講師について⑤ 私が英語を話せるようになった経緯 4(高校留学まとめ編) | 子ども英会話Cheersのブログ

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講師の岩田です。

 

ずるずると長引いている、この「英語が話せるようになった経緯」シリーズ。第四弾です。

前回は高校交換留学でのお話でした。一年間の交換留学で、日常生活は不自由なく話せるように

なっていたということ。

 

買物、生活、問題なし。学校の授業は以下の6教科。理解度は…

 

美術 → ○

アメリカンヒストリー → △(予習復習必要)

聖書 → × (クリスチャンでない私には、まったく理解できない。そもそも単語がわからない)

クワイヤ(キリスト教の合唱) → ○ 

国語(つまり英語) → △(下の学年のクラスに入っていた)

コンピューター → ○ (タイピングとパワポがめちゃくちゃ早く出来る様になった)

自習 → ○ (図書ルームで一人で宿題したり。これが教科としてカウントされる)

 

授業は1年間毎日上記の教科のみ。曜日ごとに時間割がある日本と違いますよね。

単位をとる必要がなかったので、数学だの理科なども無し。

 

最終的に全くわからず終わったのは聖書のクラスでした。いや、聖書のクラスのくせに

聖書を開いて授業をしたことがなかったから、結局今でも何をやっていたのか不明。

当時のクラスメイトにきいたら、今ならわかるかな…。一年の初めに購入した聖書は

一度も使う事なく、ぴっかぴかのまま、去年メルカリにて売らせてもらいました…。

 

必死に勉強すれば教科書も読めるようになるし、テストでもちゃんと点数はとれました(歴史)

美術とクワイヤは元々得意だし、コンピューターは目で見て英語わかるからOK。聞き取りの方が難しいからね。

国語である英語に関しては、普段の授業は良いのだけれどたまに入る古典(シェイクスピア)とかは

難しかったです。昔の単語や文法、わかりませーん。

 

そんなこんなでなんとか過ごした学校生活、楽しかったホームステイ、終わる頃には

映画は字幕無しで問題なし、TVドラマはちょっと難しい。ニュースも難しい。そんな位でしょうか。

家族や友人以外の人とも街で話しても問題ないリスニング力とスピーキング力。

 

帰国後、9月から日本の高校三年生に復帰。元々の同級生はすでに卒業しているので、

一学年したの子たちのクラスに編入です。新しく友達作るのだって、日本語なら英語より簡単ですわー

 

定期テストの英語の成績は90点台後半。

英語の授業もわかりすぎてつまらない位。先生に何聞かれても答えられちゃう。

うわあ、留学の成果ってすごい!と自分で思うくらい、がらっと変わりました。赤点ギリギリだったのが

嘘の様です……。

 

理解できて、点数をとれるとがぜん楽しくなるもので。全国模試でも英語の成績だけ、ずば抜けて高い。

この英語力をキープしたくて、街の英会話スクールに通い始めました。

オイ高校三年生、そんなことより大学受験の準備しなきゃでしょ、というはずなんですが、

もう、この頃には日本の大学に行く気はサラサラ無く、私の中では「大学留学」を考えていたのです。

 

ちなみに、英会話スクールは社会人向けの物です。レベルごとのグループレッスンでしたが、

留学のおかげでずいぶん上のクラスになった為他の生徒がおらず、グループレッスンの料金で

毎回プライベートレッスンになっていました。英会話スクールあるあるかな?

 

イギリス人の男の先生と、受付のお姉さん達と仲良くなってそこでも色々情報収集できました。

スクールでは英語の上達というよりは、かろうじて英会話の時間を確保することでせっかくついた力を

落とさない為ですね。話す力と、物怖じしない性格のおかげでここもとても楽しかった思い出があります。

 

さて、19歳高校3年生に在学しながら考えた今後の進路。簡単に、再度アメリカの大学…というわけにはいかず。

長くなったのでまた、次回。

 

一年滞在していたおうちのホストマザーです。20年経ちますが、今でも連絡とっています。

このワッフルメーカー、一度に4つ焼けるのがアメリカっぽい。