気づけば、

このカテゴリーの記事も、
今回で200本目となりました。

前回の記事では、
驚くような変化が起こる未来は、
現状の自分で判断している限り、
辿り着けない場所にあったりする。(そのことを、
ハーバード大学の調査と合わせて
一緒にみてきました)

誰と関わるのか。
どんな場所で、
どんな言葉に触れ、

どんな未来を観ている人たちと、

時間を共有するのか。

それによって、

自分一人では辿り着けなかった場所へ、

想像以上の速度で移動することがあります。



なぜなら、
高抽象・高臨場感の共有未来を生きることになるから、ということを最近の記事でも一緒にみてきましたね。


 
定理3を踏まえると、構図は変わる。定理3は高抽象 LUB 統合を導入する。苫米地進化定理は、高抽象・高臨場感の共有未来を生き、伝える能力が進化的に選択されうることを示す。この大きな体系では、利他性は進化への矛盾ではない。それは高抽象における進化そのものである。
(苫米地進化論(5定理版)— 認知ホメオスタシスから象徴文化と進化へ)

そのような変化が起こる場所は、

現状の自分で理解し、
納得して、腹落ちしてから、
選べるものではないということでもあります。

現状ではリアルでないから、
未来であり、ゴールなのです。

現状で分かるものに価値をみている限り、
その延長線上でしか生きられないのかもしれません。


 
そのことに自分では気づくことすらない。

そうやって人生は、
そんなもんだ。」と思わされているだけなのかもしれないのです。

誰かによって構成された自分という存在。

それは果たして自分なのでしょうか。

そうやって、
長く深淵を覗き込もうとせず──
結節点だと考えることができれば、
多くの人が寄ってたかって書き込み、
刷り込み、意味の世界で創られた、
かりそめの風景なのかもしれないということが観えてきます。

だから、

今の自分では判断しないこと、
違和感やズレを大切にすること、
移動した先で、やっとそうだったと思い出す、

というようなことを、
以前から一緒にみてきているわけですね。

現状の自分には直接関係のないように感じること。
現状の自分には違和感のあること。
現状の自分には居心地が悪いように感じること。

そういったことに、

どのように関わろうとするのか。



そうした一つひとつが、

その場の臨場感をつくっていきます。

つまり──
あなたが場を選んでいるようで、

その場もまた、あなたを選んでいるということです。


自分が理解し、
納得できるものだけを求めていれば、

触れられるものには限界があります。

そうしたことだけを観ていると、

目の前にある関係性の価値を、

認識することは難しいのかもしれません。

そして、
あらゆる関係は、

自分のためだけに利用するものではないということも。

共有された未来を観ながら、

それぞれのゴールに合致した機能が果たされていく。

誰かの移動が、

別の誰かの可能性を開き、
その変化を観た人が、

さらに遠くの未来へ動き始める。

そうした関係性の中で、

一人では生み出せなかったものが、

次々に生まれていきます。

先日発表された新しい論文では、
 「認知時間は未来から現在へ、さらに過去へ流れる
ということが、数理的厳密証明されましたね。

 
成功とは、認知時間が未来から過去へ流れると確信することである。
これは哲学的主張ではない。本論文の形式体系の中では、未来ゴールが制御汎関数に入ると、現在行動は未来側から選択され、過去はその未来の意味によって再構成される。これは数学的事実である。

いま一緒にいる人たちとの関係が、

どんな未来を生み出すのか。

現状の自分には、

分からないことのほうが多いものです。

けれど、

分からないからこそ、

一人では観ることのできなかった未来が生まれます。



すべてが予測できるのであれば、

それは現状の延長です。

自分の理解を越えた人と関わり、

自分一人では持てなかった臨場感に触れ、
その中で、自分もまた、

場を構成する一人として機能していく。

だから、

想像を越えた移動が起こるのだと思います。

Chisaさんの素敵な記事が、
公開されたのでご紹介します。


 
でも、今回の変化はこれまでとは違いました。
 

変化は自分の深層部で起きていて、世界の見え方そのものが反転したような感覚です。
しかも、その変化の瞬間を、自分自身ではっきりと認識することができました。



そして、この領域への移動(変化)は、一人ではたどり着けないものなのだと直感しました。
もちろん、これまでの変化も一人で起きたものではありません。



けれど今回は、自分でもまったく気づいていなかった無意識の深い部分にあったパターンが、初めて意識に上がってきたのです。



それは、物心ついた頃から抱えていた疑問であり、もう答えはないのだと半ば諦めていた悩みでもありました。



「え、私がずっとつまずいていると思っていた原因って、そこだったの?
全く気づかなかった……。」

その衝撃は大きく、この瞬間のために長年の疑問や違和感があったのではないかと思うほど。

書いてくださったような変化が、


場全体の臨場感をさらに高め、
Chisaさんご自身の次の変化も含め、
また新たな変化を自然に生み出していきます。

実際に、誰か一人に起きた変化が、
別の誰かにとって、

これまで観えなかった未来を、

観えるものにすることがあります。

自分にもできるかもしれない。
そんな人生を望んでもいいのかもしれない。
ここまで遠くへ行ってもいいのかもしれない。

そう感じた瞬間、

その人の未来もまた、
動き始めます。



こうした場に参加するというのは、


変えてもらうことではありません。

そこにいる人たちと一緒に、

まだ存在していない未来を、

つくっていくことでもあります。

その意味においても、

適切な場をどう選ぶのかは大切です。

けれど同時に、
その場に、
どんな自分として参加するのか。

何を受け取れるかではなく、

自分は何を共有することができるのか。

どんな未来を、

仲間と一緒に観ようとしているのか。

それもまた、

大切なことなのでしょう。

あなたが場を選んでいるようで、

その場もまた、あなたを選んでいます。

そうやって、

出会えた関係性の中から、
自分一人では想像もできなかった物語が、

始まっていくのだと思います。


 
すべての多様性が高次 LUB のもとで調和する Shared-High-TCZ が、人類の認知未来時間原点として存在する。認知時間はその未来から現在行動と過去意味へ流れ、人類はその Shared-High-TCZ へと進化する。
(苫米地進化論(5定理版)— 認知ホメオスタシスから象徴文化と進化へ)

ここで一緒にみてきたことにも、

深く関わってくることですね。




ではでは、今回はこの返で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

追伸:
感想・ご質問、大歓迎です! 
たった一言でも構いません。もし何か感じたことがあれば、ぜひシェアしてください。言葉にすることで、見えなかったものが形になり、次の扉が開いていくのです。
あなたの一言が、次の扉を開く鍵になります。
どんな小さな気づきでも、それが新しい変容の始まりになります。そして、“場”をさらに深める力になります。