(2021.4.3)
ホテルをチェックアウトしてまず向かったのは、前回の長崎では寄ることが出来なかった、平和公園。
路面電車の狭いホームで待ちながらも実は方向がよくわからず、お隣にいた女性に、『この路面電車って、長崎駅方面に行く電車ですか?』と、変な質問をしてしまいました
でもその女性、笑いもせずにこやかに平和公園への行き方を説明してくれ、とても嬉しかったですありがとうです!
車内から見た反対側の路面電車。
やはり路面電車といったらこの緑とクリーム色のツートンカラー

途中で出島も見えました

平和公園電停で下車。
線路を渡ってすぐに、
平和公園の入り口がありました〜。
ここもグラバー園みたいにエスカレーターがありました

結構高い所にあるのね〜。
途中からはお花が綺麗だったので階段で。
オオムラザクラもほぼ満開

途中、こちらのおじさまに呼び止められ、14歳の時に被爆した時のお話を伺いました。
話を聞き始めた途端涙が溢れてきて止まらなくなりました精神的に不安定だったのかな。自分でもビックリ。
『お水を上げていって。』との言葉に従い、献花にお水をかけさせて貰いました。
そのあとも振り返るとこのようにおじさまはお水を掛けていました。
当時どれだけの人が水を求めながら亡くなっていったのか考えると、居た堪れなくなりました。
長崎の平和公園といえばのこちらの平和祈念像。
この像については色々とあるようですね…。
折り鶴の塔。
折り鶴は広島の原爆記念公園にもたくさんありました。
この公園は、原爆投下前までは刑務所だったそうです。
そこに入っていた囚人の方々もほぼその時に亡くなられましたよね…。
原爆投下地点はここからすぐそこ。
ここにも後で行ってみました。
次に向かったのは、一度行ってみたかった、浦上天主堂です。
平和祈念像の横から階段を降りて行けるようになってました。
真ん中に見えるのが浦上天主堂。
天主堂の前は広い公園になっていて、子供たちがたくさん遊んでましたね

神様に見守られながら遊べるってなんか羨ましいな。
天主堂の横あたりに立つこちらの建物は、カトリック長崎大司教館。
1981年にローマ教皇のヨハネ・パウロ2世が来日した時に、こちらにお泊まりになったそうで、一昨年だったかな?フランシスコ教皇が来られたときももしかしたらここに泊まられたのかな?
川を渡っていきますが、その途中の崖に原爆によって崩れたと言う鐘楼がそのままの形で残されておりました。
こちらにひっそりと。
こちらが当時の写真。
本当にそのままですね

上から見た所。
このような当時のホンモノを見ると、原爆は夢のような大昔の話から一転して、急に身近に感じられます。
では浦上天主堂へ。
昭和20年に原爆により倒壊。浦上カトリック信徒12000人のうち、8500人が犠牲になりました

戦後生き残った信徒たちにより、木造の仮聖堂が建設され昭和34年に現在の聖堂が建立されました。
中を見学させてもらいました。
中は厳かな雰囲気で、両側に並んだ、青を基調としたステンドグラスがとても素晴らしく、しばしウットリ眺めておりました

心が弱った時にこういう場所で癒されたいと思いましたね。
40年前に来日された、ヨハネ・パウロ2世の胸像がありました。
ローマ法王といえばこのお方のイメージが強いですね。
という事で、平和公園と浦上天主堂でした!
続く。