PVを見てはガムテ越しのキスやシャワーヘッドの殴打(性癖)、そして夜の公園で踊り狂う女人に衝撃を受け、

ライブで踊り出した日には((林檎さん、一生ついていきます。))と手を合わせました。

 

そして旗を振る。

 

旗を振る。

 

みんな大好き『長く短い祭』(2015年、作詞:椎名林檎)です。

 

私は好きなものがあるとどうしても自分のものとして落とし込みたくなるので、延々リピートしたり考え続ける傾向があります。

なんとか消化、もしくは吐き出さんとしたものがこちらです。

 

この曲の詞を真剣に深読み(もはや妄想)してみました。

詩の下に意訳、その下に好き勝手好きポイントを叫ぶ会を開催しております。

 

どうぞお付き合いください。

 

また、「こういう読み方もあるよ!」と言うのがあれば、ぜひコメントで教えてください。

 

 

〜〜〜

 

天上天下繋ぐ花火哉

万代と刹那の出会ひ

忘るまじ我らの夏を

 

まるで花火は天と地を結んでいるみたいで

一瞬が永遠になった。

忘れられるものか、忘れてなるものか、

この我らの夏を。

 

 

ド頭に「天上天下」なんてワード持ってくる林檎さんやっぱり天才や。

(としか表せない己の凡才肌がばれる)

 

「刹那」との言葉の対比が極彩色な「万代」だとかも合わさり、花火を見ている映像が4Kフルハイビジョンで鮮明にドラマティックに瞼の裏に浮かび上がります。

 

そもそも林檎さんと浮雲さんの存在自体が概念の擬人化っぽい。

 

 

場違ひに冷え切つた体を

人熱に放つて流し流され

思へば遠くへ来たものだ

 

どこか熱狂できないこの身を

祭りの人ごみの流れに任せて

気が付けば喧騒から離れて

外れまで来てしまった

 

(人生の身の振り方として)

大多数の世情に身を任せ、長いものに巻かれて

気が付けば遠くまで来ていたのだなぁ

 

 

「思えば遠くへ来たものだ」は悲嘆として「こんなところにまで来てしまった」と取るか、

思いがけず「いつの間にかこんなところにまで来れた」ととるか、、

 

 

人生なんて飽く気ないね

まして若さはあつちう間

今宵全員が魁、一枚目よ

 

人生なんて呆気なくて 飽きる気がしない

ましてや若さなんてあっと言う間に過ぎ去っていく

(それでも・だから)全員が命を燃やすのだ

今夜は全員が先駆け つまりは主役よ

 

 

林檎さんの歌詞といえばその文学性だと思うのですが、この曲で才気が光りすぎているのが「飽く気」という一語。

音で聞いたらば「あっけない」で終わるところ、文字にしてみると真逆の意味が現れるという粋な趣向、、

 

話が大きくなりますが、シェークスピアみたいにエクストラにエクストラを重ねて韻を踏み倒す欧米に対し、日本では和歌みたいになるべく規模はコンパクトに、一語に複数の意味を持たせる(掛詞)ことでパラレルワールドを広げるレトリック傾向があるように思います。

 

林檎さんの場合、それを、音が全ての音楽でやってしまうのがかっこいい

(歌詞カード見なきゃわかんないのに)

 

 

皆銘々取り取りの衣裳

奔放な命を被ふ化粧

隠すまじ我らは夏よ

 

踊り子のような十人十色の意匠の衣装や

本能のままに踊る命を覆う化粧にも

隠せるものか、隠してなるものか

我らは夏なのだから

 

 

そしてサビ、「我らは夏よ」の自己肯定感凄くないですか…!?

 

ザ、本能。

そう、林檎さんは本能の人。

 

どれだけ言葉で武装してこねくって数学的に整えているように感じても、本能から生まれて本能に還る。そこがいい。。。

 

 

何か知ら落ち込むだ心は

人熱彷徨つて流し流され

思へば遠くへ来たものだ

 

意味もなく取り留めもない

色々に落ち込んだ心は

人の熱を彷徨って流し流され

思えば遠くへ来たものだなぁ

 

 

間髪入れずに2番へ。

人って落ち込むことがあっても、傷ついて弱っても、それに慣れずとも、だましだまし何とかなるものだったりします。大切なのはその一瞬一瞬か。

 

 

永遠なんて素気ないね

ほんの仮初めが好いね

愈々宴も酣、本番です

 

酸いも甘いも

終わりがないなら意味も価値も薄れてしまうね

だから、ほんの仮初めのような人生が好いね

いよいよ宴もたけなわ、「本番です」

 

 

「ほんの仮初めのような人生」ってなんか言葉の色気凄い。

お開きになってからが人生本番だなんて、妖しい生死の匂い。

 

 

皆銘々選り取り全方位

獰猛な命燃やす匂ひ

臆すまじ我らは夏よ

 

どれも思うままの方向に咲き乱れる花火のように

みんながみんな本能のままに選び取る

火薬を燃やすように尽きていく命の気配にも

臆してなるものか、臆せるものか

我らは夏なのだから

 

 

「♪ みん、な、めい」のタイミングで陸上のスタートダッシュの画が浮かびます。

音楽も佳境。

 

 

一寸女盛りを如何しやう

この侭ぢや行き場がない

花盛り色盛り真盛りまだ

 

ねぇちょっと、女盛りを持て余して

このままだとやり切れないの

若さも美しさも真っ盛り、まだ…

 

 

リピートの「女」って言葉に引き寄せられるように出てくる「花」「色」も詩的で美しい。小野小町か。

 

 

丁度大輪の枝垂れ柳

蘇るひと世の走馬灯

逃すまじ我らの夏を

 

丁度祭りは佳境を越え

大輪の枝垂れ柳の様な花火のように

一夜の思い出が蘇り、人の一時代の、

人生の走馬灯が走る

逃してなるものか、逃せるものか

我らの夏を

 

 

セミファイナルのごとく怒涛の大サビ。鳥肌もんです。

 

 

一寸女盛りを如何しやう

この侭ぢやまだ終れない

花盛り色盛り真盛りまだ

 

ねぇちょっと、女盛りをどうすれば好いの?

一発打ちあがらないうちには私終われない

若さも美しさも真っ盛り、まだ…

 

 

もうお仕舞いって云われてもしぶとく、醜く、移ろうものに縋ってしまう人の業。

そしてそれすらセレブレートしてしまうような陽気な音楽だけど、欲求不満で終わってしまう感じが耳に残る。

 

 

〜〜

 

 

夏のように”熱くて短い”ものと花のような”景気の好さと儚さ”の尊さ。

 

この曲の中ではパッと開いて消える花火や長く短い夏に人生(特に女一代)を重ねています。

気が付けば過ぎ去りゆく若さを持て余しながらも、一発どでかい花火を打ちあげずには死ねまいという焦燥感。

最後の”まだ”のリピートがそれを煽ります。

 

熱いのに冷たい、楽しいのに哀しい、満たされて切ない、長くて短い。
まるで祭りの余韻の様な曲。

 

 

 

さらに、秀逸なのはPV!

 

花火や祭りが一切出てこない。

 

 

…もう何も言えますまい。

 

 

 

→2019/08/24→2021/02/11