身体のレベルを上げていこうとしても、
以前と同じ身体観のまま繰り返していると、
どこかで行き詰まることがあります。
(以前、200キロのバーベルを上げる手前で行き詰まった時期があります。身体観の更新でプラス30キロ以上を一気移動した気がします。)
そこで、
何をするかだけでなく、
自分が身体をどう捉えているのかを、
問い直すことになります。
例えば、トレーニングで、
単純に重量を増やしていくことから、
全身の連動を意識していくこと、
連動を意識するにしても階層性があって、
その意識の仕方で結果の出方は全く変わってしまいます。
物理身体への写像として現れる結果にも、
自分がどんな身体観で動いているのかが関わってきます。
何を一つのカテゴリーとして捉え、
どこに線を引き、どんな関係を観ているのか。
その世界の観え方によって、
自分が試せることも、
可能だと思える動きも変わってしまうものです。
進化成長の限界だと思っていたものが、
自分の身体観の限界だった、
ということもあるのだと思います。
そして、想像力の限界も。
僕自身も、
どんな意識で動いているのかによって、
同じことをしていても結果が大きく変わってしまうことは実感していますし、
それをトレーニングでも、
無意識に行っていることを意識に上げながら、
実験し、検証してきています。(Rゆらぎ)
身体観とは、
どんなものがあるかというと──
0番目は「自由に身体を操作できると夢想する段階です」、レベル0です。
文字通り、自分は自由に身体を操作できると夢想しており、実際には不自由なままで終わるイメージです。
そして、1番目は、積み木モデルとかアライメントモデルです。
ロルフィングのあのロゴを思い出してください。
バレエでもアライメントと言ったりして骨と骨の関係(関節)を重視します。その背景にあるのはこの積み木モデルです。下から積み上げていくモデルです。「ゆがみ」などの概念はここにぶら下がります。
2番目は、テンセグリティモデルです。
これはFascia(筋膜)流行りと相まって爆発的に受け入れられている印象です。
これは積み木モデルに対するアンチテーゼとしても、筋膜連結の不思議を考える上でも非常に重要な考え方です(ですが、間違っています)。
3番目は、内圧モデルです。
ここからは「まといのば」のオリジナルっぽくなるのですが、きっとどこかで誰かが主張しているはず。鍵となるのは、パスカルの原理です。
これはMaxバルーンなどの絡みでさんざん書いてきました。一番わかり易いのは体幹であり、腹圧だからです。ですが、実際は全身の問題です。
4番目はバクテリアモデルです。
これもEcoSystemがらみでできてきたモデルですが、端的に言えば細胞も細菌と見なしたらどう?という立場です。亜人のIBMや夏の蚊柱のようなモデルです。イメージ図はマイケル・ジャクソンのリメンバー・ザ・タイムの冒頭。もしくはLUCYです(このモデルでは生命素粒子まで分解しませんが)。
(まといのばブログ)
これらは、
一つ一つがバラバラに存在しているわけではなく、それぞれを踏まえながら、階層を上がっていくものです。
そのうえで、
必要に応じて身体観を移動しながら使っていく。
これに付け加えるなら、
階層性の移動は視点の移動でもあります。
(ここにrandomとorderやcontextを繋げたい)
視点を変えるとゴールも気功も似ています。
どの未来、どの知識を採用するかで見通せる先が決まってしまいます。
移動する力が圧倒的なので利用する際には注意が必要です。
あなたは東京から新幹線の座席に座っているだけなのに、気付いたら名古屋を通り越して、京都も通り越して、大阪に到着している。
そんな感じです。
気付いたら別の場所に降り立っています。
ランダムに歩いても気付いたら高みに登っている。理想世界を設定されることによって。副鼻腔の深さ。
そして、もうひとつ。
身体の何を中心に観るか、
という移動もあります。
それが、「王国」という視点です。
骨の王国から神経の王国、
Fasciaの王国、筋肉の王国、常在菌の王国への移動です。
「骨の王国(byMATLAS)」では、骨しか重要なものはありません。骨に筋肉も神経系もFasciaも循環器系も常在菌も付き従います。骨を調整する必要もなく、ただ骨に触ることが大事です。
いや、MATLASⅡでは、触るの先である「掴む」を丁寧にやりました。
触ることが書き換えの前提であれば、掴むは「支配」の原則です。
ここに、
「あなたの骨を数えましょう」が入ってきます。
そして、
Fasciaを緩めたり──
(筋肉を緩める。靭帯や腱に働きかける)
その逆をしたりする。
そうした働きかけをしてきた身体観から、
さらに移動していきます。
今度は、
コラーゲンやエラスチンといった構成成分に着目し、異なる名前で呼んでいる組織の共通性を観ていく。
(Fasciaというのは(特に靭帯や腱)というのは、コラーゲンとエラスチンが主成分でできていること)
そこに、
解剖学を「位置の関数」として捉える視点も重ねていきます。
解剖学というのは位置の関数であり、位置はどこまでも詳細にできるので、位置はその意味で無限に(いや無数に)定義可能なのです。(略)
名称がアプリオリにあるのではなく、コミュニケーションが先立っており、そのツールとして名付け(Naming)があるのです。
MATLAS整体で初公開した「Kolla(コッラ)」です。
「全身がコラーゲン」という技術です。骨も皮膚も筋膜も結合組織のほとんどもコラーゲンで、できています。神様が泥から自分の鋳型を取って、人間の外殻を作った時、おそらく真っ白なコラーゲンで作ったはず。
そして中心に近い方は歯(のエナメル質)と同じハイドロキシアパタイトで鉄筋コンクリートのように(鉄筋がコラーゲン、コンクリートがアパタイト)硬め、皮膚や肺や動脈は柔らかく広がるようにゴムのような弾性(Elasity)のあるエラスチン(Elastin)を配合しました。他は腱も靭帯も筋肉を覆う何重もの筋筋膜も全部コラーゲンです。
この「Kolla」を用いて、「腹部から膝までの範囲が全て軟体動物のようになる」を合言葉に関節という考えを脱色すると、不思議に柔軟性が一段階上がります。
このような身体観の移動をリアルに経験してきて、
受け取ってきたことを並べてみると有難さを感じます。
そして、ベイトソンの言葉も思い出します。
ここで進化の問題をしばらく離れて、「精神のユニット」という問題に立ちよってみます。例の「地図と土地」の対比において、問題は「土地にある何が地図にのるのか」ということです。土地がそのまま地図にのるのではない──この一般意味論の大綱に異議を唱える人は、ここには一人もいないはずです。では、土地から出た何が地図にのるのか。土地が完全に均質な場合、土地とその外部との境界線しか地図に現れてきません。この線は、均質なまま続く土地があり、外部のより大きなマトリックスとの間に差異をつくるところです。
(G・ベイトソン『精神の生態学』形式、実体、差異)
日常の些細な動作から、
運動する時に意識していること、
あるいはヒーリングで身体を観るとき。
僕たちは、どこに違いを見いだし、
どこに線を引いているのでしょうか。
骨と筋肉。
腱と靭帯。
表皮、真皮、筋膜。
それらに共通するコラーゲン。
何を区別し、
何を一つながりのものとして捉えるかによって、
身体の地図は変わっていきます。
その地図を使って動いたとき、
実際の身体からどんなフィードバックが返ってくるのか。
それぞれにワールドの移動を感じられる面白さがあります。
そして、それらも気功であり、
T理論でもあるので、抽象度の高いグラフから描いて眺めていきたいのです。
今週末の講座では、
理論に入っていくのは大変だと思いますが、
Kolla(コッラ)などをワークショップ形式で、
ワークショップ形式で扱えたら面白そうかなと思っています。
実際に身体も動かしながら、
どんな違いが生まれるのかを、
一緒に観ていきましょう。
今回の記事も、
お付き合いありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう!
Khronos / The salone|Hiro
追伸:
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