ご機嫌いかがでしょうか?
心理コンサルタントのふくよしです。
私は、このブログで、成功や幸せについて、考え、悩み、例えば、友達、恋愛、夫婦、子育て、職場などの人間関係、あるいは、ビジネス、仕事、お金、人生などについて、考え、悩み、あるいは、迷った時など
もっとも役に立つメソッドとして、心理学的思考法を提案し、それについて書いています。
そして、思考法をうまく活用できるようになるためには(応用も含めての意味)、
心理学の公理を理解する必要があります。
つまり、公理なのですから、その場、その場で、自分が好き勝手に変えては、意味がないということです。その公理の上に理論が成り立っているのです。
※公理とは、その他の命題を導きだすための前提して導入される最も基本的な仮定こと→ウィキペデイア参照ください
しかし、一方で、すべての人間はある意味心理学者です。
人間は人間の心を理解できる能力があります。
だから、人間関係を築けるのです。
そもそも人間は、人間関係を築けるように、能力を持っているということです。
なぜなら、人間は、生きるという本能をより満たすために、社会を作る必要があるからです。
例えれば、サッカーというスポーツをするため(楽しむため)には、人が11人いる。11人いなければ、サッカーができない。そして、戦う相手がいないとできないというようなものと思ってもらってもいいかもしれません。
そして、サッカーというフィールドで、自分を表現する場が、人生なのです。
すべての人間は、心理学者であるため、時に、難儀なのです。
誰もが、心について、導き出した答えが、適切であったり、不適切であったりするということです。
つまり、当たったり、はずれたりするということを意味し、それは、よくわかっていないということなのです。
例えれば、1+1=2,1+10=20、1+5=6 1+30=40 と答えるようなものです。
だから、ここぞという時(例えば、人間関係などに困難に感じた時)に、当たっリ、はずれたり、検討違いだったりするのです。(自分の癖で答えを出すからです)
心理学教育の学習と訓練をすれば、ここぞという時に、適切に対応できるようになります。
なぜなら、公理の上に成り立つ理論を適用させて、世界を見ることができるようになるからです。
過去のブログでも書きましたが、人間は、主観的な意味づけをとおして世界をみているため、すべての人は必ず目標を達成します。つまり、成功や幸せになるということです。あくまで主観的な世界での話しです。
たとえ、他者ができる限り客観的にみて、惨めにみえても、もっとも困難を耐えている英雄が如く生きることができるといことなのです。
これをわかりやすいように(たぶん、わかりやすいと思うんですが。。)
例えば、”字”について、考えれば、字は、基本、誰でも書けます。しかし、美しい字を書ける人は少ないのです。
癖があるからです。癖を美と捉えることは勝手です。そして、それが、その人の真実です。
読めればいいんだ。字なんて、という優越感にひたり、美しい字を書くことを拒み、自分だけしか読めない字を書く人もいます。
例えば、”歩く”について、考えれば、基本、誰でも書けます。しかし、美しく歩ける人は少ないのです。
癖があるからです。背中を丸め、足をひきづるように歩いても、誰に迷惑をかけているわけでもない。関係ない。といえば、それまでです。一生背中を丸めて歩いてもいいのです。
もし、美しい字や美しく歩きたいなら、悪い癖を直すための学習と訓練が必要なのです。
人生も同じようなもので、主観的な成功や幸せは、簡単に手にはいります。
なぜなら、幼い頃のままの信念で、無意識的に行動していれさえすれば、いいだけだからです。
気分悪いと腹を立て、邪魔なやつは、殴ることもできるのです。
なぜなら、私は王様だからだ!、俺は、俺の好きなようにやれるのだ!
これが、主観的な成功であり、幸せを意味します。
いつでも王様になれるのです(気分だけ。主観的な世界に閉じこもればいいだけなのです)
しかし、このような生き方は、自分の人生を、この社会のために、自分自身が持っているものを有益な面で活かすこともなく、建設的な行為もなく、愛や喜びを分かち合うこともなく、真の孤独へとむかっていくことは明白なのです。
日本語として、他に引用する言葉が見つからないので、あえて、”美”という言葉を当てはめますが、
人生について、美しく生きることに気づいた時、そのような生き方を選択するでしょうか?
モデルのように歩きたいと思うかもしれません。あるいは、美しい字を書きたいと書道を始めるかもしれません。
人は、人生に”美”を求め、それを目指すと思うのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
心理学教育の必要性と心理学思考法を広める活動をしています。
よろしくお願いします。