◆ 「大神神社史」より ~7
【神体山信仰の考古学的背景 6】
なるべく早めに次回記事を…
そんなことを言ってたしりから
1ヶ月半以上が過ぎました。
もっと記事作りのペースを上げていきます!
第二章 三輪と陶邑
(執筆/佐々木幹雄氏)
■ はじめに
■ 陶邑
◎「三輪山」出土須恵器の特徴
本書が発行されたのは昭和五十年。以後50年の間に多くの考古学的成果が得られたこととは思いますが、本書のデータのままに記していくことにします。
大神神社宝物殿(収蔵庫)には多くの須恵器が出土しているようです。2020年の秋に一度見学はしていますが、その時は大神神社の神職による集団案内で、しかも最大の目的は「三ツ鳥居」の見学。須恵器については、そう言えばあったな…という程度。
本書発行当時は計65体の須恵器が収蔵されていたとのこと。先ずは出土地別のデータを。
*山ノ神遺跡 … 11体
*狭井神社鏡池東 … 7体
*大神神社二ノ鳥居 … 13体
*若宮社境内 … 8体
*(不明) … 1体
次に時代別のデータを。こちらは田辺昭三氏による陶邑出土須恵器の編年にて(前回の記事参照)。
*Ⅰ期(5世紀前半~6世紀前半) … 21%
*Ⅱ期(6世紀前半~7世紀前半) … 35%
*Ⅲ期(7世紀前半~後半) … 24%
*Ⅳ期(7世紀後半~8世紀末) … 0%
*Ⅴ期(9世紀初頭~10世紀) … 3%
*(不明) … 17%
*Ⅰ期 … 操業開始当初
*Ⅱ期 … 日本の総需要須恵器を独占的に生産
*Ⅲ期 … 須恵器生産の中心であるが、地方窯も出現
*Ⅳ期 … 生産量の減少と衰退
*Ⅴ期 … 衰退が一層進む
本書より(古書なのでお許し下さいませ)
◎「三輪山」出土須恵器の窯元は「陶邑」か
時期別割合や数値的傾向が、「三輪山」出土須恵器と「陶邑」の須恵器生産過程とで一致することが分かりました。そして記紀伝説に於いて「三輪山」と「陶邑」との交渉が記されます。それ以外にも窯元が「陶邑」である理由を挙げています。
*日本で「陶邑」だけが須恵器生産を行っていた時代のものが数点含まれる。
*地方窯が未発達の時代のものが多く出土している。
*「陶邑」古窯址出土須恵器と器形と類似するものが数点ある。
*これまで大和国内での須恵器窯址は未発見である。
本書発行以降から現在までの考古学的成果を含めたとしても、「三輪山」と「陶邑」との関係は揺らがないと考えます。
◎祭祀用須恵器
大神神社宝物殿に収蔵される須恵器65点(昭和五十年当時)は、すべて二次焼成を受けたことが明らかなものは1点も無いとのこと。
つまり須恵器が日常の炊事の煮炊きに使われていないこと、即ち祭祀・儀礼にのみ用いられたことを示します。献供・供膳用であったということ。
須恵器の出土場所が、祭祀遺構と思われる所からが多くを占めることからも理解できるとしています。
今回はここまで。
今回は客観的事実からそれをまとめたもの。出た答えは既に想定されていたことでした。
次回はなぜ「三輪山」から須恵器が出土するのか、非常に興味深い内容のものとなります。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。