世田谷区は、畑はあるのだが、「水田」ってあった?。頭を巡らせていると、そういうえば次大夫堀公園で干上がった状態の田んぼを見た気がした。今回も、荒玉水道道路を歩いていく。
寄り道で、例の国分寺崖線で擁壁倒壊していたところを見に行った。擁壁の再建は大変そうだ。
野川①
野川② 外環道路工事中
次大夫堀公園内①
② 田植えしたばかりの様子
「次大夫堀」とは六郷用水のこと。かつてこの公園内に流路があり1983年に再現。野川から引き込み、また野川に返している。
③ 緩やかだが棚田になっている
④逃げない鴨
⑤古民家
⑥屋内 陰影が印象的
1924年の地図で確認すると、この公園は、野川を頭にする緩やかな谷戸地形をなしていた。六郷用水はこの地形を利用していたのであろう。地図記号では、田であった。
喜多見(実は世田谷区)まで歩き小田急線で帰った。