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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昨日のコメントにもありましたが、日本では、幼いころから、協力するということをあまり学ぶことがありません。
家庭では、親が子どもに言うことを聞かせるために支配的となり、子どもは、その親の支配に反抗するように育ちます。
または、親が子どもの言動に振り回されているか、そのどちらかの場合が多いのではないでしょうか。
何ごとにも協力的な家族というのは、少ないように思います。
そして、子どもが教えられることと言えば、
「一人でやれ」、
「競争に勝て」
ということです。
そのために、子どもは、何でも一人でやることが自立することだという間違った認識を持ち、他人に協力を求めることは依存することだと勘違いしてしまいます。
これに対して、学校で学ぶ協力とは常に、何かの競争に勝つための協力であり、困難に直面した人に対して協力することではありません。
それどころか、弱音を吐くことは人間が弱いからだ、という意味不明なことを言い出したりします。
その結果、多くの人たちが、何でも一人で抱え込むようになり、その苦しみから抜け出せなくなっています。
また、協力することを学んでいないために、人から協力を求められても、うまく協力することができずに拒んだり、あるいはいらないお節介になったりしてしまいます。
そして、多くの人たちが、協力したときには見返りがあるものだという思い違いをしています。
一方で、世間では未だに、競争に勝つことが良いことだとされていますが、その先にあるのは結局は、妬みと嫉みばかりです。
競争に勝った者が賞賛されるのは、大抵は最初だけで、やがては足を引っ張る者が必ず現れ、その人間が失敗するのを今か今かと待っています。
つまり、競争に勝った者が、世間の人に心から受け入れられることはなく、やがてその人に待っているのは大いなる孤独感です。
世間の人に心から受け入れられるのは、常に、社会に貢献した人であり、他者に貢献した人なのです。
最近、「ポケモンGO」というアプリが海外で話題になっており、日本でも今日から配信される予定のようです。
しかし、海外では、アプリに夢中になった人たちが、歩行者に迷惑を掛けたり、あるいは怪我をしたりと、そんなことがニュースで取り上げられています。
ゲームというのは常に、自分本位に楽しむものであったり、競争に勝つものであったりします。
私は、「ポケモンGO」がどういうものは詳しくは知りませんが、
たとえば、歩行者に迷惑を掛けなかったり、人ごみの多いところではゲームを中断したりした人には何がしかのメリットがあるとか、
そういう他者と協力するという発想が製作者側にあってもいいのではないかと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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