坂本龍馬は1836年に土佐郷士株を持つ裕福な商家に生まれ、脱藩した後は志士として活動しました。

”全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙”(2012年6月 教育評論社刊 宮川 禎一著)を読みました。

現在龍馬ものとして知られている、140通の書簡と新政府綱領八策一項などがおさめられています。

現代的龍馬像を作り上げたのは、歴史小説家司馬遼太郎氏の功績が大です。

1962年から4年間にわたり産経新聞に連載された長編大作”竜馬がゆく”は、一大龍馬ブームを巻き起こしました。

宮川禎一さんは、1959年大分県宇佐市生まれ、1986年京都大学大学院文学研究科修士修了、財団法人辰馬考古資料館学芸員を経て、1995年から京都国立博物館考古室員、2006年より同館学芸部考古室長、2012年より同館学芸部企画室長を務めています。

  本書は、坂本龍馬書簡の全現代語訳であり、原文は基本として掲載されていません。

坂本龍馬は、ペリー来航を背景に尊皇攘夷運動が高まる中で多くの人士と交流し、攘夷論を超えた国際的視野に立つ日本の未来像を描きました。

脱藩と帰藩を繰り返す中で神戸海軍操練所開設に尽力し、海軍創設と海上交易による株式会社設立の構想を持ちました。

1865年に薩摩藩の援助の下、長崎で亀山社中を設立しました。

対立関係にあった薩摩・長州両藩を実利で結び、1866年の薩長同盟成立、倒幕への大きな布石となりました。

亀山社中は、土佐藩の後藤象二郎の尽力で海援隊へと昇華しました。

倒幕後の新政府案を後藤象二郎と構想したのが、船中八策です。

後藤象二郎から土佐藩を通じて幕府に建白し、1867年に徳川慶喜から大政が奉還されました。

大政奉還成立の1ヶ月後に、近江屋事件で暗殺されました。

龍馬の書簡の原文は、”坂本龍馬全集”などに掲載されていますが、いずれも龍馬の私信であり、その時代、年月日、人間関係などの背景を知らなければ何の意味か理解できません。

龍馬独特の言語表現も、多々存在していますので理解が困難です。

歴史の問題でもあり、また国語の問題でもあるでしょう。

また、記された年がいつかを記すことは稀であり、年月日の問題があります。

多くは月日のみ、あるいは日のみであり、何もなしなどもあります。

文面、内容、前後の事情等から、時期を推定することになります。

手紙の配列は基本的に”坂本龍馬全集”によっていますが、多少の順番の変更を試みています。

各項には推定年月日と宛先を基本的な見出しとして、文章の重要度が”☆”で印されて、となりに現在判明している蔵所先も明示されています。

訳文には”()”のかたちで、文章理解を助ける補足的な文が挿入され、予備知識なしでシッカリ読めるようになっています。

訳文の後段に書簡の歴史的立ち位置を教えてくれる解説があり、下段には人物や用語についての脚注もあります。

龍馬の手紙でもっとも多く用いられた表現は、”はからずも”だったといいます。

 人生は計画した通りには進まない、という思いが表されています。

第一章 龍馬の青春  嘉永六年―文久元年
第二章 土佐脱藩と海軍  文久三年―元治元年
第三章 薩長同盟への道  慶応元年―慶応二年三月
第四章 長幕海戦と亀山社中  慶応二年六月―十二月
第五章 海援隊  慶応二年十二月―慶応三年四月
第六章 イロハ丸沈没  慶応三年四月―七月
第七章 イカルス号事件  慶応三年八月―九月
第八章 大政奉還  慶応三年十月―十一月
第九章 年月等不詳の手紙
第十章 新しく発見された手紙
補 章 龍馬に関わった人々の手紙