夕方、町の公民館に集まる子どもたち。ランドセルを背負ったまま駆け込み、カレーライスの香りに笑顔を見せる。

食器を抱えて並ぶ姿はどこにでもある微笑ましい光景だ。

 

無料で温かいご飯を食べられる――地域の「子ども食堂」は、いまや日本各地に広がる善意の象徴となっている。

 

 

だが、その裏で驚くべき事実が明らかになった。

近年、ある子ども食堂を運営していたNPO法人の実態が、反社会勢力の資金源だったということが分かったのだ。

 

NPO法人を立ち上げたのは、表向きは「地域貢献」を掲げる人物A氏。

しかし警察の内偵によって、背後には暴力団関係者の影があることが判明した。

集められた寄付金や行政からの補助金の一部は、子どもたちの食事や学習支援ではなく、裏社会に流れていたのである。

 

なぜA氏に対して内偵が始まったのか。きっかけは、資金の流れに不自然さがあったからだ。
NPOの代表理事が高級車を乗り回し、繁華街で豪遊している姿がたびたび目撃された。

 

また、寄付金の収支報告に曖昧な点があり、「活動規模の割に金が余りすぎている」と金融機関から不審情報が警察に寄せられていた。

さらに、ある下請け業者を通じて、過去に反社との接点がある人物の名前が浮かび上がったことも、捜査を動かす決め手となった。

 

 

地域の人々は信じられなかった。

子どもたちが「おかわり!」と声を弾ませ、ボランティアが笑顔で給仕をする――その光景の裏で、黒い金の流れが潜んでいたなど、誰が想像できただろうか。

 

 

なぜ反社が子ども食堂に目をつけたのか。

その理由は明快だ。NPO法人は設立のハードルが低く、「社会貢献」という看板は世間の信用を得やすい。

銀行口座も簡単に開設でき、寄付金や補助金は堂々と合法的に動かせる。つまり、資金洗浄や裏金の隠れ蓑にうってつけなのだ。

 

 

もちろん、ほとんどの子ども食堂は善意によって支えられている。だが、ごく一部に“裏社会の手口”として利用されるケースがあることは、現実として押さえておかねばならない。

 

無邪気にスプーンを握りしめる子どもの笑顔と、背後に潜む反社の影。

その落差は、あまりにも大きい。社会の善意の象徴すら、裏社会は食い物にしてしまうのだ。

 

 

 

 

今日は少しぞっとする話をしようと思う。

こんなことがありえるのか、あっていいのか。そんな事件だ。

 

 

数年前に地方都市で小さな建設業を営んでいた男性。

公共工事の受注が減り、資金繰りに窮した彼は、知人の紹介で“表に出ない金”に手を出した。

提示された条件は、銀行融資とは比べ物にならない高金利。

 

しかし、借用書を交わす際には、きちんと金額や返済期日が記載され、自分の署名押印もある。

「これならいざとなれば裁判所で証明できる」――そう考えた彼は、わずかな安心感を抱いたという。

 

 

異変が起きたのは返済期限が迫った頃だった。
事務所の机の引き出しに保管していたはずの借用書が、忽然と消えていたのである。

代わりに見つかったのは、一枚の白紙に、自分の実印だけがくっきり押された紙。

慌てて貸し手に連絡すると、返ってきた言葉は冷ややかだった。

 

「証文はこっちにある。額は倍になってる。文句あるか?」

 

つまり、彼の印鑑を利用して“書き換えられた借用書”がすでに用意されていたのだ。

紙は証拠になるどころか、逆に縛る道具へと変貌していた。

 

 

裏社会に詳しい関係者は解説する。
「借用書を交わすと、借り手は“法的に守られている”と錯覚する。しかし裏の金融は、最初からその心理を逆手に取っている。白紙に署名や印鑑を押させてから、後で好きに数字を書き込むのは常套手口だ」

借り手が“安心感”を得る瞬間こそが、実は最も危険なのだ。

 

男性は返済期限を過ぎると、毎晩のように督促を受けた。最初は電話、次に事務所や自宅への訪問。

やがてポストには黒い封筒が投げ込まれるようになった。中には、延滞料を上乗せした請求書。

額面は雪だるま式に膨らんでいった。

 

「返せないなら、家族に払ってもらおうか」


そう言われたとき、男性は完全に追い詰められたという。

 

結局、彼は事業を畳み、夜逃げ同然で街を去った。

数か月後、知人を通じて消息が伝わったが、ほどなくして再び連絡が途絶えた。いまも行方は分からない。

 

 

裏金融に詳しいジャーナリストは指摘する。
「借用書は“守り”のための紙ではない。彼らにとっては“首輪”でしかない。裏金に手を出した時点で、債務者は自分の未来を差し出したようなものだ」

 

 

表に出ることのない“消えた借用書”の話は、都市伝説のように各地で囁かれている。しかし、その背後には実際に人生を失った人々の影がある。

 

 

 

 

表の顔は“優良企業”

都心に本社を構えるA社は、外から見れば健全そのものだった。
業種は建設資材の販売。大手ゼネコンとも取引があり、業界誌にも「急成長ベンチャー」として取り上げられたほどだ。


社員数も100名を超え、従業員にとっては安定した職場に見えた。

だが、その裏には見えない影があった。
A社は実は特定の暴力団組織と密接につながっており、設立資金の一部は組の資金から流れ込んでいたのである。

 

事態が動いたのは、銀行による取引審査だった。
2010年代以降、金融機関は反社会的勢力との取引遮断を強化していた。
A社の代表が過去に暴力団関係者と同じ名義で口座を持っていたことが判明し、銀行側が「反社チェック」に引っかけたのだ。

 

そこから警察と都の暴力団排除担当部署が動き、資金の流れを洗い出すと、裏社会との関与が次々に浮上。

・売上の一部が組幹部の個人口座へ送金されていた

・下請け会社の中に、組関係者が経営する企業が複数あった

・立ち退き交渉の現場で、社員が「威圧的な行為」を行っていた

これらが報道で一斉に明らかにされ、A社は一夜にして“暴力団フロント企業”として名前を晒されることになった。

 

 

暴力団との関係が表沙汰になった瞬間、取引先は一斉に契約を打ち切った。
特に大手ゼネコンや公共事業関連は、反社会的勢力との関係が一点でもあれば致命的だ。

銀行も融資を停止し、口座を凍結。
社員の多くは生活のために退職を余儀なくされ、会社は事実上の倒産に追い込まれた。

A社の経営陣は「知らなかった」「一部の役員が勝手に関わっていた」と弁明したが、裏帳簿の存在が押収され、その言い訳は通じなかった。

 

フロント企業は表向き健全であっても、裏の資金や人脈との結びつきはどこかで必ず痕跡を残す。
そして、金融機関や自治体、取引先企業によるチェックが年々厳しくなる中で、**「いずれ発覚する」**のが現実だ。

 

A社が廃業に追い込まれた背景には、裏社会と表社会の曖昧な境界線がある。
一時的には繁栄しても、暴力団の影を抱えた企業が長期的に生き延びることは難しい。

 

「表の顔」を持たざるを得ないヤクザと、目先の利益に手を伸ばした企業――


その結末は、必ず社会的な崩壊とともに訪れる。

 

 

 

 

 

「裏社会」と一口に言っても、そこには異なる勢力が存在する。
伝統的な組織犯罪集団であるヤクザと、90年代以降に台頭した半グレ

両者は似て非なる存在であり、時に敵対し、時に手を組むという複雑な関係にある。

 

 

ヤクザと半グレの基本的な違い

まず大前提として、ヤクザと半グレは組織構造がまったく違う。

・ヤクザ:盃による上下関係、家族的ヒエラルキー、縄張りとシノギのルールが存在する。暴対法により厳しく監視され、名前や組織は公に知られている。

 

・半グレ:固定した組織や序列がなく、仲間内のノリや利害関係で結束する。解散と再結成を繰り返し、法律的に「団体」と認定しにくい流動的な集団。

 

この違いが、両者の「対立」と「共存」を生み出す土壌になっている。

 

 

対立するケース

ヤクザから見れば、半グレは“無秩序な若者集団”に映ることが多い。
ヤクザ社会には一応の「筋」があり、縄張りを荒らせば抗争につながる。しかし半グレはそのルールを共有しない。

実際に、2012年ごろ関西で起きた事件では、半グレ集団が繁華街のクラブでトラブルを起こし、地元の暴力団と衝突。

暴行事件や報復合戦に発展し、双方が摘発される事態となった。
また、振り込め詐欺をめぐってヤクザと半グレが利益の分配で揉め、半グレ側が「上納金を納めない」と突っぱねたことで抗争寸前までいった例もある。

半グレにとっては「しがらみを嫌う自由さ」が武器だが、ヤクザにとっては「秩序を乱す厄介者」にほかならない。

 

 

共存するケース

一方で、利害が一致すれば共存関係に入ることもある。
半グレはヤクザほど警察の監視を受けていないため、ヤクザにとっては“便利な外部人材”になりうるのだ。

典型例が、特殊詐欺グループ。首謀者は半グレで、資金の流れを管理するのはヤクザ――という分業が珍しくない。

実際、2010年代後半には関東で摘発された大規模な詐欺事件で、半グレが「かけ子・受け子」を動かし、その上で得た資金をヤクザのフロント企業に流す構図が明らかになった。

 

また、ナイトクラブ経営や違法カジノなどでも、半グレが表に立ち、ヤクザが裏から資金回収するという形で“共存”している例が複数報道されている。

 

結局のところ、ヤクザと半グレは対立と共存を繰り返している。
暴対法で締め付けられたヤクザが、半グレの柔軟さに依存する場面も増えているし、半グレも「後ろ盾」としてヤクザを利用する。
両者の関係は流動的であり、完全な敵対でも、完全な融合でもない。

 

 

要するに、ヤクザは看板と伝統”を持ち、半グレは“自由と無秩序”で動く。
そして裏社会は、その二つがぶつかり合い、ときに絡み合いながら成り立っているのだ。

 

 

 

恐怖と威圧の“見せ札”

入れ墨がまず持つのは、「恐怖の記号」としての役割だ。
背中一面に彫られた絵柄をちらりと見せるだけで、相手に「関わるな」という無言のメッセージを送ることができる。
特に昭和の時代までは、背中の彫り物を見せることそのものが、ヤクザの威信を示すシンボルだった。

 

 

組織への帰属と忠誠の証

もう一つ重要なのは、「仲間として生きる覚悟」の表明である。
一度入れ墨を彫れば、簡単には消せない。
「これで堅気(一般人)の生活には戻れない」という決意を刻むことで、裏社会での一体感を強め、裏切りを防ぐ効果もあった。
組によっては、特定の図柄や色使いにルールがあり、統一感そのものが団結を示す。

 

 

痛みを通じた“通過儀礼”

全身に彫り物を入れる作業は、想像を絶する苦痛を伴う。
それに耐えたこと自体が「男の度胸」「侠(きょう)の証し」とされ、仲間内での評価につながる。
つまり入れ墨は単なる装飾ではなく、修行や試練としての意味合いも強い。

 

図柄に込められた意味

龍、虎、観音、地獄絵図など、彫られるモチーフにはそれぞれ意味がある。

・龍や虎:力と支配の象徴

・観音や菩薩:悪行を重ねる中で“救い”を求める心情の反映

・桜や牡丹:散り際や華やかさを人生に重ねる意味合い

こうした図柄は、本人の人生観や願いを背負う“もう一つの顔”でもあった。

 

現代における入れ墨の立ち位置

近年では、暴力団排除条例や社会の目も厳しく、若い世代のヤクザで全身に入れ墨を入れる者は減少している。
むしろ「目立たない方が動きやすい」として、スーツ姿で一般人に溶け込むスタイルが主流になりつつある。
それでも、古い世代の親分衆にとっては入れ墨は「消せない名刺」であり、組織の歴史や文化を象徴する存在であり続けている。

一方で、現代社会では「入れ墨=ヤクザ」という図式は少しずつ揺らいでいる。
ファッションや自己表現として“タトゥー”を入れる若者やアーティストが増え、特に海外では当たり前の文化として受け止められている。

ただし日本では依然として公共施設や温泉での入場制限があるなど、“タトゥー=反社会性”という古いイメージは根強い。

つまり今の日本では、「文化」と「烙印」が同居している状態だと言えるだろう。

ヤクザにとっての入れ墨は、裏社会の象徴としての意味を持ち続けるが、一般社会のタトゥーは「自己表現」として別の道を歩んでいる。
その境界線が少しずつ曖昧になりつつあることが、現代の特徴とも言える。

 

 

日本ではタトゥーは「温泉に入れないチケット」のような扱いを受けがちだ。

日本の入れ墨は「格好いい」よりも「社会的ペナルティ」の側面が強い。

一方で海外に目を向けると、その解釈は国ごとにだいぶユニークだ。

アメリカ
ハリウッド俳優やNBA選手は、体をキャンバスにして自己表現。
しかし同じ国の刑務所では、「涙の一滴タトゥー=殺人歴」というブラックジョークみたいな意味もある。
要は、スタジアムではファッション、刑務所では履歴書。

 

ポリネシア
サモアやタヒチでは、タトゥーは神聖な通過儀礼。
若者が痛みに耐えて彫り上げる姿は「成人式」そのもの。
ただし痛みのあまり泣けば、「お前まだ子どもだな」と村中にからかわれるというオチ付きだ。

 

韓国・中国
かつては「不良」の代名詞だったが、最近はK-POPアイドルも小さなタトゥーを披露。
若者の間では「刺青=悪」より「タトゥー=おしゃれ」が優勢になっている。
ただし親世代にはまだ理解されにくく、「そんなもの入れたら就職できんぞ!」と説教されることもしばしば。

 

ヨーロッパ
アートと身体表現の延長線上にあり、街中に「タトゥーが無い人」を探す方が難しい国もある。
イギリスのパブでは、タトゥーがむしろ会話のきっかけになるくらいだ。

 

 

同じインクでも、日本では「お風呂お断り」、アメリカでは「犯罪歴の暗号」、ポリネシアでは「大人の証明」、ヨーロッパでは「雑談のネタ」。
要するに、タトゥーは国境を越えると意味がガラリと変わる


だからもし世界旅行を計画しているなら、自分のタトゥーが「芸術作品」と見られるのか「前科あり」と解釈されるのか、ちょっと気をつけた方がいいかもしれない。

 

 

 

毎年数万人を動員する国内最大級の音楽フェスE。
今年も海外アーティストを含む豪華ラインナップが発表され、チケットは即日完売するほどの人気ぶりで、SNSでも注目されていたものだった。
だが、開催予定の1か月前に主催者は突如「諸事情により開催中止」と発表した。

 

 

 

突然のスポンサー離脱の理由

後に関係者の証言で浮上したのは、「反社チェック」での問題だった。
フェスを主催する運営会社の取引先に、暴力団の資金が流れ込んでいる可能性があるとスポンサー側が指摘があり、調査が入った。

大手飲料メーカーをはじめ、複数のスポンサーが一斉に撤退したのだ。

 

 

イベント運営側が最初に受け取ったのは「スポンサー契約解除」の短いメールだった。だが裏で何が起きていたかを辿ると、単純な「一件の不祥事」ではなく、複数のチェックが段階的に“赤信号”を点滅させた結果だった。

 

1) ルーティンの最終デューデリジェンスで最初のアラート

大手スポンサーC社は、開催直前の最終承認プロセスとして外部のコンプライアンス部門に再チェックを依頼していた。そこで使われたのは、民間の反社情報データベースと過去のメディア検索の組み合わせである。
最初にヒットしたのは、C社が長年マーケティング案件を外注していた下請け企業の名前だった。データベースには、その企業の役員に「過去に暴力団関係者と名義を共有していた」という注記が残っており、これが一次的な赤旗となった。

 

 

2) 実質所有者の不整合

疑念を受け、C社のコンプライアンス担当は外部のKYC(顧客確認)業者に依頼して実質所有者の追跡を行った。すると下請け企業の持ち株構造に、海外の小規模なシェル会社を介した回路が見つかる。
過去に「フロント企業」とされた企業群と登記情報が部分的に重なっていたことが確認され、これが「間接的に反社とつながる可能性あり」と評価される決定的な要因になった。

 

3) 過去記事・内部告発の断片的情報が結びつく

さらに調査を続けると、数年前の地方紙の古い記事や匿名掲示板の断片的な書き込みが、それらの企業名や個人名に結びつくことが明らかになった。単発では証拠に乏しいが、登記情報、取引履歴が重なり合わせることで「線」が見え始める。
社内のリーガル部と相談した外部弁護士は「将来的な報道リスク、行政調査リスクが高い」と判断した。

 

4) 法務部門・取締役会の“ブレーキ”

ここまででC社は社内の最終会議を開き、弁護士のリスク評価を受けた。弁護士は「現時点で確定的な違法行為の証拠はないが、履歴としての“つながり”が複数ある以上、スポンサーを続けることは重大な評判リスクを伴う」と助言。
取締役会は、株主や取引先の信頼を守るためには即時の対応が必要だと判断し、契約解除を指示した。

 

5) 最終決断と現場の混乱

契約解除の通知は迅速に出され、会場からスポンサー露出物の撤去、広告差し替え、プレス対応が始まった。主催側は数千万円規模の差し替え費用やイメージダウンのコストを被ることになったが、C社は「将来的リスクの拡大を避ける」選択を優先した。内部では「たとえ過去の関係だとしても、感情的な世間の反応が致命傷になる」との判断が強かったという

 

 

 

出演者・ファンへの余波

アーティスト側も「反社絡みのフェスには出られない」として次々に出演を辞退。
結果的に、予定されていたイベントは完全に白紙化された。

チケットの購入者などからは「チケット代を返せ」「楽しみにしてたのに」というファンの声が爆発。運営窓口はパニックに陥った。

キャンセルによって会場の設営費だけでなく、海外アーティストからの信頼、損害賠償、責任は重くのしかかった。

それだけでなく、フェスのVVIP席を確保してもらい、SNS上にそのことを自慢していた参加者からは、「私自身まで反社とかかわりがあると疑われることになった。慰謝料を支払え」などといわれる始末。
さらに「音楽フェスにまで反社が入り込むのか」と社会的な不信感が拡大した。

 

 

 

 

 

数回の裁判が続き、判決が確定。刑務所に送られる――。


その瞬間に感じるのは、日本でも海外でも同じく「ここから日常が断ち切られる」という絶望だった。
ただ、門をくぐった先に広がる光景は、国ごとにまるで別世界だ。
私が身をもって体験したのは、規律に縛られる日本の刑務所と、暴力や無秩序が支配する海外の刑務所

 

同じ「刑務所」でありながら、そこにはまったく違う現実があった。

 

 

▶日本の刑務所 ― 規律と沈黙の世界

日本の刑務所でまず驚かされるのは、徹底した規律だ。
起床時間、食事、作業、入浴、就寝――すべてが細かく時間割で管理され、囚人同士が無駄口を叩くことも許されない。

刑務官の号令に従って一糸乱れず動く日々。そこには暴力も派手な争いも少ないが、代わりに「無言の重圧」がある。
私はこの規律を守る生活の中で、心まで石膏で固められていくような窒息感を味わった。
外に出たときよりも、むしろ中での沈黙に精神を削られた、と言っていい。

 

 

▶ある国の刑務所 ― 集団と監視の中で

私が海外で収監されたある国の刑務所では、日本とは全く違う景色が広がっていた。
高い塀の内側には広い運動場があり、囚人たちは決められた時間になると一斉に集められる。
そこでは会話や笑い声も飛び交い、日本のような「沈黙」はない。

囚人同士が小さなグループを作り、互いに牽制し合う。看守は表面上は穏やかだが、監視の目は鋭い。
規律と自由が奇妙に入り混じり、気を抜くとすぐに孤立する危うさがあった。

だが、ここで感じたのは貧富の差だ。お金があれば比較的なんでも購入でき、豊かな生活が送れる。上下関係も、お金があれば難なく解決できる。

これを買ってやるから、これをしてくれ、などの取引なんていうものは日常茶飯事だ。

 

 

▶世界各地の刑務所 ― 聞いた話から見えた差

ここで、ほかの収監者から聞いた話も書いておこう。世界中の刑務所は、いったいどのようなものなのか。

 

●北米

・アメリカでは「ギャング文化」がそのまま刑務所に持ち込まれる。

・肌の色や出身地ごとに派閥が分かれ、命の危険を避けるためにはどこかに属さざるを得ない。

・暴力が日常化しており、「生き残ること」が第一の目的になる。

 

●中南米

・刑務所の中が実質的に囚人の支配下にあるケースも多い。

・武器や麻薬が流通し、看守も買収される。

・まるで「塀の中にもうひとつの街」が存在するような混沌とした環境だ。

 

●東南アジア

・収容人数が多すぎ、ひとつの部屋に何十人も押し込められる。

・食事や衛生状態が劣悪で、病気が蔓延することもある。

・生き延びるには、看守や他の囚人との「関係づくり」が不可欠。

・必要不可欠な備品(トイレットペーパーなど)がないのが当たり前。犯罪者には人権もない。

 

●欧州

・比較的「更生」に重きが置かれている国が多い。

・教育プログラムや職業訓練が充実しており、再び社会に戻ることを前提とした仕組みが整っている。

・ただし国によって差は大きく、東欧の一部には劣悪な環境が残っている。

 

 

▶刑務所は「国の姿」を映す鏡

日本の刑務所が「規律」を体現しているように、ある国の刑務所では「集団と監視の均衡」が日常を形作っていた。
北米では暴力が、南米では無秩序が、東南アジアでは過密が、欧州では更生が――刑務所にはその国の社会の縮図が現れる。

 

私が実際に味わった感覚も、他人から聞いた現場の声も、ひとつの結論に行き着く。
刑務所という“別世界”は、単なる隔離施設ではなく、その国の価値観や矛盾を最も濃く映し出す場所なのだ。

 

 

そして今も、海外の刑務所で生きている人々の声を集めている。
それをまた順次更新していきたいと思う。

 

 

 

 

 

実は私は日本でも海外でも刑務所を経験したことがある。
その中で強く感じたのは、刑務所にたどり着くまでの過程そのものが国によってまったく違うということだ。
取り調べのやり方、弁護士の立場、保釈の仕組み――それらは机上で読むより、実際に身を置いたときに初めて骨身に染みてくる。

 

1. 逮捕 ― 最初の拘束

▶日本
逮捕された瞬間から、外の世界との連絡は遮断される。留置場の狭い空間(人や場所によっては広い空間)に押し込められ、数日が過ぎるうちに時間の感覚は薄れ、「自分がこのままどうなるのか」という不安だけが増幅していく。
最大23日間、警察の管理下に置かれるこの制度は、身をもって体験すると「終わりの見えない待ち時間」に心を削られる。

 

▶海外
一方で海外では、逮捕直後に裁判官の前に立たされる国が多い。数日で勾留か釈放かが決まり、先の見通しが早い。私が経験した国でも、日本のように「ただ待たされ続ける」ことはなく、心理的にはまだ救いがあった。

ただ海外においては、これからが勝負、という感覚であった。

 

 

2. 取り調べ ― 証言をめぐる攻防

▶日本
取り調べ室に入ると、机の向こう側にいる警察官は穏やかに見えても、言葉の端々で「認めろ」と迫ってくる。黙秘しても同じ質問を繰り返され、時間だけが過ぎる。
私が特に重く感じたのは、**「罪を認めない限り保釈が通らない」**という現実だった。無実を訴えても、出たければ認めざるを得ない。これは司法というより「取引」に近く、理不尽さに怒りが込み上げた。

逮捕されたらあとはもう警察の思うつぼ。取調官も、自分たちに都合のいい調書を書き、サインと指印をするように促す。初めて逮捕された際は何の知識もなく、サインしないといけないと思っていた。しなくてもいいのだ。しなくてもいい権利を持っているのだ。そんな説明さえも省くような取調官だった。

 

▶海外
海外では、弁護士が横に座っていて「黙っていろ」と助言してくれる場面もあった。取り調べ時間も限られており、無理やり押し込められる感じは少ない。ただし別の国では、暴力や脅しが日常化している場所もあり、日本とは別種の恐怖があるはずだ。幸い私は暴力や拷問などは経験していない。

言葉の壁もあるが通訳が必ずいるので、通訳からも「認めてはどうか」、と促されることもある。通訳も警察から雇われているのだ。100%信用してはいけない。

 

 

3. 起訴と裁判 ― 裁かれるスピードの違い

▶日本
起訴されると、ほぼ有罪。統計で見ても99%以上が有罪になる。
裁判の場に立ったとき、私は「ここに立った時点でもう結末は決まっているのか」と思わざるを得なかった。
判決が下るまでは長く、そして重苦しい。どんな判決になろうとも、ここに立たされた時点で潔白な人間に戻ることはできない。

 

▶海外
日本とは対照的に、海外では起訴までの時間が短く、弁護士同士の交渉で刑期を決めることも多い。裁判所に立つまでに「落としどころ」が見える分、日本よりも早く気持ちを切り替えざるを得なかった。

 

 

4. 刑が決まり、刑務所へ

▶日本
判決が確定して刑務所へ送られると、取り調べや裁判の緊張から一瞬だけ解放される。ただ取調がない1日の時間はとても長い。何をしていいのかわからなくなるのだ。弁護士も忙しいため頻繁には来れない。人と話すことがなくなると、寂しさが込み上げてくる。
だが同時に「これから長い規律生活が始まる」という重い扉が閉じられる音が聞こえる気がした。

 

▶海外
海外で刑務所に入ったときは、日本とは別の意味で衝撃だった。看守の態度、囚人同士の関係性、施設の作り――すべてが違う。ここからは「更生の場」か「生き残りの戦場」か、その国によってまるで別物になる。

幸い、日本よりは気持ち的に楽で、きれいな施設で刑期を終えることができた。

楽しかったとは言えないが、日本の刑務所よりも居心地がよかった。

 

 

また、ほかの収監者と話すために言語も勉強した。学もないこんな自分がコミュニケーションをとるために頑張ることができるんだと驚いた。

 

刑務所という言葉は同じでも、そこに至るまでの過程からすでに、日本と海外ではまったく違う。
日本の「人質司法」による圧迫は、ある意味で刑務所以上に精神を追い詰めるものだった。
そして海外では、弁護士制度やスピード感が違いを生み、そこから先の運命を大きく変えていく。

次回は、実際に刑務所に入ってから見えた「国ごとの違い」に焦点を当てたい。

 

 

 

 

 

―――――後編に続く

 

この記事はSNS系ニュースまとめサイトで注目コンテンツとして扱われました。

 

 

ヤクザといえば、暴力や恐喝、麻薬や賭博──社会に害を与えてきた存在だ。

正義の側からすれば「良いところなど一つもない」と言い切れるだろう。

だが、その世界を覗いてみると、現代人が軽く扱ってしまいがちな価値観を、極端なまでに重く背負ってきた一面が見えてくる。

 

 

 

義理を欠けば命を落とす

ヤクザにとって「義理を欠く」ことは、破門や絶縁だけでなく、命に関わる問題だった。

親分への恩を裏切る、兄弟分との約束を破る──それは自分の居場所を失うだけでなく、最悪の場合は命を落とすことすらあった。
一方、現代の社会ではどうだろう。人との約束はスマホ一つで簡単にキャンセルされ、仕事の契約すら都合よく言い逃れが通る。

命を懸けるどころか、ちょっとした不都合で簡単に義理を捨てるのが当たり前になっている。

 

 

 

人情を形にする姿勢

ヤクザは、地域の祭りや行事を支えたり、災害時に炊き出しをしたりと、表社会に「人情」を見せることもあった。

裏には組織の顔を売る計算があるにせよ、「困っている人を放っておかない」という行動を実際にとったのは事実だ。
いまの時代、SNSで「かわいそうだ」とつぶやくことはあっても、実際に手を差し伸べる人間は多くない。

人情は言葉にとどまり、行動にまで結びつかないことが多い。

 

 

 

けじめと責任の重さ

トラブルを起こせば、自分の身体を差し出してでもけじめをつける。ヤクザの「指詰め」は残酷で野蛮だが、「自分の過ちは自分で背負う」という覚悟があった。
現代社会ではどうだろう。

責任はたらい回しにされ、政治でも会社でも「誰も責任を取らない」光景ばかりが目につく。

けじめの重さは、時代とともにどんどん軽くなっている。

 

 

 

ヤクザを美化するつもりはない。

彼らの義理人情も、地域への貢献も、けじめの文化も、結局は組織を守るための手段にすぎなかった。

だが、それでも「約束は命に値する」「過ちは必ず自分で責任を取る」といった姿勢は、現代人が軽んじている価値観でもある。
ヤクザを肯定することはできない。

 

けれど、彼らが命をかけてでも守った“筋”を、私たちはあまりに軽く扱ってはいないか──。そこに、一つの教訓が潜んでいるのかもしれない。

 

 

 

 

コロナ禍が始まった2020年、世界中でマスクや消毒液が不足した。

 

そこにいち早く入り込んだのがマフィアたちだった。

 

彼らは安価な原料で作った粗悪なマスクや、アルコール濃度の足りない消毒液を大量に製造し、偽のラベルを貼って「医療用」として流通させた。

 

港湾や通関に顔の利く人間を買収し、正規の貨物に紛れ込ませて輸入する。

正規品と見分けがつきにくいため、病院や高齢者施設にも出回り、感染防止どころかリスクを高める結果となった。

 

 

さらに一部の組織は、各国から送られてきた支援物資を横流しし、闇市場で高額で販売した。

困窮する市民の善意や政府の支援までもが、彼らにとっては格好の「商品」になったのである。

やがてワクチン接種が始まると、舞台はオンラインへ移った。

偽の接種予約サイトやメールが拡散され、個人情報やクレジットカード番号を抜き取るフィッシング詐欺が横行。

 

公的機関を装った巧妙な手口に、多くの市民が被害を受けた。

 

そして、世界各国の政府がようやく注意喚起を始めるのは、被害が広がった後だった。

 

正義はいつも二番手。マフィアたちはその一歩先を行き、混乱を巧みに利用して利益をむさぼる。危機の時代、彼らに追いつくことの難しさだけが浮き彫りになった。