以前にも聞いていた言葉。
それがあるとき、
関係がないと思っていたことと繋がり、
急に観える風景が変わることがあります。
何かを理解するというのは、
螺旋を描くようなものだったりします。
傍から見れば同じことをやり、
同じところをぐるぐると回り、
何も変わらないことをしているようでも、
次元を上げて観れば螺旋を描いて上がっていることが観えてきます。
それは、
グラフを描くことで起こっていく変化もそうでした。
グラフを描く(書く)ということがT理論完全マスタースクールでのテーマでしたが、Ray版T理論完全マスタースクールでは、そこから雪玉を徹底的に転がしていきました。
まずはグラフをEchoさせる段階があり、そして全てのことをグラフで考える段階があり、そして最後に「グラフが、考える」段階があります。
①グラフを描くことをEchoする(教師が描いているそのままに真似して同じように描く)
②全ての問題をグラフを描いて考える癖をつける
③グラフを描いている中で、アイディアが降ってきたり、考えがまとまったりする段階です。
自分だけで描いているときにも、
講座やセッションの中でも、
そういうタイミングを繰り返し経験してきました。
その経験をした後に、
以前はまったく関係がないと思っていた言葉に触れると、それまでとは違うものが観えてきます。
存在論において、
独立した実体は存在せず、
すべての概念は包摂関係を持った「オントロジカルネットワーク(縁起の網の目)」の結節点として存在します。
この「空の数学的定義」の何が良いかと言えば、「空」を形式的に定義できるだけではなく、抽象度や概念、そして存在そのものまで定義できます。
存在とは概念が物理空間に写像されたものです。すなわち時間と空間という情報を持つのが存在となります。ですので、概念論が存在論(Ontology)となるのです。まるで魔法のように。自我という部分関数(その中身は重要性関数)も定義できてしまうという凄さがあります。
このネットワークは、
下で閉じている「矛盾」という概念があり、上で閉じている仏教哲学における「空」という概念によって上と下が閉じた「包摂半順序集合束」を形成しています。
あるものの位置づけが、
別のものとの関係によって変わる。
その関係性が観えてくることで、
離れたところにあると思っていたものや、
スコトーマになっていたものが、
繋がりの中で姿を現してきます。
そして、その関係は、
自分一人で考えているときには、
観えていないことがあります。
誰かと対話していく中で、
相手の眼差しを通して、
自分の手元にあったものが観えてくることもあります。
縁起人が人間関係において、他人にするべき行為の一つが、「相手のスコトーマを外してあげること」です。人はスコトーマが外れることで、それまで見えていなかったものが見えるようになるのです。
人間は自分の視野の狭さには意外と気がつかないものです。一緒に話していて他人の思考をクリアにできる人こそが縁起人です。(略)
相手が出してくる情報に対して高い抽象度での視点を持ちながら話をするわけです。
しかし、この場合は相手に自分の持つ知識を与えることが大事なのではありません。話の中から見えてくる、相手が自分の目的において見えていない部分である、スコトーマを見つけることが重要なのです。
(苫米地英人『もうこれ以上、人間関係で悩まない極意 ─今こそ、「縁起人」として生きろ。』)
一つ一つの言葉を知っていることと、
その関係が観えていることには、
違いがあるというのは先日の講座の通りですね。
知っていた名前が、
自分の身体意識の位置や、
触れたときの感覚と結びつく。
身体の動かし方が、
自分の思ったものとは違っていて、
それが身体操作の効率を変えてしまうものであることに気づいたり。
そして、
階層性のこと、言葉にすること、数えること、
それまで別々のものとして捉えていたところに、繋がりが観えてくる時間でもあったと思います。
Mentoring Program 1stの初回から、
階層性のデザインもキーワードにして、
いろいろみてきましたが──
メンバーの方々も実感されているように、
いろいろなことが繋がってくると、
少し不思議なことに気づきます。
今、ようやく見つけたと思ったものが、
ずっと手元にあった。
以前読んだ文章にも、
何度も聞いた言葉にも、
すでに経験していたことの中にも、
ちゃんと、それがあった。
あのときも、
伝えていただいていたんだな、と。
以前は別々に覚えていたことを、
一つの構造の中で捉えられる。
その構造から、
まだ試したことのない場面にも、
使い方を見い出せる。
そして、
実際に使ってみることで、
これまでの理解も、また変わる。
同じ題材へ戻るたびに、
そこから観える関係が広がり、
具体的に扱えることも変わっていく。
円環で閉じているように観えていた変化が、
螺旋として観えてきます。
そうやって、
あれをやればこれができるという一対一対応の世界から離脱して、繰り返し何も分かっていない自分に戻り、螺旋的な移動をしていくことを移動と呼ぶ側面もあるのかもしれません。
MP 1stの記事でも書いていますね。
そして、
ここから何をしたいのかによっても、
手元にあるものの観え方は変わります。
ゴールの抽象度がどこにあるのか。
望む未来を描いたとき、
以前教わったことが、
急に大切なものとして浮かび上がってくる。
あなたにはどんな未来が観えるでしょうか。
連休ということもあり、
いろんな方とセッションでお会いしているので、
いくつかキーワードとして残しておきます。
今回の記事も、
お付き合いありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう!
Khronos / The salone|Hiro
追伸:
アメブロランキングが1位いただきました。
いつも丁寧に読んでいただきありがとうございます!
感想・ご質問、大歓迎です!
たった一言でも構いません。もし何か感じたことがあれば、ぜひシェアしてください。言葉にすることで、観えなかったものが形になり、次の扉が開いていくのです。
あなたの一言が、次の扉を開く鍵になり、
どんな小さな気づきでも、それが新しい変容の始まりになります。そして、“場”をさらに深める力となります。












