講師の岩田です。
どうでもいい話ですが、わたし、イギリスの大学時代四年間、名前がVictoriaでした。
大学の寮は1フロアに12人~14人の共同生活。キッチン、シャワー、お手洗いが共同です。
クラスメイトは各教科に5人~10人程度。(日本の大学のゼミみたいな感じかな?)
手っ取り早く名前を憶えてもらう為に英語名を名乗っていました。
Cheersの生徒達にも英語名あげようかな~
授業の中では英語名で通す。どうでしょう?
イギリスで出会った中国人留学生は中国の学校での初めての
英語の授業で英語名を貰ったと言ってました。ふむー。
さて、長らく更新していませんでしたが「私が英語を話せるようになった経緯」の続編です。
前回は高校留学準備編でした。
「私はそこそこ話せるし」
なんて思いながらスタートした高校留学。
場所は、アメリカ合衆国カンザス州、カンザスシティです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/16/kids-english-cheers/e8/fe/j/o0530033013888115098.jpg?caw=800)
アメリカのど真ん中ですね。夏の気温は40℃を超え、冬はマイナス10℃を超える事も。
私が行った当時はありませんでしたが、現在世界で一番高い位置から滑り降りる
ウォータースライダーがあります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170312/16/kids-english-cheers/29/be/j/o0640035913888116189.jpg?caw=800)
自由の女神よりも、ナイアガラよりも高い位置から滑り(落ち)ます。
クレイジーです、ええ、クレイジーです。
この前カンザスに行ったときに高速道路から巨大なコイツが見えました。
さて、高校留学は1カ月の語学研修から始まりました。プロテスタントの大きな協会の
一室(厳密には3室)を借りて、日本人約12名、タイ人7名くらいかな。英語の能力別に
3クラスにわけて3人の先生がそれぞれ教えてくれます。
もちろんEnglish Only。ランチタイムでも日本語(タイ語)を話すと罰金、と言われ
当時は猛反発しました。ランチタイムくらいいいじゃん!と。一カ月終わればみんな
全米各地バラバラになって、いやがおうにも英語漬けになるんだから、
今の内日本語話したっていいじゃんねーとも思っていたんですよね。
今思うと、一年しかない留学期間、先生の気持ちもわかります。何しにアメリカに来たの、
せっかく環境が整っているんだから今英語漬けをスタートすればいいじゃない、と
大人なら思います。実際今私は留学機関の名古屋地区委員として留学生の専攻に
関わっているのですが、その様に思っています。私が留学した2000年よりもずっと
ネット環境が整い、日本と容易に連絡が取れてしまう現在。せっかく行くならば
日本語と距離を置いて、現地の生活にどっぷり浸ってすべてを現地の物事、基準で
生活してもらいたい。
その方が絶対に英語力は伸びるんです。
ネットで日本語のニュースを読まない。
日本の友人とソーシャルメディアで連絡を取り合わない。
日本語で日本の家族、友人と電話をしない。
日本語の映画やテレビを見ない。
とにかく英語のみ。
たった一年でもこれを実践した子としなかった子では、英語力に雲泥の差がついて
日本に帰国することになります。一年経つ前、例えば渡米して5カ月ほどでも
その差は開いていました。
私はどうだったかって?
日本の家族と電話をしたのは1回位だったと思います。
日本には手紙を書いていました。当時はFacebookも今ほど広がっていなかった為
知らなかったですし、友人は誰もやっていませんでした。
ブログもそんなに認知されている物ではなかったので、無し。
たまにYahoo!Newsをネットで読んでいましたがホストファミリーのパソコンでは
日本語は文字化けする事が多く、うまく読めないことも多かった。
(パソコンは持参してはいけない決まりでした。スマホなど存在せず)
覚えている限り、英語力の伸びを書いていきましょうか。
7月に渡米。
9月に観た映画はあまり理解できず。ニュースも聞き取れない。
学校の「聖書」の授業でクラスメイトが話している内容がわからず、当時のストレスが
溢れてしまって授業後に号泣。先生に「みんなが何を言っているのか何もわからない!
私は何もしゃべれない!!とまくし立てていたのをなんとなく覚えています…
(つまり、「そこそこ話せるし」なんて思っていたのは大間違いでした)
11月に見た夢で初めて英語で話をしていました(ただし相手は飼い犬)。
12月に、9月に観た映画を再度見たらなんとなく理解できていました。
その後あまり「英語力がついた!」という記憶はないのですが、
6月の帰国時には映画は字幕なしでもちろん英語の音声でほとんどを理解
出来る様になっていました。
聞く、話すだけでなく読む力もついていた様に思います。ハリーポッターは
なんとなく読めるようになってきていました。
(それでも読むスピードは遅く、途中までしか読めなかった)
友達との会話も特に問題なく、お店に買い物に行っても店員さんとも普通に
会話ができていましたし、NYに旅行に行った時も問題ありませんでした。
(カンザスはなまりがあまりありません)
まとめると、朝起きてから夜眠るまで一切日本語を話さず、英語のみに
触れていれば半年経たずに生活に支障がない位英語を話せるようになります。
高校生の、まだ頭が柔軟な頃に限れば、の話ですが。
私は勉強が嫌いなタイプなので猛勉強もしていなければ努力も大して
しませんでした。そんな私でも英語を話せるようになったのはこういった経緯です。
まあ、といってもたった一年の交換留学で身に付いた英語なんて
「なんとか家族や友人と意思疎通ができて生活できる程度」
の英語力なんですけどね…
このシリーズ、まだまだ、続きます。