渡良瀬川と利根川の合流に近い地点であり歴史的に洪水頻発地域であった(近年は見られない)。群馬、栃木、茨城、埼玉の県境が集まる地域でもある。環八→笹目橋→新大宮バイパス→国道16号→埼玉県道3号線などの下見だけで2時間ドライブ。

 

(カスリーン公園)

渡良瀬川河川敷(加須市砂原)。1947年のカスリーン台風(典型的な雨台風)により渡良瀬川の堤防がこのあたりで決壊した。霞んでいたが、赤城山、皇海山、男体山、女峰山、筑波山を展望。冬季あれば関東周辺の山は見えるのではないだろうか。なお、公園内に大きな駐車場とトイレがある。

 

 

決壊箇所

 

カスリーン台風は、関東の治水を考える上では現在でも欠かせない災害である。渡良瀬川の上流の桐生市・足利市での洪水、加須市での決壊、下流の東京都葛飾区などでの洪水など全流域において大被害をもたらした。ちなみに、筆者の通っていた高校はこの被害を受けたが復旧したのに十数年後に原因不明の火事で全焼した。

 

(三県境)

群馬県板倉町、栃木県栃木市、埼玉県加須市の境にある。三県境は数としてはかなりあるが、山または川にあり、平地での境は珍しい(たぶんここだけ?)。まあ、話題づくりに見てみるのはよいかも。

水田の脇に通路整備がされている。そこそこ人は来るが滞在時間が短い。

確か、奥が群馬、右手が栃木、手前が埼玉だったような気がする。

 

 

(渡良瀬遊水地)

足尾鉱毒事件の解決策として明治政府が強権的に作った日本最大の遊水地。約3,300㎡で羽田空港の2倍以上。平時は谷中湖と呼ばれる遊水地の一部の「池」に水をたたえるが、緊急時には堤防内の全部で貯水する仕組み。

整備されているゾーンは公園

放置されている箇所は背丈を超える草で埋もれている。野鳥、野生動物(イノシシ・たぬき)、虫の楽園。

 

(渡良瀬遊水地:旧谷中村の史跡ゾーン)

遊水地には、谷中村があったが、強制廃村、ただ同然の補償で強制移転の憂き目にあった。鉱毒事件の運動が盛んであったため政府による運動潰しだったらしい。なお、遊水地整備の目的について、公式には洪水防止だが、政府の本音は鉱毒の沈殿であったとされることが多い。洪水により鉱毒が周囲の水田に巻き散らかせることは大問題であり、政府の言い分も妥当性を有するように思うけど。

旧谷中村史跡ゾーンに向う。小さい虫がうるさい。誰もここまで来ない。

 

北関東では「雷電神社」はかなりメジャー。私が子供の頃は渡良瀬川の土手で走っていて落雷を受けて死ぬ人が数年に1回くらいはあったし、エアコンの室外機に落ちたり、火災の原因となる。夕立になると、激しい雷による停電がよく起きた。

 

もう草に覆われてしまい何もない。

共同墓地付近

 

私が高校までいた街は、足尾鉱毒事件の被害をうけたところである。高校の水道水は、渡良瀬川を水源としており、よく冗談で「鉱毒水」とかいって飲んでいた。小学校高学年から地域の歴史みたいな感じで学習するが、正直、足尾鉱毒事件は難しい。

「田中正造」「天皇直訴」「渡良瀬遊水地」の単語だけ覚えるが、ことの全体像が全く理解できない。明治時代にはじまる事件だが、1974年になってやっと公害発生源の古河鉱業との間で公害防止協定が締結され、実に100年を要している。しかし、まだ2011年大地震により下流で鉛が検出される事態も生じている。

 

ちなみに、古河の態度は、政府に泣きつき、仕方なく対処するだけという態度に見えてしまう(社史でもほぼ無視)。また、栃木県は、被害を受けた地域を持つ一方で古河は栃木県に立地する超優良企業であったため腰が引けていたことは指摘しておきたい。