実は私は日本でも海外でも刑務所を経験したことがある。
その中で強く感じたのは、刑務所にたどり着くまでの過程そのものが国によってまったく違うということだ。
取り調べのやり方、弁護士の立場、保釈の仕組み――それらは机上で読むより、実際に身を置いたときに初めて骨身に染みてくる。
1. 逮捕 ― 最初の拘束
▶日本
逮捕された瞬間から、外の世界との連絡は遮断される。留置場の狭い空間(人や場所によっては広い空間)に押し込められ、数日が過ぎるうちに時間の感覚は薄れ、「自分がこのままどうなるのか」という不安だけが増幅していく。
最大23日間、警察の管理下に置かれるこの制度は、身をもって体験すると「終わりの見えない待ち時間」に心を削られる。
▶海外
一方で海外では、逮捕直後に裁判官の前に立たされる国が多い。数日で勾留か釈放かが決まり、先の見通しが早い。私が経験した国でも、日本のように「ただ待たされ続ける」ことはなく、心理的にはまだ救いがあった。
ただ海外においては、これからが勝負、という感覚であった。
2. 取り調べ ― 証言をめぐる攻防
▶日本
取り調べ室に入ると、机の向こう側にいる警察官は穏やかに見えても、言葉の端々で「認めろ」と迫ってくる。黙秘しても同じ質問を繰り返され、時間だけが過ぎる。
私が特に重く感じたのは、**「罪を認めない限り保釈が通らない」**という現実だった。無実を訴えても、出たければ認めざるを得ない。これは司法というより「取引」に近く、理不尽さに怒りが込み上げた。
逮捕されたらあとはもう警察の思うつぼ。取調官も、自分たちに都合のいい調書を書き、サインと指印をするように促す。初めて逮捕された際は何の知識もなく、サインしないといけないと思っていた。しなくてもいいのだ。しなくてもいい権利を持っているのだ。そんな説明さえも省くような取調官だった。
▶海外
海外では、弁護士が横に座っていて「黙っていろ」と助言してくれる場面もあった。取り調べ時間も限られており、無理やり押し込められる感じは少ない。ただし別の国では、暴力や脅しが日常化している場所もあり、日本とは別種の恐怖があるはずだ。幸い私は暴力や拷問などは経験していない。
言葉の壁もあるが通訳が必ずいるので、通訳からも「認めてはどうか」、と促されることもある。通訳も警察から雇われているのだ。100%信用してはいけない。
3. 起訴と裁判 ― 裁かれるスピードの違い
▶日本
起訴されると、ほぼ有罪。統計で見ても99%以上が有罪になる。
裁判の場に立ったとき、私は「ここに立った時点でもう結末は決まっているのか」と思わざるを得なかった。
判決が下るまでは長く、そして重苦しい。どんな判決になろうとも、ここに立たされた時点で潔白な人間に戻ることはできない。
▶海外
日本とは対照的に、海外では起訴までの時間が短く、弁護士同士の交渉で刑期を決めることも多い。裁判所に立つまでに「落としどころ」が見える分、日本よりも早く気持ちを切り替えざるを得なかった。
4. 刑が決まり、刑務所へ
▶日本
判決が確定して刑務所へ送られると、取り調べや裁判の緊張から一瞬だけ解放される。ただ取調がない1日の時間はとても長い。何をしていいのかわからなくなるのだ。弁護士も忙しいため頻繁には来れない。人と話すことがなくなると、寂しさが込み上げてくる。
だが同時に「これから長い規律生活が始まる」という重い扉が閉じられる音が聞こえる気がした。
▶海外
海外で刑務所に入ったときは、日本とは別の意味で衝撃だった。看守の態度、囚人同士の関係性、施設の作り――すべてが違う。ここからは「更生の場」か「生き残りの戦場」か、その国によってまるで別物になる。
幸い、日本よりは気持ち的に楽で、きれいな施設で刑期を終えることができた。
楽しかったとは言えないが、日本の刑務所よりも居心地がよかった。
また、ほかの収監者と話すために言語も勉強した。学もないこんな自分がコミュニケーションをとるために頑張ることができるんだと驚いた。
刑務所という言葉は同じでも、そこに至るまでの過程からすでに、日本と海外ではまったく違う。
日本の「人質司法」による圧迫は、ある意味で刑務所以上に精神を追い詰めるものだった。
そして海外では、弁護士制度やスピード感が違いを生み、そこから先の運命を大きく変えていく。
次回は、実際に刑務所に入ってから見えた「国ごとの違い」に焦点を当てたい。
―――――後編に続く