Mentoring Program 3rdの
初回が開催される前に、
一般募集も出すことができてよかったです。
この記事で書いているような、
変化は実際に起こっていくことなのですが、
何を言っているのかよく分からない人が一定数いるのも分かります。
よく分からない時は、
気功で考えてみてもいいかもしれません。
気功とは何なのかを考えてみると、
テクニカルには「Rゆらぎ」でした。
Rゆらぎというのは、
モーダルチャネルを変えて提示すること。
つまり、
無意識を意識に上げること、
です。
モーダルチャネルは、何かというと、
「五感+言語(+数学)」でしたね。
気とは情報です。
情報は物理的な存在ではないので、五感で認識することはできません。五感で認識できるものを物理と言い、五感以外のモーダルチャネルである言語で認識できるものを情報と言います。
モーダルチャネル=五感+言語(+数学)
モーダルチャネルとは脳の入出力チャネルのことです。脳は直接体験することはありません。外部に開かれた神経系は無いので、頭蓋骨を割って直接触れても脳は何も感じません。認識しません。モーダルチャネルという入出力チャネルを通ってきた情報を間接的に経験します。
モーダルチャネルは五感と言語に分けることができますが、五感を通じて入ってくるような外界のことを物理空間(もしくは物理)と呼び、五感以外のモーダルチャネルである言語、もしくは数学を通じて入ってくるデータを情報と呼びます。
モーダルチャネル=五感+言語(+数学)
五感ーーーーーーーーー物理空間
言語(+数学)ーーーー情報空間
という住み分けがなされています。
もちろんこの関係ははっきりと区別されるようなものではなく、浸潤(しんじゅん)しています。
われわれは何かを見る時に、その名称を意識しないで見ることは非常に難しいのです(名称とは言語チャネルに属し、情報です)
ただ大きな区分としては知っておいて損は無い考え方です。
この五感では感じられない情報をあたかも五感で感じるようにするのが、頭の良い人の脳の使い方です。
哲学者や数学者は高度に抽象的な概念をあたかも具体的、物理的なものとして感じます。高度に抽象的な概念を手触りあるものとして感じるということです。
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(まといのばブログ)
気功における共感覚というのは、
情報を五感にマッピングすることです。
情報が色や音や味や匂いや手触りとして認識されたりすることでしたね。
ちなみに視覚は嘘をつくので、(錯視を補助線に)
一番多いのは触覚で認識します。
見れば信じられる。
だが、触れることができればそれは真実だ。
(トーマス・フラー「ノーモロジア」)
最近も、
The saloneで一緒にやることがありますが、
気の球のワークからやることが増えています。
気の球という基本技術から、
いろいろな気功技術のワークを考えてみると、
触覚がメインだということに気がつくかもしれません。
気を感じる手を重ねることから始まり、
クンダリーニは脊椎を取り出して、
尾骨から頚椎に気を流しますし、
ψ(プサイ)は手を使って掘りますし、
気海丹田は手で充満する領域を操作しますし、
抽象度エレベーターは手でタップしますし、
美容整形は手で顔を覆って気を流して微細な変化を感じ取ります。(この触覚の解像度が反筋トレにもarg minにも繋がるのだと思います)
Khronosが「手を作る」こと、
「触れる」ことを大切にしているのは、
手の触覚が共感覚の入り口になるからです。
手で情報を感じるのです。
それを踏まえると、気の視覚化は、
すでに触れて感じている時点で始まっているし、
それを全身へマッピングしていくことで、
触覚を通した視覚化になっていくことが観えてきますね。(共感覚であり、Rゆらぎになる)
これを、
言語や数学についても同じように考えてみると、
モーダルチャネルをまたいで、
情報を触れていることが観えてくるかもしれません。
ということも、
自然なことのように感じられるかもしれません。
加えて、
先日の記事でも一緒にみてきた──
「図のカタチ(扇や台形など)」として観ること。
「形式化(Sgen=Sphys+ΣwαHα, dSgen/dt=Π≥0)」として観ること。
「言語抽象度での定義(定理15とは──)」として観ること。
という三つのカタチを行き来することも、
気功で行っていることと、
同じ構造として観えてくるかもしれません。
(本質的には手仕事であり、手渡しであることも)
これは「扇(おうぎ)」と呼んでいる「PWR(Possible World Representation 可能世界表記)」と「空の数学的定義(包摂半順序束のオントロジカルネットワーク)」が土台となっています。
これは、
抽象度の階層性にも関わりますよね。
たとえば「言語学を抽象空間の物理学のようにとらえた」と一節からは、情報空間が想起されます。博士は一方で、言語の階層性(チョムスキー階層)が情報空間の階層性(抽象度)に繋がったと繰り返し話されています。チョムスキーがいなければ、認知科学も無かった、と。
Dr.Tの論文からも。
チョムスキーはユニバーサルグラマーのプリンシプルの前提として,言語クラスの階層性をチョムスキーヒエラルキーとして定義した.後にその考え方は,情報問題の複雑性に関する理論であるコンプレクシティ論(計算量の複雑性理論)に発展していく.加えてチョムスキーは,言語現象そのものも抽象度でヒエラルキー化することができることを発見している.(略)
言語現象において,最初からチョムスキーは完全に情報空間の現象だけを扱っており,そこからチョムスキーヒエラルキーを考え出した.それが後のコンプレクシティ論に強い影響を与え,分析に計算機を用いることで情報空間の制約が物理空間にも通用することが,明確にされたわけだ.(苫米地英人『深層脳内情報処理から学ぶもの一機能脳科学の観点から一』)
抽象度の階層性を考えると、
包摂半順序束で説明される水戸納豆のような言語の階層性が明確にあり、ある一つの概念を掴むと網の目状に別の概念との関係が立ち上がっていきます。
それは、一つの概念を掴むことは、
すべての概念をネットワークの中で掴んでしまうことでもあり、そこからT理論の「自我と宇宙は表裏一体」ということにも繋がりますよね。
そもそも自我を定義しようとすると、自分ではないものを並べていかなければいけないという自我の認知科学的定義を思い出します。
自分ではないと思えるようなものの関係性の中にしか、自分を定義できないのです。その結論は「自我と宇宙は表裏一体」です。なぜなら、その関係性(縁起)の網の目は宇宙大に広がります。物理宇宙ではなく、それを超えた情報宇宙です。そして、何が自分で何が自分でないかを判断するのは恣意的な線引によります。自我は重要性関数という言う由縁です。
前回の記事で書いているような、
変化が起こっていくことも、
情報を手触りのあるのもとして感じ取り、
台形の図のようにw1からw2への移動も、
情報空間に投げた情報のフィードバックも、
この話の中にあります。
文字だけで追うのは大変かもしれませんが、
伝わるものがあれば幸いです。
今回の記事も、
お付き合いありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう!
Khronos / The salone|Hiro
追伸:
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