上京してきて初めて渋谷とか新宿に行った時、「見ろ!人がゴミのようだ!」と笑いたくなると同時に、本当に人しかいないことに若干気持ち悪くもなりつつ、
ここは人ひとりずつの価値が薄い場所なんだなぁと頭の後ろの方でぼうっと思っていたことを思い出します。
新宿に行くと、この曲とかあとは『浴室』とかもよく聞いてしまうんですが、
あるとき“新宿は豪雨“と言う言葉が二つの意味できこえてきて、そういうことだったんかー!!と度肝抜かれました。
唐突ですが、林檎さん好きです。
何で好きかというと、詩が好きです。曲も好きですが。
東京事変の『群青日和』(2004年)について、あくまで私の感覚で深読みしてみたいと思います。
どうぞお付き合いください。
〜〜〜
“豪雨“を天気ととる方⇨①
人混みの比喩ととる方⇨②
新宿は豪雨
あなた何処へやら
今日が青く冷えてゆく東京
①
新宿は豪雨
この人混みの中にあなたも揉まれて居るのだろうか
冷たい雨の東京で
②
新宿はまるで豪雨のような人混み
あなたは何処にいるのだろう(こんなに人がいてもあなたは居ない)
人混みに押し流されるまま今日が死んでいく
戦略は皆無
わたし何処どこへやら
脳が水滴を奪って乾く
①
だからといって、したい事も流れに逆らう術もない
私はこのまま流されて何処へ行き着くのだろう
わからない
②
あなたを探す術も何処に行けばいいのかも分からない
私は今何処に居るのだろう
考えようとしても現状に忙殺され、老いやつれていく
「泣きたい気持ちは連なって冬に雨を齎らしている」と、云うと
疑わぬあなた「嘘だって好くて沢山の矛盾が丁度善い」と
①
「泣きたいような気持ちは雨になる(やがて春に咲く花を育てる)」
って誰かが言っていたと、
素直なあなたは
「人や自分を傷つけるくらいならその分嘘をついた方がいいだろ」と言った
②
「泣きたくなるようなことがたくさん溜まって
あなたとの冷めた関係を一層凍えさせている」と、言ったら
あなたは「自分に嘘をついて耐えても好いさ
ままにならないことをたくさん抱えてるくらいがちょうどいい」と言った
答にならぬ”高い無料の論理”で
嘘を嘘だといなすことで即刻
関係の無いヒトとなる
①
理想でしかない高尚な正義や平等な論理で
「それは違う」って切り捨ててしまえば
人とのつながりまで切り捨てることになる
②
解決する力もない高説で
嘘は嘘だと断罪すれば それで
あなたとのことも終わってしまう
演技をしているんだ
あなただってきっとそうさ
当事者を回避している
①
人は社会に与えられた役を演じているんだ
”疑わぬあなた”だってきっと本当の自分を隠して
本当の自分から逃げている
②
そんな高説をたれる私だって嘘をついている
(聴いている)あなただって同じさ
責任を逃れてる
興味が湧いたって
据え膳の完成を待って
何とも思わない振りで笑う
①
興味が湧いても
誰かがやり遂げるのをまって
周りに合わせている
②
おかしいと思っても
誰かが問いかけてくれるのを待って
気づかないふりをしている
突き刺す十二月と伊勢丹の息が合わさる衝突地点
少しあなたを思い出す体感温度
①
明治道路と新宿道路の交差地点=新宿三丁目交差点。
冷たい気温がどこかあなたを思い出させる
②
突き刺すように冷たい十二月でも、クリスマスや年末に向けて人々の心は暖かい
あなたと過ごした十二月を思い出す
(ねぇ)答は無いの?
誰かの所為にしたい
ちゃんと教育して叱ってくれ
①
(誰か教えてよ)正解は無いの
私が悪いの?
咎める人すらいないの?
②
(ねぇあなた)返事してよ
関係が壊れるのもあなたの所為にしたい
そんなこと聞いていない!誰にも教えてもらってない!
新宿は豪雨
誰か此処へ来て
青く燃えてゆく東京の日
①
新宿は豪雨
誰か迎えにきてよ
雨に濡れていく東京の太陽
②
新宿で私の頭と心はぐちゃぐちゃになっている
誰か助けて!私を見つけて!
青春を燃やす東京の日
〜〜〜
最初と最後の節は対比になっています。
あなたを待っていた筈が、「誰でもいいから来てほしい」に。
”青く冷えていく今日”が”青く燃えていく日”に。
一節目は”流されて終わっていく今日への喪失感”を感じるのに対して、
最後の節には”責任放棄的開き直り”や”それでも明日は来る”というような、
どこかポジティブなものも感じることができます。
やっぱり林檎さんの凄いなと思うところ。
最初の2フレーズだけで、情景と感情が見えること。
雨の新宿もしくは雑踏の中で、“わたし”は“あなた”を想って途方に暮れたような感情を抱いている。
豪雨の音、匂い、行き交う人々の群れ、街の音…色々なものが見えて聞こえてきます。
〜〜〜
新宿は豪雨なのに群青日和。
Wiki先生曰く、群青色は“青の集まり“という意味だそうです。
豪雨の色、青く冷えてゆく東京、冬の色、青く燃えてゆく東京の日、そして群衆の青い気持ち…。
そして“日和”は、
1 空模様。天気。→豪雨
2 晴れたよい天気。晴天。また、なにかをするのに、ちょうどよい天気。
→青く燃えていく東京の日
3 物事の成り行き。雲行き。形勢。→日和見なわたしとあなた
という感じでしょうか。
「青い天気」、「青い日」、「青いわたし」…これらが群れてるから“群青日和“。
詩の世界に於いて“あなた”は大抵何かの比喩って、昔大学の先生が言ってたが、
ではこの詩に何度も出てくる“あなた”は一体、誰なんだ?
彼氏か? それとも自分自身か?
仮に東京や社会、世の中だとすると、
この曲のテーマは
「社会や世の中の通説やら流行やらに流される今の現状に疑問を抱いていても
結局のところそれらに頼って生きている自分」
といったところになるでしょうか。
こうして見るとやはり、詩中の「豪雨」は天気ではなく「人混み」と取った方が自然な気がします。
「泣きたい気持ちは連なって冬に雨をもたらす」というところから感情と雨の関連性を感じますし、そうすると“群青日和“というタイトルや“青く燃えてゆく東京の日(ここでは太陽)“というフレーズが対比されて活きてくる気もします。
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あなたはどうお考えになりましたか?
「こうじゃないか」と言うのがあれば、ぜひコメントで教えてください。
2016/9→2021/02/11