テーマカラーは、ロイヤルブルー。


お互いの共通認識ができた、ということで、一安心。


(実際は違うんだけど……)




ということで、センセイに紙を買ってきてもらうことにしました。


「ロイヤルブルーと、金赤の二種を、B2で20枚ずつ。

それに、クラシコトレーシングの星くずし」


「最後の紙は何に使うの?」


「ロイヤルブルーだと、文字が見えにくくなるでしょう?


だからトレーシングペーパーに印字して、貼り付けようかと思って」


今でこそハンズなどのクラフト用品店に印字できるトレーシングペーパーが売られていますが、


以前はぺらぺらのものが多く、印字できるものはなかなか手に入らなかったのです。


そのとき、テキトウな厚みがあり、大判で手に入るクラシコトレーシングの魅力にとりつかれた私。



そんなものなのか、とまたしてもセンセイは丸呑み。


画材屋さんに行って、注文したものをそろえてきてもらいました。



いざ、センセイが買ってきた紙を見ると。


あう。


しまった、よりによってこれを選んできてしまったのか……




説明が足りなかったというよりは、その可能性を忘れていました。


センセイが大量に買ってきたのは、レザック90kg<ろうけつ染め>。



いい紙です。


ほどよい固さと厚みがあって、お菓子の箱やオフセット本の表紙などによい紙です。


たしかに、招待状や案内ハガキにするには、とてもよい紙なのですが。



いかんせん、表にでこぼこがあるのです。


パソコン用プリンターはおろか、コピーのトナーやインクものらないorz



そしてここではじめて、センセイが買ってきた紙の色を見て、自分の間違いに気づいたのでした。



水色と青の中間の色。

かなり明るい色。



一緒に買ってこられた金赤と、合わないことこの上ない。



「これ、けっこう明るい色だね」

うーん、とうなる私。



センセイは
「え、でも、こんな色じゃない?」


この辺りで、私とセンセイの「ロイヤルブルー」が違うことがはっきりしてきました。



それに気づいた段階で、責める口調になってしまったことを後悔しました。


ちなみにB2版20枚。

それを三種類。

かなり重いです。


ぶっちゃけていうと、米ぐらい重いです。



紙だからといって、いや紙だからこそ、重い。



センセイは文句も言わず、遠い画材屋に足をのばして買ってきてくれたのです。




色が違うとか、印字ができないとか、そんなことを飲み込んでしまう苦労があった。

あったに違いない。



いまさら考えていたカラーが少し違うことにこだわって、その苦労を無駄にしていいのか?


ほんとになんとかならないのか?


デザインは全然使えないのか?




そんなこと、あるはずがないのです。



以前、現場の版下校として働いたときに学びました。


『予定は未定、しばしば変更』


『図面と現場が食い違うときは、現場に対応』



いつもやってたことじゃないですか。




うん、わかった。
なんとかします。


材料が指定されたわけだから、それに添うデザインでいきましょう。



ただ、金赤の紙だけは、使用することができませんでした。


結婚式にまつわるなにかに使えたら、と思っていたのですが、



金赤が与えるイメージは、メインカラーとなるロイヤルブルーに勝ってしまう。



高い紙なのでもったいなかったです。


なので後日、引越しの際、台紙として使いました。

紙はどうとでも使える。良いアイテムです。




結婚式のイメージは、ふたりで綿密に打ち合わせておかないとしっちゃかめっちゃかになりかねません。



事前に、できるだけ打ち合わせる。


そして、それにそぐわない細かい事象については、臨機応変に。



譲れないものは譲らない、それ以外のことは譲歩する。


それができないと、ふたりのイメージがかけ離れていってしまい、意見がぶつかりやすくなる。


結婚式の統一感もなくなってしまいます。




めんどくさがらず、どうか、ひとつひとつゆっくりと話し合ってくださいね(^_^)

入院していて何が助かったかというと、

ゆっくりと招待状のデザインを決めることができたことです。




病室に持ち込んだノート型パソコン村正(ぶっそうな名前。父からの借り物)に

デザインソフト(イラストレーター・フォトショップ)と、

大量の書体(フォント)をぶちこんで

せっせとロゴ作成にはげみました。



背中と首の痛み。



首をまわすことのできない、不自然な姿勢からくる痛み。


そんなものと戦いながら、せっせと、ああでもない、こうでもない、と遊ばせていただきました。




私とセンセイはかなり思考の方法が違います。

だから、センセイがどんな招待状を望んでいるのか、言葉で説明してもらうことが困難。


言葉をつくしてイメージを伝えようとしてくれているのですが、

どうにも抽象的で、具体的なイメージに結びつかない……。


そこで、具体的なことから、聞いていくことにしました。




テーマカラーを、決めましょう。


なにしろ、印刷物のすべてを手作りするわけですから、すべて同じ色の材料にした方が手間が省けて楽ちん。


そして、すべての小物に統一感が出る。

一石二鳥。



その上、どんな結婚式のイメージになるか、方向性も決まります。




清楚な白?
豪奢な金?
情熱の赤?
穏やかな緑?


そうなるんじゃないかなー、と思ったとおり、センセイは青を選びました。


「ロイヤルブルー」

落ち着いた青? 深みのある。


そうそう、とセンセイがうなずきました。


ロイヤルブルーという色は、ドイツ(だっけ?)の皇室で使われる、特別な青です。

日本でいうところの浅黄が入ったような青で、水色と青の間くらいの色、と言えばわかりやすいでしょうか。



ところが私、このとき少し勘違いをしまして。

思い描いていたのは、ロイヤルブルーにもう少し紫を入れた、濃い青色を想像していたのでした。


盛大なる勘違い、発生。


「ロイヤルブルーが基調になるのなら、ロゴとかのサイドカラーは金や銀が映えるね」

私の言葉に、センセイもそうそう、とうなずいていました。


ええと…

本当のロイヤルブルーだと、その上に金箔かけるとぼやけてしまう可能性があります……


紫紺で印字、ポイントに銀。そんな感じのデザインが良いかも。


「それに、青一色に金銀だとさびしいから、もうワンポイント、色を入れておこう。

金赤(朱色に近い赤)が合うかな」


くどいようですが、私の頭の中にあるのは、濃い青。


それなら金赤がワンポイントで入ると、すごく目立つのです。

祝い色。




なるほど、とセンセイはうなずいていました。




私は以前、デザインで食っていた時期があります。
専門家だということで、センセイは全面的に信頼してくれていたのです。


面目ない……。



絵の具にあるのです。

メーカーは忘れましたが、確か、ロイヤルブルーという色が。


その絵の具は、中の色よりもかなり濃い色がラベルとしてまかれていたのでした。



そうです。

私が覚えていた色の名前は、どこかの絵の具の固有名だったのです。


それに気づいたのは、もう結婚してから半年もたってからでしたorz



ちゃんと調べず、カラーチャートで色の確認をしなかった私が悪かった。

ごめんなさい、だんなさま(>_<)。

おばあちゃんが行ってしまってから、しばらくたって……


ゆっくりと、ベッドから出てみました。



大部屋の室内は寝静まっています。


それぞれのベッドはカーテンで仕切られていますが、どこも起き出す気配はなし。


そのうちのひとつ、桂馬飛びに斜め前のベッドが、カーテン開け放たれからっぽです。



どうやらここのおばあちゃんらしい。



全然しゃべったことがない方で、顔もうろおぼえでした。


自分のベッドに戻ってないとすると、どこに行ったのでしょうか。



まだ心拍数の高い心臓をなだめながら、大部屋からそろりと抜け出しました。


廊下をゆくと、いくつかの大部屋・個室があり、その先に不夜城のナースルームがあります。


煌々と照らされたナースルームに向かって、夏の虫のようにゆっくりと歩いていきました。


すると、なにやら途中の大部屋で声が聞こえる。


のぞいてみると、男性ばかりの大部屋に、おばあさんがしょんぼら立っていました。



いた。
いたよ、おばあちゃん。


できるだけ早足でナースルームにたどりつき、看護士さんを呼びました。


私の話をおちついてきいてくれた若い看護士さんは、あわてて大部屋におばあちゃんを迎えに行ってくれました。



あのおばあちゃんは、毎日、徘徊していたのでしょうか。


知らずのうちに、枕元まで、来られていたのでしょうか。




怖くて眠れない。




ベッドまで戻ると、携帯電話をひっつかんで、通話可能な場所に逃げ込みました。


深夜なのに、迷惑も考えず、センセイに電話。


「もーダメ、もーイヤ、おうちに帰る(>_<)」

小さいだだっこみたいにぐずる私。


怖すぎて、川や戦争が云々のくだりは話すこともできませんでした。


あまりの私の怖がりように、センセイは察してくれたようでした。


「もうちょっとだから、もうだいじょうぶだから、おちついて、ね」


もうちょっとって言っても、まだ二晩もあるよ。



センセイになだめられ、ようやっと落ち着いてきました。


明日もまた同じ目にあったら、即行退院する。


あかんて言われたら、部屋変えてもらう。


最後の一日だろうが、知ったこっちゃない。



怖いものは怖いんじゃあ!



あまりのショックに、リアルタイムで怖さをお届けせねばならないと、


思わず母にメールで報告してしまいました。



母からは翌日、こんな返事が。


「ほらやっぱり、言ったとおりでしょう~。
こんなことになるんじゃないかと思っていたわ」


うれしそうですね母よ。


娘は心底怖かったです。



父からは後日、
「まだらぼけのふりをして財布なんかが狙われる。気をつけろ」
と忠告が。


念のため、財布の中には小銭しか入れないようにしていました。


そのとき持っていた貴重品といえば、

ノートパソコンとポータブルMDと携帯電話。



携帯電話はすぐに暗証番号モードに切り替え、ノートパソコンなどは目立たないところに移動させました。



あと二日しかないけれど、それでもせずにいられなかった。


鍵のかからない棚やボックスしかない病室で、貴重品を守るには、自分が目を光らせるしかない。


疑心暗鬼にとりつかれ、ちっとも落ち着かない残り二日を過ごすはめになってしまいました。




もう二度と、高齢のおばあちゃんとの相部屋はごめんです。


個室は高いし、孤独だと聞いていましたが


短い期間の、しかも食っちゃ寝の入院ならば、断然個室が安全だと思います。



そして、大部屋であるならば、せめて病名の似た患者さんに囲まれているべきです。



わけのわからないトラブルに巻き込まれることはない。




入院など、しないにこしたことはないですが


もし今後入院することがあるならば、


絶対に、絶対に、絶対に、



徘徊おばあちゃんには出会わない環境で入院するぞー!!

高齢者ばかりの病室で、困ったこと。

それは、早寝早起きがすぎること。



私は元来宵っ張りで
さらに低血圧のため、朝起きるのが苦手。


それでもなぜか朝早い業種にばかり勤めているのが不思議です。


今は早いと言っても、八時半出勤ですけどね(^_^;)




病院が設けた就寝時間は、
夜九時消灯、朝七時検診。


ベッドサイドの照明をつけることは可能なので、夜は九時以降も起きている毎日でした。



お隣さんは必ずテレビを見ていたので、眠れなかったというのもあります。



朝は、強制的に七時に看護士さんに起こされます。


検診のあと朝食。

眠いのなら食べた後に寝てください、という感じ。


体が休もうとしていたのでしょう、病院の就寝時間にはとくに問題がなかったのですが。




さすが高齢者。


朝早い。
そして、夜も早い。


というか、夜寝てないでしょう、みなさん!




朝もはよから動き回るおばあちゃんたち。


おかげで、早朝というにも早すぎる時間帯から目が覚めることがありました。


それでも寝汚い私は、けっこう豪快に眠りこんで目覚めないことが多かった。



退院、三日前。
その日は、違いました。



寝ていると、なにやら妙な感触。

ベッドが、揺れています。


地震!?




阪神大震災の際、大阪市の南の方に住んでいた私。


小さなマンションの狭い部屋は、けっこう激しく揺れました。


そのとき、最初にきた縦揺れで目覚めました。


横揺れの途中で、本棚からカセットラック落下。


起きてて、よかった……



普段は寝汚いくせに、獣並みの察知です。



震災に似た小さな揺れ。


おそらくすぐに続くであろう揺れに備えて、身構えました。


上半身を、首を動かさないようにしながらすばやく起こし、体勢を整えること数秒。




揺れません。




あれ? 勘違い?


おかしいなぁ、と思って、ゆっくりと上体を右に向けました。窓の外は、普段どおりです。


そして、左を向いて、病室を見渡しました。




白いおばあさんがひとり。




「わあっ!!」



叫びました。
叫んで、後ずさりました。



腰の曲がったおばあさんがひとり、私のベッドのてすりを持って、枕元に来ていたのです。


動いてる。足もある。
生きている、おばあさん。


幽霊じゃない、幽霊じゃない。




おばあさんは自分も驚いた顔をして、私を見ました。


「大きな声を出すんじゃない。みんな、起きる」


は、はい。すみません。


(すみませんって、なに誤ってるんだろ私)



「あのね」
おばあさんは、私に言い聞かせるように、話し始めました。


「この先には川があってね」

はい、ありますね。毎夏、大きな花火大会が催される一級河川のことですね。


「戦争のとき、たくさん人が死にましたんや」

ひぃ。


「わたし、そこからあがってきましてね」

は、はい?


「川に帰らなあかんのやけど、こっちに行ったらええですやんな」

あの、あの、あの。


確かに、この部屋で川に一番近いのは私のベッドですが。



私は控えめに、言葉を選んでみました。


「この先は壁で、川まで歩いていけません……」




おばあさんはしばらく壁ぎわでまごまごしていました。


が、よろよろした足取りで、杖とベッドのてすりにつかまりながら、カーテンを抜けて行ってしまいました。


私が起きたベッドの揺れは、この振動だったのです。



怖。
怖すぎます!!!


闇に立つおばあさん、というだけでも怖いのに、


戦争ってなに。

川からあがってきたって、もう、何の話ですかーーー(>_<)



このとき初めて気づいたのですが、なぜか私のベッドにはナースコールが取り付けられていない。


呆然としました。

いや、確かに救急患者じゃないけどね私。

のんびり寝てるだけの患者だけどね。


なんかあったらどうすんすか。


心底怖かったよぅ……。

胸椎の骨折。


骨折以外は元気なのですが、背骨なので、動くことかなわず。



そしてやっぱり背中が痛い。

むち打ちのような症状がずっと続いてます。


耐えられない痛みでもないんだけど
動いてはいけないといわれる。


なんとも微妙な状況……。


早くくっついて、骨ー!




数日おきにレントゲンをとって、骨の状態を確認。


レントゲンを持って、整形外科まで通う。


寝ているときにお医者さんの検診。



毎日、指先にしびれがないか、頭痛はしないか、異常はないか確認をしていました。




看護士さんが朝夕様子を見に来てくれるのですが
その際、お通じの有無を問われます。


けっこう、答えにくいんですよね……

いくら女性しかいない場所でも……


でもさすがおばあちゃんズ、知恵がまわる。


「大仏様がきてくれた」


ああ、なるほど……

さすがおばあちゃん病棟。

古風で、良い言い回しだなぁ。




食っちゃ寝をしていたおかげか、がんばってもりもり食べていたからなのか、

骨は順調にくっついてくれました。


おかげで最短の二週間で、問題なく退院することができました。




そして入院中最大の事件は、退院三日前に起こったのです。



思い出すだに、おそろしい……

昨日分もあわせて、アップさせていただきました。



思ったより、ダメージでかいみたいです。

仕事を休んでしまいました。

今月、休みすぎ……ort




しばらくおとなしく養生します。


ご心配おかけしてすみません。

早くカットも復活できるよう、がんばりますー。




結局、寝てばかりいました。


食っちゃ寝の生活だったので太ると思っていたのですが、体重的にはほぼ増減なし。



食事は栄養バランスよく、高カロリーでした。



どうやら骨をくっつけるのに、栄養ほとんどつかってしまったみたいです。


眠くて眠くて眠くて、ほとんど本を読むか寝てるかの生活でした。



看護士さんには、なにかと怒られました。


だって、洗顔すると怒られるんだよ。

歯をみがいていても、みつかると怒られるんだよ。


うつむいちゃダメ。

だから洗面所に向かっても、水が使えない……



でも気持ち悪いので、せめて朝晩は洗面所にこっそり向かっておりました。




食事は、残しちゃダメ。


これがけっこうつらかったです。


昼から、カツ丼。

夜は肉。

あさからしっかり、トーストサラダ。

デザートも残せません。



量もつらかったですが、心情的にもつらかった。


なにせ、おばあちゃん病棟に放り込まれているのです。


周りの患者はほとんどが食事制限されている。


そんな中で、ひとり、カツ丼をほおばることを強要されている。



とにかく早く退院するために、がんばって食べてました。




最後のひとつ。

これが一番、よく怒られた。


それは、夜寝るとき、首を横にむけないこと。


そんなん、自分ではどうしようもないじゃないですか!



固定具”フィラデルフィア”をつけて寝ると、胸が圧迫されて胸椎以外の骨がきしむのです。


できるだけ、眠るときには外していたい。


看護士さんたちと話した結果、枕に砂袋を置くことにしました。



持ってきてくれた砂袋には、「5kg」の文字。



なんですか、合計10kgに囲まれた眠りですか。



寝相を正すために、枕元に刃を二本たてて眠った戦国武将ですか私はーー!

入院中、外出するには外出許可が必要です。


なんどかこっそり脱走してました。


だって、風呂に入りたかったんだもん!



二週間、つまり十四日間の入院中、入浴を打診されたのは実に十一日目。

しかも入浴許可が出たのは、十三日目。

明日になったら退院ですがな……。


しかも、母から病院のお風呂は要注意だと聞いていたので、お断りさせていただきました。



十一日目まではどうしていたのかというと、体をふくタオルが支給されてました。


一週間に、一度。



がまんできるかー!!





重病人ならともかく、立って歩ける状態の、どこも外傷はない結婚前の乙女がなぜ一週間も体を洗えないのですか。


病院に異議を申し出るのもばかばかしく……結局、自宅に戻ってシャワーを浴びてました。




「帰ってきた!」
猫がぬかよろこび。


自宅玄関で病院に戻ろうとする私に、非難たっぷりの視線。



「もうじき、もうじき退院するからね。
夜にはセンセイが来てくれるからね」


二匹の猫をなだめつつ、脱出してのシャワーはスリルのある楽しみでもあり
ました。


濡れた髪を秋風にさらし、商店街を歩くのはとても気持ちの良いものでしたとも。

ちょっと寒かったけどねー。




楽しみといえば、入院中、テレビは全然みませんでした。


もともとテレビを見ない生活スタイルなのですが、


テレビカードを差し込んでいると、延々テレビがついたままにしてしまうそうで……。


テレビはすごい金食い虫だ、と母に教わっていたのです。



もー、いっそ、見ない。
見ない方向で。


二週間稼ぎもせず、食っちゃ寝の生活だというのに、おこづかいまで使ってられません。



これから何かと物要りだというのに。



おかげで、病院内のどこでテレビカードを買うのかも知らないまま退院してしまいました。


二度とこの病院には入院しないだろうから、いいや。



入院中、一番楽しみだったこと。

それはたくさんの人が見舞いに来てくれたことです。



一番早かったのはセンセイの友人。

花かごをもってきてくれました。

花と一緒にささっていたりんごが、病室でときおり香り、とても癒されました。


本を送ってくれた遠いところにすむ友人、職場の上司、派遣元のコーディネ
ーター、日頃あまり連絡をとっていない友人。


入院患者にとって、お見舞いというのはかけがえのない喜びです。


今後、誰かが入院することがあれば、せっせと顔を出そうっと。


(それならお母さんの投薬入院にせっせと通おうよ私……)



もし入院中のご家族、友人、知人がおられたら、この機にぜひお見舞いおねがいいたします。



お見舞いの中でも、一番うれしかったのは、
センセイが毎晩来てくれたこと。


毎日会社帰りに、できるだけ足を運んでくれたのです。


さすが、婚約期間中。

どうみてもらぶらぶカップルでした。



結局、センセイは自分の家にほとんど帰ることなく、私の家で猫と過ごしてくれたのでした。


おかげで猫がハゲずにすみました。
ありがとう、センセイ。


私も、夜までがんばれば、センセイに会える。

それを励みに、ぐだぐだしそうな心をこらえることができたように思います。


感謝、感謝。



これに応えるためにも、とにかく骨をくっつけることに専念しようと決意する私でした。

なんだかお腹痛いです。

卵巣腫れてるっぽい……


体調不良のため、カットはちょっとの間、お休みします。



コーヒーのんでも、濃い紅茶のんでも、

吐き気が……



これでベビがきてるんだったらいいんだけど、

そうでもないんですよね^^;



申し訳ありませんが、

少しの間、文字だけのさびしいブログになります。


ごめんなさい~~

入院の荷物は、母が半分用意してくれました。


さすがに、娘が

事故で骨折→入院となると

父母がかけつけてくれました。


自分も入院しているような病状で、わざわざ病魔のすくう病院に来てくれたお母さん。


ろくに見舞いもいかなかった娘を許してプリーズorz



会社まで断りのあいさつにつきあってくれ、用意してくれた衣類などを病院まで運んでくれました。



自宅近くの病院だったので、必要なものはとりに戻ればいいや~、と気楽に考えていたのですが、


私が考えていた入院の支度というのは、ぜんぜん考えたらずでした。



スリッパや、簡単にはおれるカーディガン、寝ていても外出するのも楽なスウェットスーツ。


さすが同時期に入院していたことはある。


必要なものがちゃんと揃っていました。





私が用意していた荷物はといえば。


洗顔フォームや歯ブラシ、タオル、下着などまるで旅行の荷造り。


そして、本。

普段は読めない、重たいハードカバーと、ジャンルとして距離をおいてしまうSF。


そして、ポータブルMD。

デザイン用のノートパソコン。


それに、もらったものの全然手をつけていなかったゲーム。


遊ぶことしか考えてない愚か者ですorz。



一応、かきかけの小説のプロットなども持っていっていましたが、プロットの内容を充実させただけに終わってしまいました。



あれやこれや持っていって、ぜんぶできるわけありません。


しかも、寝て暮らさなければならないというのに、そんな力いっぱい遊んでどうする気だったでしょう……。