佐藤一斎の言葉(感想)
佐藤一斎は幕末の儒者・漢学者で、門下生から多くの人材が輩出しました。”佐藤一斎の言葉”(2013年3月 黎明書房刊 菅原 兵治著)を読みました。昭和44年に刊行された、”言志四録味講”を改題して版を改めたものです。江戸幕府直轄の昌平坂学問所で学び、のちに塾長を務めた、佐藤一斎が書き綴った”言志四録”1133章から、82章を厳選して解説しています。言志録 (246章) 42歳~53歳(12年間)言志後録(255章) 57歳~66歳(10年間)言志晩録(292章) 67歳~78歳(12年間)言志叢録(340章) 80歳~82歳(3年間)菅原兵治さんは、1899年宮城県生まれ、1927年に安岡正篤さん創設の金鶏学院に入り、1931年に日本農士学校創立に際して校長となり、農村人材の育成にあたりました。安岡正篤さんは1898年大阪生れの国家主義者・陽明学者で、東京大学を卒業後、国家主義団体行地社に参加し、私塾金鶏学院を設立しました。”言志四録”を知ったのは金鶏学院に入って間もなくでしたが、本当にわがものとして読み出したのは1935年に岩波文庫として出版されてからだったそうです。常に座右におき、ことに旅行の時などはいつも手下げに入れて、車中でもこれをひもといてきた、といいます。最後尾には、黎明書房創業者の力富阡蔵さんのあとがきがあります。佐藤一斎は1772年に岩村藩家老・佐藤信由の次男として、江戸浜町の藩邸下屋敷内で生まれました。1790年より岩村藩に仕え、12、3歳の頃、井上四明の門に入り、長じて大坂に遊学し、中井竹山に学びました。1793年に、藩主・松平乗薀の三男・乗衡が、公儀儒官である林家に養子として迎えられ、大学頭として林述斎と名乗り、一斎も近侍し門弟として昌平坂学問所に入門しました。1805年に塾長に就き、述斎と共に多くの門弟の指導に当たりました。朱子学だけでなく陽明学にも明るく、儒学の大成者として朱子陰王と呼ばれ尊敬されました。門下生は3,000人と言われ、一斎の膝下から育った弟子として、山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、若山勿堂など、幕末に活躍した知識人を多数育てました。”言志四録”は”言志録””言志後録””言志晩録””言志耋録”の4書の総称で、一斎が後半生の40余年にわたり記した随想録です。指導者のための指針の書とされ、西郷隆盛の終生の愛読書だった、といいます。学を為す。故に書を読む。敬すれば即ち心清明なり。分を知る。然る後に足るを知る。少くして学べば、則ち壮にして為すことあり壮にして学べば、則ち老いて衰えず老いて学べば、則ち死して朽ちず第1章 自己確立に関するもの第2章 養生に関するもの第3章 学道に関するもの第4章 志憤に関するもの第5章 酒に関するもの第6章 名に関するもの第7章 敬に関するもの第8章 言語に関するもの第9章 事を処する道第10章 随時に拾ったもの補説 「我づくり」のための探究-敬の弁証法-