スポーツ庁が「スポーツ嫌いを半減させる」という目標を立てたにも関わらず、逆にスポーツ嫌いが増えた話を書いた。当のスポーツ庁自身は分析も反省もしていないようだ。そこで何が間違っているのかを指摘したいと思ったのだが、この5年間にスポーツ庁が具体的に何をしたのかはよく分からなかった。

 

 

ただ、スポーツ庁がどんな考えでいるのかが分かるページは見つけた。5年も前の記事だが、ちょうど「半減」という目標を立てた時期のスポーツ庁長官の見解である。ここからスポーツ庁が何を考えているのかを推測し、間違いを指摘する。

 

 

今の幼児期以下の日本人は、好きか嫌いかは別にして「みんな運動をできるようにしてしまおう」と。好き嫌いにまで踏み込むつもりはないですが、とりあえず「運動ができる」という日本人が増えていった方がいいと思います。

 

・「スポーツ嫌いを半減」という目標は好き嫌いに踏み込んでいることにはならないのだろうか。

・「みんな運動をできるようにしてしまう」ために何をしたのか。結局、強制的に運動をさせたのではないか。「そもそも運動などしたくない」という人にまで。

・やらせれば全員が「運動ができるようになる」と思いこんでいるようだ。世の中には「やってもできない」人がいることは想定しないのか。やらせた結果、嫌いになるとは思わないのか。

・運動ができれば嫌いにはならない という理屈なのか? 根本的に間違っている。

 

間違っていることを示すために、いつものように「運動」を「数学」に置き換えてみる。

 

今の幼児期以下の日本人は、好きか嫌いかは別にして「みんな数学をできるようにしてしまおう」と。好き嫌いにまで踏み込むつもりはないですが、とりあえず「数学ができる」という日本人が増えていった方がいいと思います。

 

何だってできないよりはできたほうがいいだろうから、この文章は何を入れても一応成り立つ。しかし、好き嫌いの増減は別の問題だ。仮に「みんな数学をできるように」できたとして、数学嫌いが減るだろうか。できるようにするためには強制的に(数学嫌いにも)やらせることになるので、むしろ数学嫌いは増えると予想される。運動も同じことで、そもそものロジックがおかしいのだ。

 

 

運動ができればいつでも好きになる機会があると思います。運動嫌いで苦手だと、スポーツをやったこともない人も多いと思いますが、できるのであればちょっとしたことで、友だちとの付き合いや職場でスポーツをやってみるか、というようになってくるのではないでしょうか。

・運動ができるようにする という時点で運動嫌いが発生することは想定していないらしい。

・運動嫌いは運動ができないから嫌いなのであって、運動ができるようになれば(誰にとっても)楽しいと思っているらしい。頭がおかしいのではないか。できるか否かに関係なく、そもそも嫌いな人もいるのだが。

・スポーツ嫌いは「やってみるか」とはならない。多くは無理矢理やらされて運動嫌いになったのだから。

 

自分自身の意識とは別に、何かスポーツに触れるきっかけがたくさん出てくると思うのです。(スポーツは)やったらやったで、案外楽しかったりしますから。

 

文章がおかしいが、前後からすると先頭に「運動ができるようになれば」が抜けていると解釈するのが自然だろう。

・運動嫌いはわざわざスポーツに触れようとはしない。きっかけがあったとしても避ける。

・スポーツ嫌いはスポーツをやらされたとして、「案外楽しい」などとは思わない。嫌いなのだから。何を言っているのか意味不明だ。

 

すべてがこの調子で、スポーツ嫌いというものを全く理解していない。スポーツ庁が何かやればやるだけスポーツ嫌いが増えるのではないか。その証拠がこの5年でスポーツ嫌いが増加したという事実だ。

 

 

他にも、スポーツをしない人に対する偏見に満ちた発言があるので、取り上げておく。スポーツ庁がこのような意識でいることが、スポーツ振興を妨げていると言えよう。スポーツ庁長官は連続して元オリンピック選手のようだが、そのような人選をやめることが第一歩ではないか。

 

ただ、運動をしないことにより生活習慣病になるリスクは高まってしまいます。そういう時には、医療費として国民全体に多少自分がコストをかけてしまっていることになりますよね。昨今、国民医療費は右肩上がりなので、このまま上がり続けたらどうなのか、という危機感を日本人として持っていただきたいです。

 

なぜ、こんなに上から目線なのか。スポーツ好きのこのような尊大な態度がスポーツ嫌いを増やしているとは思わないのか。こういう事を言うなら、スポーツの振興の前にやるべきことが大量にあるだろう、タバコの撲滅とかアルコールの正しい摂取方法の啓蒙とか。少なくともスポーツ好きの喫煙者にこんなことを言われる理由はないと思う。

 

それから、スポーツをしない人は、スポーツに取り組まなくても、どういった形であれ将来的に健康な体を保ち、できるかぎり周囲の迷惑にならないように生きていければいいと思います。運動をしないまま生涯を送ると、なかなか難しいかと思いますが。

余計なお世話だ。スポーツをしないからと言って誰に迷惑をかけるというのか。健康でないことが周囲の迷惑だというのだろうか。だとすると、生まれながらに病気の人は周囲に迷惑をかけ続けている存在なのか?。スポーツをした結果、病気や障害になった人こそ、周囲の迷惑ではないのか?。好き好んで、やる必要性のないことをして病気や障害になったという意味で、迷惑度はかなり高いと思うが。(念のため書いておくが、「健康でない人は周囲の迷惑になる」は私の意見ではない)

 

前にも書いたが、スポーツは健康にいいという主張をするならば、スポーツ嫌いに対して無理矢理やらせるスポーツが(嫌なことをやらせるという精神的なマイナスも含めても)健康にいいのかどうかを調査してからにしてほしい。これを調べずに「スポーツは健康にいい」と言うのは、「(スポーツ好きが)好きなこと(=スポーツ)をするのは健康に良い」と言っているに等しく、スポーツ嫌いにとっては説得力がない。

 

 

文句だけでは生産的ではないので、私が考えるスポーツ嫌いを減らす施策を書いておく。念のため書いておくが、私は「スポーツ嫌いを減らす」という施策がそもそも間違っていると考えているので、以下を実行すべきだとは思っていない。あくまでも「スポーツ嫌いを減らす」が正しいと仮定したときの話だ。

 

・体育を必修科目から外す

・運動会の廃止(自由参加にするでも可)

・スポーツをしない/関わらない自由を尊重する

・スポーツは素晴らしいと吹聴しない

・スポーツは健康にいいと吹聴しない

・スポーツに税金を投入しない

 

どれもスポーツ庁の方向性とは逆だろう。要するに余計なことをするなということだ。もともと嫌いな人はどうしようもないと認め、強制したり余計なことを言って嫌いになる人が出ないようにする。やりたい人だけが勝手にやって、やりたくない人を誘ったりとか余計なことをしなければ、「スポーツ嫌い」は今よりは減るだろう。「スポーツに税金を投入しない」の行き着く先はスポーツ庁の廃止だと思われる。このように考えると、スポーツ庁の存在そのものがスポーツ嫌いを増やしていると言えるかもしれない。