の上に乗ることになっていた。