葬式や通夜といえば、多くの人にとっては厳かに故人を弔う場であり、遺族に寄り添う時間だ。


しかし、反社会的勢力や裏社会の人々にとって葬儀は、それだけでは終わらない。
そこには、一般社会とはまったく違う「裏ルール」と「序列の見せ方」が存在する。

 

 

香典袋に込められる“義理”

一般の葬式では、香典は数千円から数万円程度が相場だろう。
だが裏社会では、その金額は桁違いになる。数十万、時には百万円単位で動くことも珍しくない。
それは単なる弔意ではなく、組織や親分への“義理”を示すものだからだ。

さらに重要なのは「誰の名義で出すか」。組の名前を前面に出すのか、親分個人の名で出すのかで、意味合いは大きく変わる。
名義の扱いひとつで「どの程度の関係性か」「どれだけの誠意を示すか」が読み取られてしまうのだ。

 

 

座席に映し出される序列

葬儀の場で最もわかりやすく序列が表れるのは座席だ。
最前列には故人に近い幹部や親分筋が座り、その周囲を取り巻くように幹部たちが配置される。
下位の者や外部のつながりが浅い者は、自然と端や後方へ追いやられる。

業界の人間は誰がどこに座っているかを一目見ただけで、組織間の力関係を読み取る。
つまり、席順そのものが“権力地図”の縮図になっているのである。

 

 

花輪・弔電は「見せ物」

会場の外にずらりと並ぶ花輪や、読み上げられる弔電もまた、裏社会独自の“挨拶”だ。
誰がどれだけ出したかで交際範囲の広さや関係性が可視化される。
これは遺族への弔意であると同時に、「我々はこの組と深く結びついている」というメッセージでもある。

 

 

警察の視線もまた一興

裏社会の大規模な葬儀となれば、警察が張り付くのも恒例だ。
参列者をチェックし、席次や香典の額から人間関係を洗い出す。
そのため、主催側も“見せ方”を意識せざるを得ない。
弔事であると同時に、警察への無言のパフォーマンスでもあるのだ。

 

 

故人の家族の対応

故人の妻や子どもたちは、弔問に訪れる人々ひとりひとりに深々と頭を下げていた。
しかし、その表情には複雑さがにじむ。
参列してくるのは古い仲間や兄弟分だけではない。組織の大幹部、時に対立関係にある人物までもが弔問に訪れる。

家族は誰に対しても差をつけず、ただ「ありがとうございました」と繰り返す。
それが唯一許される立ち位置であり、余計な言葉を口にすることは禁物だった。
もしも言葉尻や態度で“誰を特別扱いしたか”が伝われば、それは遺族にとって思わぬ火種になりかねない。

子どもたちは無言で焼香に訪れる人々に頭を下げ続け、その姿に参列者もまた静かに頷く。
遺族と参列者の間には、弔いの空気と同時に、言葉にできない緊張感が流れていた。

 

 

一般社会との違い

一般社会では葬式は「故人を偲ぶ場」であり、礼儀と弔意がすべてだ。
だが裏社会においては、それに加えて「序列の確認」「義理の証」「示威行為」が色濃く加わる。
香典袋の名義、座席の配置、花輪の数──そのすべてが暗黙のメッセージを担っている。

 

 

葬式は本来、静かに故人を送るための儀式である。
だが、裏社会においては同時に「組織の力を誇示し、義理を果たし、序列を浮かび上がらせる場」でもある。


一般社会から見れば奇妙に思えるその作法も、彼らにとっては“絶対のルール”なのだ。

 

 

 

これは、私が直接ある人物から聞いた話だ。
裏社会を生きてきた男が「一生忘れられない」と語った“恩義”の記憶である。

 

 

ある若い衆がまだ半端者だったころ、敵対組織との諍いで深手を負い、血まみれのまま路地裏に倒れ込んだ。
逃げる力もなく、このままでは命が尽きる――そう覚悟したとき、通りかかったのは一人の堅気の老人だった。

 

老人は恐らく倒れている人間が「そうゆう」人間だと気づいており、なにかしら「そうゆうこと」があったことは気づいていただろう。

 

ただ考えるよりも、「このままじゃ死んでしまう」と察知し、自然と体が動き、自分の軽トラックに若い衆を担ぎ上げ、夜を徹して病院へ走った。


病院に着くとリスクがあるにもかかわらず躊躇わずに「事故で怪我をした知り合いだ」と医師に説明し、自分の名前で保証人にまでなった。
もし警察に余計な疑いを持たれれば、老人自身が面倒に巻き込まれかねない。
そんなことはわかっていながらも、老人は迷わず、目の前の命を救うことを選んだ。

 

 

結果的に若い衆はその夜、命を拾った。

 


その後、助けられた若い衆は、老人に正体を明かすこともできず、ただ「二度と忘れない」と心に誓ったという。老人も深くは聞かずにただ無事を喜んだ。

 

年月が経ち、老人が病を患ったとき、まわりまわって噂が届いた。

なぜここまで情報が回ってきたかは分からないが、若い衆は何か運命的なものを感じた。

そして必ず恩返しをしなければいけないと、今度は若い衆が動いた。
名前を出すことはできない。
だが匿名で医療費を肩代わりし、必要な世話を影のように支え続けた。
老人は「どこの誰か知らないが、この歳になっても人の情けに助けられるとは」と感謝の言葉を残した。

 

 

裏社会の人間にとって、義理はときに仲間よりも堅気に強く向けられる。
とりわけ「命を助けられた」という借りは、生涯消えることがない。
それは法律でも掟でもなく、人間の根底にある“忘れ得ぬ恩”だからだ。

人は誰しも、命を救われた経験があれば「何があっても返さなければならない」と感じるだろう。


裏社会の人間にとっても、それは変わらない。
違うのは、その返し方が「匿名の大金」や「影の支え」といった、独特の形を取るという点だけだ。

 

 

 

今日はちょっと、裏社会と携帯電話の文化について話そうと思う。

もちろん話せる範囲で、だ。


普段は何気なく使っているスマホや携帯も、反社会的勢力の人間にとっては「ただの便利な道具」では済まされない。


契約ができない、足がつく、証拠が残る――そうした理由から、彼らは長いあいだ独自の使い方や調達ルートを編み出してきた。
今回は「飛ばし携帯」や「沈黙の電話」といった、一般の人には耳慣れない言葉を手がかりに、その世界をのぞいてみたい。

 

 

まず、飛ばし携帯とは何かーーー

「飛ばし携帯」とは、本人確認をすり抜けて契約された携帯電話のこと。
たとえば、

・他人の身分証を不正に使って契約

・架空名義(存在しない人物)で契約

・すぐに転売する目的で大量に契約

こうして作られた携帯は契約者本人に責任を追わせることができず、「足がつきにくい」という理由で、詐欺グループや裏社会で好まれてきた。
一方、一般人にとっても「飛ばし携帯」という言葉はニュースで耳にするが、実態はあまり知られていない。

本来、暴力団関係者は携帯電話会社の契約を断られることが多い。
2000年代以降、各社は「暴排条例」に基づき契約を拒否する仕組みを整えており、表向きは正規の手段で契約が難しい。

そのため、反社のような人たちが利用するのは次のような調達ルートだとされる:

  1. 第三者を介した契約
    組織に直接関係のない人間に契約させ、端末とSIMを渡させる。
    名義上は「一般人の契約」であるため、足がつきにくい。
  2. 闇ルートでの購入
    不正契約や未払いで止まったSIMカード・端末を転売する「闇ショップ」。
    昔は歌舞伎町や大阪ミナミなどで堂々と売られていた。
  3. 海外SIMの利用
    外国人名義や海外で発行されたSIMを使う。
    ローミングで国内でも使えるため、追跡は煩雑になる。

もちろん、これにかかわった人物たちも法律で罰せられる。

反社会的勢力に「協力」したことになり、今後もマークされるのは目に見えている。

最悪の場合、手を貸した本人たちも契約関係はできないような状態に陥ることもある。

 

 

そして一時期、最も使われたのが「プリペイド式携帯」。
コンビニでカードを買ってチャージすれば契約不要で利用できるため、裏社会の御用達だった。
しかし2005年前後から、プリペイド携帯にも本人確認が義務化され、急速に姿を消すことになった。

 

調達した携帯は、必ずしも「会話」に使われるわけではない。
特に裏社会では「沈黙の電話」と呼ばれる習慣がある。

・相手からの着信に出るが、声を出さない

・一定時間の沈黙で「確かに出た」と確認

・用件は直接会うまで話さない

つまり携帯電話は「呼び鈴」や「存在確認」にすぎず、重要な内容は対面でしか話さない。

 

LINEや暗号化アプリの普及で、若手はスマホを日常的に使っている。
ただし痕跡が残りやすく、摘発につながることも多い。
結果的に、古参は「通話は避ける」「文字は残すな」という鉄則を守り続けており、
最新のスマホを持ちながらも、その使い方はどこか時代に逆行しているのが実態だ。

 

今回紹介したのは、裏社会の携帯文化のほんの一端にすぎない。


技術がどれほど進化しても、彼らは常にその隙を突き、抜け道を探し続ける。
それは一般人にも捜査関係者にも容易に解けない謎であり、だからこそこの世界は、いまも私たちの社会の“裏側”に静かに息づいている。

 

 

 

裏社会には「親分・子分」という呼び方がある。
単なる上下関係ではなく、時に“親子”にも似た絆を意味する。

 

 

ある事件の現場。
組の若い衆がトラブルに巻き込まれ、警察の目が及ぶ寸前だった。
そのとき、親分は静かに言葉を残す。

「これは俺がやったことにする。お前はまだ若い。やり直せ」

その一言とともに、自ら警察署の扉を開き、罪をかぶって出頭する。
背を向けて歩き去る姿は、あたかも父親が子を守るかのように映る。
残された若い衆は、重くも温かいその義理を胸に刻むことになる。

 

守られた若い衆は、その場では「救われた」と感じる。

しかし時間が経つにつれ、別の感情が芽生える。

 

――自分は何もできず、親分に尻拭いをさせた。

――“男”としての責任を果たせなかった。

 

その思いは劣等感として重くのしかかる。

さらに「親分がここまでしてくれた以上、自分は一生この絆から逃げられない」という恐怖も加わる。

守られたはずなのに、その恩義が鎖となって背中に食い込むのだ。

 

 

裏社会で「義理」と呼ばれるものは、同時に「縛り」でもある。

助けられた恩は、一生をかけてでも返さねばならない。

若い衆は外の世界に戻る道を断たれ、組織の中で生きるしかなくなる。

 

 

そしてここには、一つの矛盾がある。
裏社会には「刑務所に入ってこそ一人前」という風潮がある。
服役経験は“男の勲章”として語られ、むしろ子分に刑務所を経験させることが組の論理にかなう場合すらある。


それにもかかわらず、親分が子分をかばって出頭するのはなぜか。

そこには“二つの計算”が交錯している。
ひとつは、人情としての「若い者の未来を守る」という思い。
もうひとつは、組織にとっての「将来の駒を残す」という現実的な判断だ。
親分自身はすでに刑務所を経験しており、今さら勲章が一つ増えても立場は揺るがない。
だが、若い衆を失えば組の未来は痩せ細る。

 

 

一方で、同じ状況でも親分があえて子分に刑務所へ行かせる場合もある。
「お前も一度は塀の中を見てこい。そこで初めて一人前だ」と突き放すやり方だ。
この場合、服役経験が子分にとって“箔”となり、出所後の組内での立場が強まる。
組の論理からすれば、むしろ合理的な判断とも言える。

つまり、親分が自ら罪をかぶるか、それとも子分に刑務所を経験させるかは、その時々の状況と子分の将来性をどう見積もるかによって変わる。
どちらの判断も矛盾をはらみながらも、それぞれに裏社会の論理が働いているのだ。

 

社会的に見れば、いずれも真実をねじ曲げる行為であり、決して推奨できる行為ではない。
だが裏社会の内側では、義理と合理、愛情と計算が同居する独特の価値観として存在している。

 

外の世界から見れば歪んだ忠誠にも映る。


しかし、その矛盾を抱え込むことこそが、裏社会の人間関係を形づくる要素なのである。

 

 

 

 

 

刑務所を出た人物が「真面目に働いています」と世間にアピールする場面は珍しくない。


実際、私の周囲にもそういう人間が何人かいた。

彼らは役所に提出する就労報告書をきちんと整え、近所の人に「更生したんだ」と思わせるように振る舞う。

だが、その姿の裏に“別の顔”が潜んでいることもまた事実だ。

 

 

表の仕事として選ばれるのは、外から見て「汗水流す真面目な労働」とわかりやすい職種だ。

最も多いのが、建設現場や解体業での日雇い仕事だ。
ヘルメットをかぶり、鉄骨を運び、汗だくで働く姿は「更生」を象徴するものに映る。
しかし、この業界は下請け構造が複雑で、現金払いも多い。
賃金の一部を組織に流したり、現場を通じて産廃処理の利権に関与したりと、“裏”に繋げやすい余地が残されている。

 

トラック運転手やタクシー運転手に就く者も少なくない。
「運ぶ」という仕事は、表向きには生活を支える真っ当な稼業だ。
だが同時に、裏のネットワークでは「情報や物資を運ぶ」役割とも結びつきやすい。
顧客や荷物に紛れて裏取引の品を動かす、あるいは移動ルートや土地勘を活かして仲間内の連絡役になる──そうした使い方が可能になるのだ。

 

 

飲食店の店員やバーテンダーとして働く姿もよくある。
昼は厨房で皿を洗い、夜はカウンターで酒を出す。
その場には自然と多くの人間が出入りし、耳に入る情報も多い。
店そのものが「出会いの場」として利用され、裏取引の接点になることも珍しくない。
さらに店の売上帳簿を操作すれば、資金の出入りを隠すための“マネーロンダリング装置”にもなり得る。

 

 

近年増えているのが清掃業や介護職といった分野だ。
求人が多く、社会復帰の象徴として受け止められやすい。
しかしこの種の職場は、地域の細かい情報に触れやすいのも事実だ。
例えば介護施設に出入りすることで、利用者の資産状況や家族関係が耳に入る。
清掃業でも、普段は立ち入れない場所に自然に出入りできるため、裏のネットワークでは「目と耳」としての価値を持つ。

 

 

「真面目に働いています」という姿は、世間に対しては「足を洗った」という免罪符になる。
一方で組織の人間に対しては「俺は社会に適応しながら、まだ動ける」というシグナルにもなる。
更生アピールは、社会と組織という二つの相手に対して同時に放たれるメッセージなのである。

 

 

こうして見ると、どの仕事も「真面目に働く」姿を演出するだけでなく、裏の動きにリンクする回路を秘めている。


つまり表の仕事は単なるカモフラージュではなく、社会的信用を得ながら、裏の活動を支える装置にもなっているのだ。

 

 

 

 

これは俺が直接体験したことじゃない。

けど、昔つるんでた古い知り合いが、酒の席でポツリと話してくれた話だ。

作り話にしちゃリアルすぎて、いまでも耳に残ってる。

 

その男は若い頃、いわゆる“向こう側”にいた。

だが、40過ぎで足を洗い、地元を出て、地方で名前を変えて、普通のサラリーマンに収まった。

家庭もできて、近所からは「真面目な父親」なんて評判もあったらしい。

 

そんなある晩、自宅の電話が鳴ったんだと。

受話器を取ると――沈黙。相手は何も言わない。ただ呼吸なのか雑音なのか、かすかな気配だけが残る。

 

 

最初はイタズラだと思った。けどそれは一度きりじゃなく、日を置いて何度も繰り返された。

番号を変えても、しばらくするとまた鳴る。しかも今度は携帯の方まで。

その頃から街を歩いてても、背中に目を感じるようになったらしい。

コンビニに行けば、駐車場に怪しい黒い車。

ある晩には、その車がわざわざ自宅の前をゆっくり通り過ぎていった。

 

窓は真っ黒で中は見えない。けど、いるんだよ、確実に。

電話は沈黙のまま。要求も脅しもない。ただ「存在を見せつける」だけ。それが逆に怖かったって。

彼はついに、妻子を実家に避難させ、自宅に一人残った。

 

そしてある夜、また非通知の着信。

受話器を取ると、やっぱり無言……のはずだった。ところが最後に、低い声でこう囁かれたんだと。

――「もう帰ってこい」

その一言で、男はすべてを悟った。

家を飛び出し、それっきり行方不明。勤め先にも戻らず、家財道具もそのまま。

残された家族も、行き先は誰一人知らない。

 

 

その後の噂はいろいろだ。

海外に逃げたって話もあれば、古巣に戻ったって声もある。

中には「もう処理された」と囁く奴までいる。

でも確かなのは一つ。沈黙の電話はただの嫌がらせじゃない。

 


――「お前は逃げ切れない」

 


それだけを伝えるための、もっとも無慈悲なメッセージだったってことだ。

 

俺がその話を聞いたとき、笑い話みたいに言ってたけど、声の奥にぞっとする影があった。

沈黙の電話。考えるだけで、今でも背中が冷たくなる。

 

 

 

 

 

私が出会った中では、酒の弱い「悪い奴」というのは正直いなかった。

 

盃を交わすときも宴会の席でも、みんな顔色ひとつ変えずにガブガブと飲み干していたものだ。
だが、ある刑務所で聞いた話がちょっと面白かった。そこでは「実は酒にからっきし弱いヤクザもいる」というのだ。

組の宴会で、コップ半分のビールで顔を真っ赤にしてフラフラする幹部。

盃事で日本酒を口にした瞬間、トイレに駆け込む若衆。

中には「アルコール消毒の匂いで酔う」と豪語する極端なタイプまでいたという。

そんな彼らが必死に考え出したのが、“酒に弱いヤクザの工夫シリーズ”だ。

 

 

・ウーロン茶作戦
 盃の中身をさりげなくウーロン茶にすり替える。「兄貴、今日は度数の低いのにしてください」と言ってすり替えるのが定番だったらしい。

・防御戦法
 宴会前に胃薬を飲み、体を守ってから挑む。中には「正露丸を二粒飲むと酔いが回らない」と信じている者もいたとか。

・診断書盾
 医者に「肝臓が悪い」と書かせた診断書をポケットに忍ばせ、宴会で飲み干すフリをしては「先生に止められてまして」と逃げる。

・一撃離脱法
 最初の一杯だけ気合いで一気飲みし、その後は空いたグラスを巧みに立て回して酒を足されないよう立ち回る。

聞いていて思わず笑ってしまうが、彼らにとっては生き残りのための真剣勝負だったのだろう。

 

 

もっとも、酒に弱いことが必ずしも損とは限らない。

すぐに寝てしまうおかげで宴席のケンカに巻き込まれずに済んだ者もいれば、常に素面でいられるため冷静に判断し、抗争を未然に防いだ幹部もいたという。

健康面でも、大酒飲みの兄貴分が肝臓をやられる中、ウーロン茶で過ごしてきた者は年を取っても元気だった。

 

盃を交わすその手が震えていても、義理と人情で組を支えていれば誰も文句は言わない。
――酒に弱いヤクザには酒に弱いなりの知恵と得がある。

 

刑務所でそんな話を耳にしたとき、思わず私の顔は笑顔だっただろう。

 

 

 

裏社会の人間と聞くと、高級クラブや料亭を思い浮かべがちだが、実際に彼らが一番通うのは牛丼チェーンやラーメン屋だったりする。

深夜の牛丼、出前一丁の袋麺、刑務所内の菓子パンの取り合い――。

胃袋だけ見れば、案外庶民的である。

 

 

だが、中には妙に“グルメ通”な強面もいる。

味だけじゃなく、接客や店の雰囲気までチェックし、「ここは皿の出し方が丁寧」「店員が笑顔だからまた行きたくなる」なんて女子大生ばりの感想を漏らす。

怖い顔をして食べログ評論家みたいなことを言うのだ。

 

 

特に面白いのは、おしゃれなバー情報をやたらと知っているタイプ。
ただし本人は絶対に行かない。

「オレが行ったら店に迷惑かけるし、すぐバレるからな」と、紹介専門で終わるのだ。

ところが、その紹介が異常に細かい。


「入口のドアは黒で、右側にカウンターがある。席は奥のソファが落ち着く」
「カクテルはジントニックが一番バランスいい。レモンは絞らない方がいい」
「女を連れて行くなら、まずチョコレート盛り合わせを頼め。そこで話がつながる」

まるで自分が常連で通っているかのように、メニューや席順、さらにはデートの段取りまでアドバイスしてくる。

 

実際に行った若い衆が「本当に言われた通りでした」と報告すると、得意げに「だろ?」と頷くのだから笑ってしまう。

 

 

 

中には、インスタ映えするスイーツの名店をやたら知っている大幹部もいる。

そのくせ本人は甘い物をほとんど口にしない。

どうやら裏社会の情報網は、グルメにおいても侮れないらしい。

 

 

結局のところ、彼らも食や酒にこだわりを持つ“人間”だ。
牛丼をかき込み、刑務所で菓子パンを取り合い、女子顔負けに接客を褒め、おしゃれバーを細かすぎるほどに指南する。――強面たちのグルメ裏話には、恐ろしさよりもむしろ愛嬌が滲んでいる。

 

 

 

 

裏社会に生きる連中は、暴力・金・女――とにかく欲望に忠実で、世間のモラルから大きく外れている。

だが、そんな彼らにも“不思議な正義感”が顔を出すことがある。

そのひとつが「人種差別を嫌う」という一面だ。

 

ある元組員の話によれば、海外に行ったときのこと。

現地のクラブで黒人客に対して差別的な態度をとった日本人観光客がいた。

すると、普段はケンカ腰のその組員が即座に割って入り、「てめぇ、日本人の恥さらすな!」と観光客を叱り飛ばしたという。周囲はポカンとしたが、本人はいたって真剣だったらしい。

 

また、刑務所の中でも似たような話がある。

外国人受刑者に対して陰口を叩くと、意外にも反社系の受刑者が強く咎める。

「オレらだって世間から差別されてきたんだ。あいつらに同じことすんな」と。

普段は喧嘩上等の彼らが、人種差別だけは許さないというのだ。

 

聞いた話で一番驚いたのは、新宿の繁華街での話だ。

道に迷った東南アジア系の観光客が、困った顔で地図を眺めていた。

通行人は素通りするばかりだったが、そこへ入れ墨だらけの大男がズカズカと近づいていった。

「おう、どこ行きてぇんだ?」

当然ながら日本語オンリー。観光客はきょとんとしたが、大男はお構いなしに「こっちの道まっすぐ行って、右だ、右!」とジェスチャー付きで説明を続ける。

英語なんて一言も出てこない。観光客が理解したかどうかは怪しいが、とりあえず感謝の笑顔を浮かべていたという。

 

最後は笑顔で握手を求められ、男は苦笑い。

観光客はさらに「サンキュー!!ピクチャー!ピクチャー!」とスマホを構えたが、「写真なんか残せるか!」と全力拒否。

観光客は「なぜ?ヒーローなのに」と不思議そうな顔をしたらしい。

 

英語が話せなくても、困っている人を助ける。

その素っ気なさの裏には、差別や排除を嫌う彼らなりの筋が通っているのかもしれない。

 

 

もちろん、彼らが聖人君子なわけではない。薬物取引も恐喝も平然とやる。

だが、その一方で「人種差別を嫌う」「困っている外国人には手を貸す」という、人間味を帯びた一線を持っていることも事実だ。

悪人の中にふと垣間見える、妙な正義感。
そこに裏社会の矛盾と、人間の不思議さが凝縮されている。

 

 

 

 

 

「暴力団員はパスポートを持てるのか?」
一見すると単純な問いだが、掘り下げると意外な現実が見えてくる。

 

 

結論から言えば、日本の旅券法に「暴力団員や反社会的勢力はパスポートを発給しない」といった条文は存在しない。

したがって、反社という属性そのものはパスポート取得の直接的な障害にはならないのだ。

 

では、どのような場合にパスポートが発給されないのか。

旅券法第13条などに基づけば、主に以下のケースがある。

・服役中や未決拘禁

・執行猶予や保護観察中で、外務大臣が制限を必要と判断した場合

・出国禁止措置を受けている場合

・過去にパスポートの偽造・不正使用など旅券法違反で処罰された場合

要するに、刑事手続や出国制限に引っかかっていない限り、反社であっても「普通に」パスポートを取得できる、というのが実際のところである。

 

 

ということなので、暴力団がパスポートを作ることができない、ということはない。

 

 

ある元暴力団関係者が、観光名目でロサンゼルス国際空港に到着した。

渡航目的、滞在先ホテルの予約確認書、帰国便の航空券、さらには観光予定表まで揃えており、審査の質問には模範解答で返した。

「What is the purpose of your visit?」には即答で「Sightseeing」。
「How long will you stay?」にも「One week」と自然に返答。

しかし、審査官は無表情のまま端末を確認し、「Come with us」と一言。

 

どれだけ答えを用意していても、裏で名前がリストに載っていれば意味がないのだ。

 

 

別室での尋問と通告

別室では複数の係官が核心的な質問を投げる。

・“Do you know anyone in organized crime in Japan?”(日本の組織犯罪と関わりがあるか)

・“Have you ever been arrested?”(逮捕歴はあるか)

彼が「No」と答えても、係官は冷たく「We already have information.(我々はすでに情報を持っている)」と突きつける。最終的に「You are not eligible to enter the United States.」と告げられ、入国拒否が確定する。

 

 

待機と帰国

その後は空港の待機室で一夜を明かすことになる。自由はなく、椅子や簡易ベッドで時間を潰すしかない。

翌日の便で強制送還される。

 

航空券代の扱い

・往復チケットを購入していた場合 → その復路便に乗せられる。追加負担はない。

その場で日程の変更をさせられるのだ。

・片道しか買っていなかった場合 → 航空会社が復路便を手配し、その費用を本人に請求する。

クレジットカードがあれば即時決済、なければ未払いの債務として残る。

つまり「送り返すコストは税金ではなく本人か航空会社が負担する」仕組みになっている。

 

日本入国の扱い

日本到着後は、あっさりしたものである。日本国民である以上、入国拒否はできない。入国審査官は「おかえりなさい」と通すだけだ。
ただし、入国拒否された情報が警察や入管に共有されていれば、税関や警備担当から別室で事情を聞かれる可能性はある。

 

 

国境の壁は想像以上に高い

このように、完璧に答えを準備しても、情報共有の壁は突破できないのが現実だ。

無論、噓をついて入国しようとした本人に責任があり、本記事はそれを推奨しているものではない。

さらにアメリカに入国できなかったこの元暴力団員は、今後一切、アメリカに入国することができなくなる。

これはアメリカの判断にはなるが、入国時に必要なESTAの登録に「嘘」を入力したからである。

このような履歴が残ると、今後一切アメリカに入国できなくなる可能性が大いに高くなる。