ゴーイング・マイウェイ(感想)
”ゴーイング・マイウェイ”(2003年6月 財界研究所刊 田﨑 俊作著)を読みました。 日本一の真珠王を目指した田崎真珠社長の、真珠と共に歩んだ74年を綴る自叙伝です。 株式会社TASAKIは神戸市中央区に本社を置く宝石を加工、販売する企業で、東京銀座にジュエリータワーTASAKI銀座店があります。 田﨑俊作さんは、1929年に長崎県大村市で、男5人、女4人の9人兄弟の二男として生まれました。 家業は真珠養殖業でしたが、子沢山の貧しい生活だったそうです。 父親は神戸で単身赴任し、高島真珠で番頭として働いていました。 小学校に入学する前、弟と一緒に母親に連れられて神戸で半年ほど暮らしたそうです。 父親は33歳の時に独立して、大村湾の前ノ島で真珠の養殖を始めました。 そこは義兄や知り合いが、一足先に高島真珠を辞めて養殖をしていました。 前ノ島までは機船で2時間かかり、父母はその島に行ったきりでした。 そのため、9人の子供たちは祖父母に育てられました。 小学校を卒業してから、5年制の旧制大村中学に進みました。 大村中学を4年で卒業して海軍兵学校しましたが、在学中に敗戦を迎えました。 1947年にやむなく長崎経済専門学校に進学し、1950年に神戸の鄭旺真珠有限公司に入社しました。 1954年に田崎真珠を創業し、1956年に有限会社田崎真珠商会となり、株式会社となったのは1959年でした。 1970年代に真珠の量産に成功し、国内で真珠の生産及び加工販売を行っている企業としてはトップクラスの実力があり、日本真珠振興会が主催する全国真珠品評会では農水大臣賞を7度受賞しています。 真珠は海からの贈り物であり、神秘的な美しさから月の雫とも天使の涙ともいわれ、洋の東西を問わず最高の宝石として珍重されてきました。 古事記には、”白玉(真珠)の君が装し 貴くありけり・・・”と記され、真珠のように美しい、と美を象徴する言葉として使われています。 日本書紀や万葉集にも、真珠が詠まれています。 日本ばかりではなく、ヨーロッパでも真珠は美のシンボルです。 ギリシヤのホメロスの詩に歌われ、エジプトのクレオパトラが美容のために真珠を粉にして飲んでいたというのは有名な話です。 生まれ育った長崎県大村湾は、古くからその真珠の産地です。 戦国時代の1582年、豊後の大友宗麟、肥前の有馬晴信、大村純忠のキリシタン大名がローマ教皇に天正遣欧使節として四少年を遣わしましたが、その四少年がローマ法王に献じたのは、大村湾産の天然真珠だと伝えられています。 天然真珠の産地だった日本は、養殖真珠を開発し、世界中の女性に真珠を提供しています。 田崎真珠は2004年1月に創業50年を迎えました。 神戸で創業して以来、半世紀になります。 創業以来の目標は、世界に真珠を広めることでした。 いまでは、ミスユニバース日本代表の王冠は田崎真珠製になっています。 その後、会社は2010年に、英文社名をTasaki Shinju Co., Ltd.からTasaki & Co., Ltd.に変更しました。 2011年に、著者は82歳で神戸市東灘区の病院で死去しました。 2012年に、会社はTASAKIに商号を変更しました。 本書は、真珠に魅せられ生涯を燃焼した男の、子供時代から2002年までの物語が語られているます。 第1章 父と真珠第2章 海軍兵学校第3章 丁稚奉公第4章 「田崎真珠」創業第5章 逆境第6章 社会へ還元第7章 不況克服