1.絶対安静ということもあって頭をなるべく空白に保つようにこころがけている。その空白の霧のなかからおのずとたち現れてくるものがある。それはやはり同様のしいられた無為空白のなかで先生が難民収容所の蚕棚のような居場所でその自己展開する自らの夢(文字通りの睡眠中の夢)の経験を反省した、あの現象である。これはぼくのテーマのひとつであったがいままで触れたことはない。しかしいまの状態にあるいみふさわしい。これに関わることをこころみよう。あの生死の境を彷徨った集団歩行の後入れられたその空間(ラーガー)での現象である。同じ『薔薇窓』からの引用で始める(第一部VI)。
《「ここは一体どこなのだ?」
「ヘッセン地方のカッセル山地のツィーゲンハイムってところさ」。そう言われても私に見当はつかなかった。ワイマールとハノーヴァーの中間ぐらいの山地だろうと思った。今までに幾度も来たドイツだが、地理を私はまるで知らなかった。》
これは意外な発見である。先生は驚嘆すべき地理通として有名だからである。イタリア・フランスなど、行ったこともない土地でも既に居たかのようによく知っており、知人のガイドを何度もつとめた。
《この日から私に一年半の収容所生活がはじまった。そうしてそれまでとはちがった経験が私を待っていた。》
病人のつぶやきがてら、読者にはこの一年半をじっくり付きあってもらおう。
2.『薔薇窓』をお持ちでない読者のために収容所の基本状況の叙述を直接紹介する。
《収容所に入れられると、一分先には死ぬかもしれないという対峙的な緊張はなくなり、外の世界の自由がないだけで、あとは一応人間の生活に戻った。けれども自分の精神も神経も一旦平常に返ると、局部的な不幸が私の全存在への重圧となった。空腹である。寝ても覚めても空腹が私につきまとい、どうにも動きのとれぬ運命力のように、昨日が今日になり、今日が明日に延びても、平生なものの中にただ一つのものが連綿として異っており、それに接触している自分の中のごく一部分だけがまた異常に働き、その刺激を先のわからない辛抱力で持ち耐えているのである。何時になったら腹一杯食えるかわからぬじりじりした空腹の中で、明日になったところで金が入るかどうか当てのない日が際限もなく続いた昔の貧困時代とくらべて、私は考えていた。これは自分の体力や神経が全部的に歪曲していない場合に、環境がもたらす重圧を自分のある一部分で支えている例である。この不幸から恢癒する術(すべ)そのものははなはだ簡単なのである。金が入るか腹いっぱい食えれば済む。一年半の後にいよいよ収容所を出てフランス国境に着き、国境警察で親切に御馳走になった時には、あの長い間の悪夢をけろりと忘れてしまった。それからパリに帰り、あのように夢想していたパリ料理にありついた時にも、拍子ぬけがして何の感動もなかった。なるほど一年半の私にとっては、料理の方に問題があったのではなく、私の空腹に事件があったのである。これは冒険の際に自分を賭けた事件とは異質のものであった。なぜなら生命が保証されている平常態であったのだから。そうしてこれは生命よりも、生きることにとってのより切実でより不幸なことなのであった。
戦争は昨日終ったばかりで、ドイツは破壊されつくしており、なに一つなかった。占領軍が全力をあげても食糧の保証はできかねた。アメリカ軍はすべてを自国から持参した。収容されていた私たちもその給与食だった。入った当初は一日五、六百カロリー。それからようやく千七百カロリーにまで昇った。それでも外の自由な一般ドイツ民よりも多い割合で、近隣の村民から苦情がでた。二万数千人もいる収容所は自治制だったから、親分(ボス)が発生し、それが炊事係と闇取引をやるから、軍が出している割当も正直に私たちの口に入らなかった。しかし千七百カロリーでは栄養不良に陥っても、死ぬ心配はない。ただ激しい空腹の拷問に間断なくかけられている。これは世間の生活の中で、自分だけが貧に飢えていて、しかも死にきれない苦痛と同様である。死におびやかされるよりも、生きるための欲望に圧迫される方が痛切である。》
このように具体的記述が延々とつづく。
それにしても、民を思う国は絶対戦争を起し得ぬはずですよね。
3.現在、堀を埋めているのである。読者と共に〈本質〉を味わうに至るために。
《やがて私におもしろい現象が起こってきた。体力が低下しているためであろう。一日なにも働かないのに、夜十時に電灯が消されると、日頃不眠症の私も二十分ほどで眠りに陥ちた。ひじょうな安眠である。
そうして空腹そのものから幸福な夢が生れだす。
私は食道楽であった。各国のうまい物、フランス中パリ中のうまい物屋を知っていた。それに自分の腕を自慢していた。毛布を頭からひっかぶって、うとうととしている中に、私はおどろくべき美味求真の献立を作りだした。精細入念に料理の品数を吟味し、それから買いだしにでかけた。選択に厳密で、パリ一流の食料品屋ばかりでなく、全国をとび歩いた。鵞鳥肝臓(フォア・グラ)葡萄酒煮詰物はストラスブール物よりもぺリギュー物でなければならなかった。牡蠣(かき)は地中海(メディテラネー)産よりもアルモリケーヌを選んだ。腸詰きゃべつ酢煮合せ(シュクルート)は東駅前(ギアール・ド・レスト)のシュルツのものでなければならず、肉は屠殺場(アバトワール)近くのパンタン門(ポルト)まで求めに行った。料理に入ると更に繊細になった。同じビフテキでも「マキシム式」と「カフェ・ド・パリ式」ではちがいがあった。ソースもパリと南仏(ル・ミイディ)とブルゴーニュでは具合がちがった。私の好みは簡潔なロワール料理を選んだ。そうしてそのどれよりもうまく私はできた。臭覚が鋭くなっているから、焼きかげんや煮かげんを匂いですぐ判断できた。葡萄酒はせんを抜く前にコルクの匂いで年代を鑑別することができた。料理の皿に応じて酒の見立てがちがうが、私はやはりブルゴーニュの赤(ルージュ)を愛した。そうして私の頭の中には、「レキュ・ド・フランス」も「ラ・レエヌ・ぺドーク」も持っていないような豊富な酒蔵ができた。》
やはりこの人は怪物である。本領はこれからである。
4. 《豪贅な晩餐(スーぺ)をたべるのに、もちろん私は立派な館(やかた)を建てた。それは私の愛する南仏海岸(コート・ダジュール)であった。崖の上の平地(テラス)の松林の間から碧緑の海が見はるかされる。赤褐色の岩崖の小道を降りれば七色の礫利(じゃり)の敷きつめられた浜に出る。一木一石を吟味して豊かで簡素な家を私は設計した。調度も一つ一つがいわれのあるものであり、隅々までも私の趣味が行きとどいた「愛さずにはおれない」館であった。
この宝石のような館に私ひとりで棲んでいるのか、それとも美しい女と共にいるのか、私にはつきとめられなかった。もちろん忠実な下僕や女中はいるのであったが、それから先はぼやけていた。パリに残してきた伴侶はいかなる時も影のように私につきまとっているのであるが、それは分離してこの美わしき邸内で私の前に現れて来ない。〔・・・〕天空に打ち建てた私の楼閣の中では、私は想像を超える未知の天女を待っているのであろうか?〔・・・〕
自分で手がけた山海の珍味の湯気だつ香気がしびれるように私を包み、さていよいよ純白のナフキンを膝にかけ、太陽のしずくのようなブルゴーニュの赤酒を杯に満たし、純銀のしっとりと重いナイフ、フォークを手にとって、食べだすか食べないのかわからない中に、私は安眠しているのであった。夢の中までこの親密な晩餐は延長するらしいが、せっかく吟味して整えあげた料理を、喉に通した自覚は一度もなかった。実際の胃腑はがら空きなものだから、飽食満腹は夢の中でも遂に私を幸福にしてくれなかった。〔・・・〕》
ロマネスク(物語世界)は本来、具体的ディテールの描写がもつイマージュ喚起力にすべてをかける。観念は、事象感覚を媒介とせねば伝えられないのだ。続く〈本質〉呈示へこうして移行する。
《夜毎にくりかえすこの想像が私をたのしませると共に、それが実に鮮明で、ある力を持っているのにおどろくのであった。慰めが向うの方で私を待っていてくれるようである。そこには風景がもう出来上っており、私の魂の状態を示してくれる。紙も筆も持たないで設計した館の部屋部屋に入れば、秩序と趣味を以て整然とした調度が私を迎える。夢で創りあげた世界へ私の方が入ってゆく、私が居ても居なくても常に存在しているように。こうして私はバラックの電灯が消えるのを待つようになった。》
思い出すが、嘗て辻邦生氏はぼくに語った。「小説家がどうして自分も経験しない人間体験をみごとに描写できるかの秘密(トーマス・マンの「ブッデンブローク」の中での臨終体験の描写の迫真性への感嘆をぼくが口にしたことがきっかけだった)は、全部ぼくらの内にあるんだよ、不思議なことだけどね、ぼくらはそれを知ってるんだよ」と。
5.〈本質〉を呈示する前提としてどうしても具体的記述は力がある。目的あってのことなので、読者にはいましばらく先生のすばらしい描写に付き合ってもらいたい。
《空腹はさらに私を異常にした。収容所に入ってから二ヵ月ほどは猛烈な南京虫に悩まされた。撲滅する特別の液が届いて、バラックの土台から消毒するまでは、どんな大がかりな退治をしてもききめがなかった。電灯が消えると、上から降ってくる。攻撃目標を正確に知っており、かならず首筋から胸を襲う。ぞろぞろむずがゆくなって、手でたたくと、一度に三、四匹がつかまる。むし暑い夏を、毛布で体を厳重に包み、両手に手袋をはめて、手首を紐でしばり、頭に紙袋をかぶって首のところもしばり、潜水夫みたいにして防いでも、潜入してくる。とうとう降参して、あとは食われ放題にまかせた。そのために手足にひどい潰ようを起こし、病棟に入院して、安全かみそりの刃で外科手術まで受けた。こうして、うとうとしながら手は活動していて、間断なく首や胸を叩いている。南京虫は潰すと青臭い不愉快な臭いがする。それが、美しき館の中で珍しい料理を用意しながら、ひねりつぶすと、あるものはキャラメルの匂いがし、あるものはこくのある乾酪(フロマージュ)の香りがし、また遠い日本で昔子供の頃食べた餅菓子の風味がするのであった。
こういう状態には精神の緊張はまったくない。体質が要求する部分に接した面で、感覚が痛切に働いて、ある想像の力を生むのである。》
これから一気に哲学的反省の中に没入する。
6. 《そこで私は興味ある発見をした。まったく自由な想像も自分に未経験の果てしのない飛躍ではなく、過去が詳細に織りこまれており、むしろ厳密な事実のみから生れて、一つの世界をなしている。そこでは自分の過去が圏を作っているのである。無尽蔵の材料をもって調理できるべき私のご馳走も、かつて人間が食べなかったような天上の珍味はこしらえなかった。かならず私がどこかで食べ味ったものである。過去における、あるいは過去の意味を私たちに作るところの経験がなくては、想像は実質性を持たない。経験なしに想像は生れない。想像は経験の純化状態であろう。自我意識がまだたしかに生れない幼年時のあの美しい想像や夢にそれが見られる。短くはあるが、まだ反省意識の網を通らないがゆえに、純粋単純な経験があのように強く美しい想像を創る。子供の頃魔彩鏡(カレイドスコープ)をのぞいてみた多彩の夢など、未知への飛翔ではあるが、幼年のうぶな経過や血の中に潜んでいるであろう未生前の経験がどれほどに広大に拡がり得るものか、未来に予定される無限とも思える「範囲」あるいは「規定」を示しているのではないか? 大人になってから、なんでもないありふれたものから受ける印象が、子供の頃の単純強力な感動を呼び戻し、そこに郷愁的(ノスタルジック)なほとんど絶対な美を感じるのも、同じ現象であろう。》
テキストをそのまま全文紹介している。これはそうしなければならない。高田の他の著作文章の上にも繰り返しこのイデーの光は射しているであろう。いままでこの欄で述べ来たった内容もまたここから逆照されるかのように読者は既に感じておられよう。この己れを支払った人物のイデーの恩恵の前にしばし足を止められたい。
7.《また更におもしろいのは、この無際限に展開するかに見える想像の中に、「自分」が自ずと圏をなし、ある制約を持っていることである。私は自分の愛する南仏海岸に愛情にみちた家を建てた。そこで贅沢と趣味をつくした。けれども私はヴェルサイユ宮殿を決して建てなかったし、レンブラントの絵を十数点も壁に掛けなかったし、ミケランジェロの巨大な彫刻を廊下に据えもしなかった。途方もない空想の中でも私の理性が干渉して、「柄にない。これでは実感に遠く嘘になる」と遠慮したのだろうか? 理性が介入するのだとすれば、「どうせ空想だ。それでひもじい腹がくちくなるわけではなし、神様王様以上の想像をしたって損はしない」方に働くはずであろう。私が敢てヴェルサイユを建てず、レンブラントを十数点も欲ばらなかったのは、私の過去の集積がある運命力のようなものとなって、私の将来とか未知の世界に抛物線を描き、私のあらゆる可能性を予定規約する限界を作っているのであろう。これは、どこまで行っても「自分みずからが予定する」のではない「自分」が常に存在するからである。》
きみの魂は、魂自身の方で、きみを待っている。〈自分探しの空しさ〉が言われて久しいが、こんなみごとですばらしい気づきがぼくたちを待っていたんだね。ぼくがなにかつけたすことがあるかい。
8.わたしはいま先生の収容所での夢の経験とその反省の報告について掘り下げた考察をし得る状態にないが、既述の箇所に続く先生の文章を紹介しておこうと思う。
《私が現実からもらえるものは貧しい一塊りのパンと一さじの肉である。これを食べる時、しかし私はすこしも想像を働かしていない。もし一片の黒パンを食うのに、白パンにバターのついたトーストの香気を想像できるとすると、現実の黒パンと矛盾し不調和になり、私は現実に耐えられまい。私の空腹状態はこの貧しい現実に文句も不平も言えないほどさし迫っている。今日思いだしても、あの時の一片のパンは極楽の味がした。しかもそれとすこしも扞格(かんかく)することなしに、私の全存在の集積のおかげで、無際限の食道楽の世界を展開させていた。私は食道の形而上(ガストロノミーメタフィジック)を実感したようであるが、ここで現実と想像の関係が解ると思った。食欲のように体質に厳密に条件づけられている事柄では、まさに異常時にのみ現れるのであろうが、これほどに物質的条件あるいは数字〔数学?〕のように論理条件が大きい部分を占めていない領域、精神活動が主となる世界での「現実」と「形而上」との相関現象も同じであろう。》
わたしはポイントとなる「現実」「想像」「形而上(メタフィジック)」の語を色分けした。はじめ二回の「想像」は恣意的・無拘束的な意志的想像作用のことだと思う。そうして「形而上」という観念が出された後「現実と想像の関係」と言われた際の「想像」は、それとはあきらかに異なっていると思う。「形而上」と等価なのだ。「貧しい現実」に触発されながら、「私の全存在の集積」(記憶と経験の集積)の規定作用によって、恣意的意志とは独立なイマージュ(印象像)の世界を自己展開する、物質的実在的現実と精神的形而上次元との間に働く自律的想像作用であろう(これによって自己の本質の象徴としての夢が展開された)。つづく先生の文章でこの理解を検証しよう。
9.犀の如く一人林の中を歩め
《たしかに空腹に悩む私の「想像」の中では、異常なものが働き「力」になっていた。これがもしもっと「精神力」といわれる領域で熾烈になったならば、たとえば聖フランシスコのスティグマも可能であろう。けれども私の思考はそこから「奇蹟」や「神秘」には行かず、哲学的反省になっていた。なぜなら「真」に対する実感とか触知の問題が芸術感覚の領域に入り、「創造」とはなんであるかと考えてくる時、私の空腹と夢との間にあると同じ相関性があると思われたのである。》・・・
スティグマ(聖痕)の如き「奇蹟」現象は、「夢」の領域が「現実」に謂わば逆流して起こる、想念具現化であろう。芸術創造においては或る意味でこれと同じことが起こる。直観された純粋感覚の〈作品〉内での表現あるいは象徴的具象化である。その際、直観力は、或る喪失感と表裏であり、〈失われた時〉の非意志的想起(レミニサンス)を巡りこれを回復し留めようとする探求的行動が創造となる。理解を一歩一歩進めてゆこう。
10.・・・《感覚とか感動にある「直接性」「間接性」はいくら論理的に推定しても説明できない。しかもこれから「神秘」に行くまでにはまだ非常に広く深い思索の領域がある。芸術が思想(イデー)を持ちそれを示す。さらに進んで言えば、対象となる自然そのものが思想を持っている。》・・・
「神秘」ということで先生は〈神〉を純粋感覚したいのである。これは他の文章からもあきらかである。そしてここで言う「自然」の本性は注意を要する。既にプラトン的イデアの具体的象徴の性格を帯びる自然だからである。あの自立的「夢」の性格と奥行においてとらえられている自然である。この意味での自立性が、「対象となる自然そのもの」という言表において思念されている。すなわちそれは自立的イデー(思想)を、イデアを、具有しているものとして思念されているのである。
この意味における自然と芸術との関係を本質的に言い得ていると思われるゲーテの言葉を、シュタイナーの「新しい美学の父としてのゲーテ」(『芸術と美学』所収)から引用する:
「人間が創造した最高の自然の作品たる芸術作品は、真の自然の法則に従って生まれたものである。恣意的なもの、空想されたものはすべて崩壊する。だが、ここには必然があり、神がある」
11.・・・《あるいはまた、芸術家が作品によって思想を表現しようとする、とはたしかに言えるのであるが、そこの「現実」と「自分」と「思想」との間に、一片のパンと私の山海の珍味との間にあると同様の関係がある。これはひじょうに厳密な結(つな)がりを持っており、この緊密が正しく現れない時には、創作品や思想が概念に終るのであろう。私は「形而上」と「自分」の関係や「現実」と「象徴」の関係を理解するのに、私の経験が一指示となったことを感じた。これはゲーテの「原現象(ウルフェノメーン)」と「実感(エアレープニス)」と「詩(ポエジー)」の関係を意味するのであるが、私は自分の感得がベルグソンやプルーストの思想に近いことに気づいたのであった。》(以上『薔薇窓』第一部VIより)
プルーストおよび、プルーストが影響を受けたとされるベルクソンへの言及はよく解る。記憶・イマージュに物象的な独立性を認めたベルクソンの少し自然主義的ニュアンスを残した思想は、「私とは私の過去である」とするガブリエル・マルセルの形而上的思想にも、哲学的に純化されて継承されているとぼくは思う。先生の発想はひじょうにプルースト的・マルセル的だが、造形芸術家らしく更にゲーテの直観的自然思想にまで遡って自己の思想を照応させているのはさすがだと思う。「原現象」とは、直観され得るプラトン的イデア(形姿あるイデア)に近い、生命体の原型的原理であり、この点で、原理を直観されざるカント的純粋理念に求めたシラーと、眼の人ゲーテは衝突した。先生は、アラン・ジイドなどフランスのゲーテを讃仰する知性人たちと共に、ゲーテに近く、深い親和性を繰り返し告白している(「ゲーテがドイツに現れたのはドイツにとって奇蹟だ」とも言っている)。ここで「現実」「自分」「思想」とは、具体例の次元では「一片のパン」が「現実」、「私の」非意志的に想像する「山海の珍味」が「思想」、そのように想像させる神秘な経験の集積としての魂的(形而上的)「私」がここで言われている「自分」、に各々対応するのではないかと思う。芸術作品や思想が真実のものであるとは、「思想」が真の「自分」に迫り、かつ真の「自分」から生じて、そのことによって、この作用の触発媒体となっている「現実」がこの作用経験の「象徴」の如きものとなることであろう。つづいて言われる〈「形而上」と「自分」の関係〉〈「現実」と「象徴」の関係〉の理解とは、この、自己が形而上的自分に迫りゆき、乏しい現実が豊饒な形而上的真実を触知させる象徴へと転じるという、緊密な内的運動の会得であろう。ゲーテの「実感」(体験)はこの聖と貧とが表裏一体の真実経験であり、この経験の結晶的痕跡(レミニサンスの可能性としての「形」)が、作品としての「詩」の意味であろう。
《「ここは一体どこなのだ?」
「ヘッセン地方のカッセル山地のツィーゲンハイムってところさ」。そう言われても私に見当はつかなかった。ワイマールとハノーヴァーの中間ぐらいの山地だろうと思った。今までに幾度も来たドイツだが、地理を私はまるで知らなかった。》
これは意外な発見である。先生は驚嘆すべき地理通として有名だからである。イタリア・フランスなど、行ったこともない土地でも既に居たかのようによく知っており、知人のガイドを何度もつとめた。
《この日から私に一年半の収容所生活がはじまった。そうしてそれまでとはちがった経験が私を待っていた。》
病人のつぶやきがてら、読者にはこの一年半をじっくり付きあってもらおう。
2.『薔薇窓』をお持ちでない読者のために収容所の基本状況の叙述を直接紹介する。
《収容所に入れられると、一分先には死ぬかもしれないという対峙的な緊張はなくなり、外の世界の自由がないだけで、あとは一応人間の生活に戻った。けれども自分の精神も神経も一旦平常に返ると、局部的な不幸が私の全存在への重圧となった。空腹である。寝ても覚めても空腹が私につきまとい、どうにも動きのとれぬ運命力のように、昨日が今日になり、今日が明日に延びても、平生なものの中にただ一つのものが連綿として異っており、それに接触している自分の中のごく一部分だけがまた異常に働き、その刺激を先のわからない辛抱力で持ち耐えているのである。何時になったら腹一杯食えるかわからぬじりじりした空腹の中で、明日になったところで金が入るかどうか当てのない日が際限もなく続いた昔の貧困時代とくらべて、私は考えていた。これは自分の体力や神経が全部的に歪曲していない場合に、環境がもたらす重圧を自分のある一部分で支えている例である。この不幸から恢癒する術(すべ)そのものははなはだ簡単なのである。金が入るか腹いっぱい食えれば済む。一年半の後にいよいよ収容所を出てフランス国境に着き、国境警察で親切に御馳走になった時には、あの長い間の悪夢をけろりと忘れてしまった。それからパリに帰り、あのように夢想していたパリ料理にありついた時にも、拍子ぬけがして何の感動もなかった。なるほど一年半の私にとっては、料理の方に問題があったのではなく、私の空腹に事件があったのである。これは冒険の際に自分を賭けた事件とは異質のものであった。なぜなら生命が保証されている平常態であったのだから。そうしてこれは生命よりも、生きることにとってのより切実でより不幸なことなのであった。
戦争は昨日終ったばかりで、ドイツは破壊されつくしており、なに一つなかった。占領軍が全力をあげても食糧の保証はできかねた。アメリカ軍はすべてを自国から持参した。収容されていた私たちもその給与食だった。入った当初は一日五、六百カロリー。それからようやく千七百カロリーにまで昇った。それでも外の自由な一般ドイツ民よりも多い割合で、近隣の村民から苦情がでた。二万数千人もいる収容所は自治制だったから、親分(ボス)が発生し、それが炊事係と闇取引をやるから、軍が出している割当も正直に私たちの口に入らなかった。しかし千七百カロリーでは栄養不良に陥っても、死ぬ心配はない。ただ激しい空腹の拷問に間断なくかけられている。これは世間の生活の中で、自分だけが貧に飢えていて、しかも死にきれない苦痛と同様である。死におびやかされるよりも、生きるための欲望に圧迫される方が痛切である。》
このように具体的記述が延々とつづく。
それにしても、民を思う国は絶対戦争を起し得ぬはずですよね。
3.現在、堀を埋めているのである。読者と共に〈本質〉を味わうに至るために。
《やがて私におもしろい現象が起こってきた。体力が低下しているためであろう。一日なにも働かないのに、夜十時に電灯が消されると、日頃不眠症の私も二十分ほどで眠りに陥ちた。ひじょうな安眠である。
そうして空腹そのものから幸福な夢が生れだす。
私は食道楽であった。各国のうまい物、フランス中パリ中のうまい物屋を知っていた。それに自分の腕を自慢していた。毛布を頭からひっかぶって、うとうととしている中に、私はおどろくべき美味求真の献立を作りだした。精細入念に料理の品数を吟味し、それから買いだしにでかけた。選択に厳密で、パリ一流の食料品屋ばかりでなく、全国をとび歩いた。鵞鳥肝臓(フォア・グラ)葡萄酒煮詰物はストラスブール物よりもぺリギュー物でなければならなかった。牡蠣(かき)は地中海(メディテラネー)産よりもアルモリケーヌを選んだ。腸詰きゃべつ酢煮合せ(シュクルート)は東駅前(ギアール・ド・レスト)のシュルツのものでなければならず、肉は屠殺場(アバトワール)近くのパンタン門(ポルト)まで求めに行った。料理に入ると更に繊細になった。同じビフテキでも「マキシム式」と「カフェ・ド・パリ式」ではちがいがあった。ソースもパリと南仏(ル・ミイディ)とブルゴーニュでは具合がちがった。私の好みは簡潔なロワール料理を選んだ。そうしてそのどれよりもうまく私はできた。臭覚が鋭くなっているから、焼きかげんや煮かげんを匂いですぐ判断できた。葡萄酒はせんを抜く前にコルクの匂いで年代を鑑別することができた。料理の皿に応じて酒の見立てがちがうが、私はやはりブルゴーニュの赤(ルージュ)を愛した。そうして私の頭の中には、「レキュ・ド・フランス」も「ラ・レエヌ・ぺドーク」も持っていないような豊富な酒蔵ができた。》
やはりこの人は怪物である。本領はこれからである。
4. 《豪贅な晩餐(スーぺ)をたべるのに、もちろん私は立派な館(やかた)を建てた。それは私の愛する南仏海岸(コート・ダジュール)であった。崖の上の平地(テラス)の松林の間から碧緑の海が見はるかされる。赤褐色の岩崖の小道を降りれば七色の礫利(じゃり)の敷きつめられた浜に出る。一木一石を吟味して豊かで簡素な家を私は設計した。調度も一つ一つがいわれのあるものであり、隅々までも私の趣味が行きとどいた「愛さずにはおれない」館であった。
この宝石のような館に私ひとりで棲んでいるのか、それとも美しい女と共にいるのか、私にはつきとめられなかった。もちろん忠実な下僕や女中はいるのであったが、それから先はぼやけていた。パリに残してきた伴侶はいかなる時も影のように私につきまとっているのであるが、それは分離してこの美わしき邸内で私の前に現れて来ない。〔・・・〕天空に打ち建てた私の楼閣の中では、私は想像を超える未知の天女を待っているのであろうか?〔・・・〕
自分で手がけた山海の珍味の湯気だつ香気がしびれるように私を包み、さていよいよ純白のナフキンを膝にかけ、太陽のしずくのようなブルゴーニュの赤酒を杯に満たし、純銀のしっとりと重いナイフ、フォークを手にとって、食べだすか食べないのかわからない中に、私は安眠しているのであった。夢の中までこの親密な晩餐は延長するらしいが、せっかく吟味して整えあげた料理を、喉に通した自覚は一度もなかった。実際の胃腑はがら空きなものだから、飽食満腹は夢の中でも遂に私を幸福にしてくれなかった。〔・・・〕》
ロマネスク(物語世界)は本来、具体的ディテールの描写がもつイマージュ喚起力にすべてをかける。観念は、事象感覚を媒介とせねば伝えられないのだ。続く〈本質〉呈示へこうして移行する。
《夜毎にくりかえすこの想像が私をたのしませると共に、それが実に鮮明で、ある力を持っているのにおどろくのであった。慰めが向うの方で私を待っていてくれるようである。そこには風景がもう出来上っており、私の魂の状態を示してくれる。紙も筆も持たないで設計した館の部屋部屋に入れば、秩序と趣味を以て整然とした調度が私を迎える。夢で創りあげた世界へ私の方が入ってゆく、私が居ても居なくても常に存在しているように。こうして私はバラックの電灯が消えるのを待つようになった。》
思い出すが、嘗て辻邦生氏はぼくに語った。「小説家がどうして自分も経験しない人間体験をみごとに描写できるかの秘密(トーマス・マンの「ブッデンブローク」の中での臨終体験の描写の迫真性への感嘆をぼくが口にしたことがきっかけだった)は、全部ぼくらの内にあるんだよ、不思議なことだけどね、ぼくらはそれを知ってるんだよ」と。
5.〈本質〉を呈示する前提としてどうしても具体的記述は力がある。目的あってのことなので、読者にはいましばらく先生のすばらしい描写に付き合ってもらいたい。
《空腹はさらに私を異常にした。収容所に入ってから二ヵ月ほどは猛烈な南京虫に悩まされた。撲滅する特別の液が届いて、バラックの土台から消毒するまでは、どんな大がかりな退治をしてもききめがなかった。電灯が消えると、上から降ってくる。攻撃目標を正確に知っており、かならず首筋から胸を襲う。ぞろぞろむずがゆくなって、手でたたくと、一度に三、四匹がつかまる。むし暑い夏を、毛布で体を厳重に包み、両手に手袋をはめて、手首を紐でしばり、頭に紙袋をかぶって首のところもしばり、潜水夫みたいにして防いでも、潜入してくる。とうとう降参して、あとは食われ放題にまかせた。そのために手足にひどい潰ようを起こし、病棟に入院して、安全かみそりの刃で外科手術まで受けた。こうして、うとうとしながら手は活動していて、間断なく首や胸を叩いている。南京虫は潰すと青臭い不愉快な臭いがする。それが、美しき館の中で珍しい料理を用意しながら、ひねりつぶすと、あるものはキャラメルの匂いがし、あるものはこくのある乾酪(フロマージュ)の香りがし、また遠い日本で昔子供の頃食べた餅菓子の風味がするのであった。
こういう状態には精神の緊張はまったくない。体質が要求する部分に接した面で、感覚が痛切に働いて、ある想像の力を生むのである。》
これから一気に哲学的反省の中に没入する。
6. 《そこで私は興味ある発見をした。まったく自由な想像も自分に未経験の果てしのない飛躍ではなく、過去が詳細に織りこまれており、むしろ厳密な事実のみから生れて、一つの世界をなしている。そこでは自分の過去が圏を作っているのである。無尽蔵の材料をもって調理できるべき私のご馳走も、かつて人間が食べなかったような天上の珍味はこしらえなかった。かならず私がどこかで食べ味ったものである。過去における、あるいは過去の意味を私たちに作るところの経験がなくては、想像は実質性を持たない。経験なしに想像は生れない。想像は経験の純化状態であろう。自我意識がまだたしかに生れない幼年時のあの美しい想像や夢にそれが見られる。短くはあるが、まだ反省意識の網を通らないがゆえに、純粋単純な経験があのように強く美しい想像を創る。子供の頃魔彩鏡(カレイドスコープ)をのぞいてみた多彩の夢など、未知への飛翔ではあるが、幼年のうぶな経過や血の中に潜んでいるであろう未生前の経験がどれほどに広大に拡がり得るものか、未来に予定される無限とも思える「範囲」あるいは「規定」を示しているのではないか? 大人になってから、なんでもないありふれたものから受ける印象が、子供の頃の単純強力な感動を呼び戻し、そこに郷愁的(ノスタルジック)なほとんど絶対な美を感じるのも、同じ現象であろう。》
テキストをそのまま全文紹介している。これはそうしなければならない。高田の他の著作文章の上にも繰り返しこのイデーの光は射しているであろう。いままでこの欄で述べ来たった内容もまたここから逆照されるかのように読者は既に感じておられよう。この己れを支払った人物のイデーの恩恵の前にしばし足を止められたい。
7.《また更におもしろいのは、この無際限に展開するかに見える想像の中に、「自分」が自ずと圏をなし、ある制約を持っていることである。私は自分の愛する南仏海岸に愛情にみちた家を建てた。そこで贅沢と趣味をつくした。けれども私はヴェルサイユ宮殿を決して建てなかったし、レンブラントの絵を十数点も壁に掛けなかったし、ミケランジェロの巨大な彫刻を廊下に据えもしなかった。途方もない空想の中でも私の理性が干渉して、「柄にない。これでは実感に遠く嘘になる」と遠慮したのだろうか? 理性が介入するのだとすれば、「どうせ空想だ。それでひもじい腹がくちくなるわけではなし、神様王様以上の想像をしたって損はしない」方に働くはずであろう。私が敢てヴェルサイユを建てず、レンブラントを十数点も欲ばらなかったのは、私の過去の集積がある運命力のようなものとなって、私の将来とか未知の世界に抛物線を描き、私のあらゆる可能性を予定規約する限界を作っているのであろう。これは、どこまで行っても「自分みずからが予定する」のではない「自分」が常に存在するからである。》
きみの魂は、魂自身の方で、きみを待っている。〈自分探しの空しさ〉が言われて久しいが、こんなみごとですばらしい気づきがぼくたちを待っていたんだね。ぼくがなにかつけたすことがあるかい。
8.わたしはいま先生の収容所での夢の経験とその反省の報告について掘り下げた考察をし得る状態にないが、既述の箇所に続く先生の文章を紹介しておこうと思う。
《私が現実からもらえるものは貧しい一塊りのパンと一さじの肉である。これを食べる時、しかし私はすこしも想像を働かしていない。もし一片の黒パンを食うのに、白パンにバターのついたトーストの香気を想像できるとすると、現実の黒パンと矛盾し不調和になり、私は現実に耐えられまい。私の空腹状態はこの貧しい現実に文句も不平も言えないほどさし迫っている。今日思いだしても、あの時の一片のパンは極楽の味がした。しかもそれとすこしも扞格(かんかく)することなしに、私の全存在の集積のおかげで、無際限の食道楽の世界を展開させていた。私は食道の形而上(ガストロノミーメタフィジック)を実感したようであるが、ここで現実と想像の関係が解ると思った。食欲のように体質に厳密に条件づけられている事柄では、まさに異常時にのみ現れるのであろうが、これほどに物質的条件あるいは数字〔数学?〕のように論理条件が大きい部分を占めていない領域、精神活動が主となる世界での「現実」と「形而上」との相関現象も同じであろう。》
わたしはポイントとなる「現実」「想像」「形而上(メタフィジック)」の語を色分けした。はじめ二回の「想像」は恣意的・無拘束的な意志的想像作用のことだと思う。そうして「形而上」という観念が出された後「現実と想像の関係」と言われた際の「想像」は、それとはあきらかに異なっていると思う。「形而上」と等価なのだ。「貧しい現実」に触発されながら、「私の全存在の集積」(記憶と経験の集積)の規定作用によって、恣意的意志とは独立なイマージュ(印象像)の世界を自己展開する、物質的実在的現実と精神的形而上次元との間に働く自律的想像作用であろう(これによって自己の本質の象徴としての夢が展開された)。つづく先生の文章でこの理解を検証しよう。
9.犀の如く一人林の中を歩め
《たしかに空腹に悩む私の「想像」の中では、異常なものが働き「力」になっていた。これがもしもっと「精神力」といわれる領域で熾烈になったならば、たとえば聖フランシスコのスティグマも可能であろう。けれども私の思考はそこから「奇蹟」や「神秘」には行かず、哲学的反省になっていた。なぜなら「真」に対する実感とか触知の問題が芸術感覚の領域に入り、「創造」とはなんであるかと考えてくる時、私の空腹と夢との間にあると同じ相関性があると思われたのである。》・・・
スティグマ(聖痕)の如き「奇蹟」現象は、「夢」の領域が「現実」に謂わば逆流して起こる、想念具現化であろう。芸術創造においては或る意味でこれと同じことが起こる。直観された純粋感覚の〈作品〉内での表現あるいは象徴的具象化である。その際、直観力は、或る喪失感と表裏であり、〈失われた時〉の非意志的想起(レミニサンス)を巡りこれを回復し留めようとする探求的行動が創造となる。理解を一歩一歩進めてゆこう。
10.・・・《感覚とか感動にある「直接性」「間接性」はいくら論理的に推定しても説明できない。しかもこれから「神秘」に行くまでにはまだ非常に広く深い思索の領域がある。芸術が思想(イデー)を持ちそれを示す。さらに進んで言えば、対象となる自然そのものが思想を持っている。》・・・
「神秘」ということで先生は〈神〉を純粋感覚したいのである。これは他の文章からもあきらかである。そしてここで言う「自然」の本性は注意を要する。既にプラトン的イデアの具体的象徴の性格を帯びる自然だからである。あの自立的「夢」の性格と奥行においてとらえられている自然である。この意味での自立性が、「対象となる自然そのもの」という言表において思念されている。すなわちそれは自立的イデー(思想)を、イデアを、具有しているものとして思念されているのである。
この意味における自然と芸術との関係を本質的に言い得ていると思われるゲーテの言葉を、シュタイナーの「新しい美学の父としてのゲーテ」(『芸術と美学』所収)から引用する:
「人間が創造した最高の自然の作品たる芸術作品は、真の自然の法則に従って生まれたものである。恣意的なもの、空想されたものはすべて崩壊する。だが、ここには必然があり、神がある」
11.・・・《あるいはまた、芸術家が作品によって思想を表現しようとする、とはたしかに言えるのであるが、そこの「現実」と「自分」と「思想」との間に、一片のパンと私の山海の珍味との間にあると同様の関係がある。これはひじょうに厳密な結(つな)がりを持っており、この緊密が正しく現れない時には、創作品や思想が概念に終るのであろう。私は「形而上」と「自分」の関係や「現実」と「象徴」の関係を理解するのに、私の経験が一指示となったことを感じた。これはゲーテの「原現象(ウルフェノメーン)」と「実感(エアレープニス)」と「詩(ポエジー)」の関係を意味するのであるが、私は自分の感得がベルグソンやプルーストの思想に近いことに気づいたのであった。》(以上『薔薇窓』第一部VIより)
プルーストおよび、プルーストが影響を受けたとされるベルクソンへの言及はよく解る。記憶・イマージュに物象的な独立性を認めたベルクソンの少し自然主義的ニュアンスを残した思想は、「私とは私の過去である」とするガブリエル・マルセルの形而上的思想にも、哲学的に純化されて継承されているとぼくは思う。先生の発想はひじょうにプルースト的・マルセル的だが、造形芸術家らしく更にゲーテの直観的自然思想にまで遡って自己の思想を照応させているのはさすがだと思う。「原現象」とは、直観され得るプラトン的イデア(形姿あるイデア)に近い、生命体の原型的原理であり、この点で、原理を直観されざるカント的純粋理念に求めたシラーと、眼の人ゲーテは衝突した。先生は、アラン・ジイドなどフランスのゲーテを讃仰する知性人たちと共に、ゲーテに近く、深い親和性を繰り返し告白している(「ゲーテがドイツに現れたのはドイツにとって奇蹟だ」とも言っている)。ここで「現実」「自分」「思想」とは、具体例の次元では「一片のパン」が「現実」、「私の」非意志的に想像する「山海の珍味」が「思想」、そのように想像させる神秘な経験の集積としての魂的(形而上的)「私」がここで言われている「自分」、に各々対応するのではないかと思う。芸術作品や思想が真実のものであるとは、「思想」が真の「自分」に迫り、かつ真の「自分」から生じて、そのことによって、この作用の触発媒体となっている「現実」がこの作用経験の「象徴」の如きものとなることであろう。つづいて言われる〈「形而上」と「自分」の関係〉〈「現実」と「象徴」の関係〉の理解とは、この、自己が形而上的自分に迫りゆき、乏しい現実が豊饒な形而上的真実を触知させる象徴へと転じるという、緊密な内的運動の会得であろう。ゲーテの「実感」(体験)はこの聖と貧とが表裏一体の真実経験であり、この経験の結晶的痕跡(レミニサンスの可能性としての「形」)が、作品としての「詩」の意味であろう。