◆ 火吹く人たちの神 ~25






今回より第三章へと進みます。

テーマはヤマトタケル。


この神の伝記ものを初めて読んだのは
確か小6の頃。

熱くて短い生涯
多くの方と同様にその悲劇を憐れんだものです。

以降、30年ほどの間は
この神に対するアウトラインは大して変わるものではなかったように思います。


今から20数年前。
この神に対しての基本的枠組みを変えさせられる「事件」が起こりました。

それが本書でした。





第一部 青銅の神々
第三章 最後のヤマトタケル


 ヤマトタケルを襲う伊吹山の神の祟り

およそ月に一回ほどのペースで遠征を行い、その地域のお社を一気に40~50社巡るというバカげたことを続けていますが…

たびたび本書を携えて巡る…ということをしております。

令和四年春に「伊吹山」を登拝し、美濃国を駆け巡った際も本書を携えていました。



「伊吹山」の神の祟り


近江国と美濃国の境に聳える「伊吹山」。そこでの遭難に始まり、「能褒野」で最期を迎えるヤマトタケルの最晩年ほど心を打たされる場面はない…と語る谷川健一氏。

はい!その通りでしょう。

足見田神社へはもう何度向かったことか。
杖衝坂を同じ気持ちで駆け上がって、血塚社を拝したりもしました。

加佐登神社の宮司から伺った話では、「伊吹山」から「能褒野」までを踏破し、あらゆる神社や史跡を訪ねた強者もおられるとか。

非実在説や、複数人の事蹟をヤマトタケルという一個の人格にまとめた…等々の説がありますが。

谷川健一氏は彼の英雄像の裏側に、意外な光景が広がっていると言います。


「伊吹山」山頂の日本武尊像




◎ヤマトタケルの足どり

ここでは「伊吹山」以降の足どりを、記紀から抽出した本書を元に。つまり孫引用的に。

「伊吹山」の神を侮ったかどで、ヤマトタケルは物凄い氷雨に悩まされます。峰には霧が立ち込め、谷は暗く、途絶えた道を探す方法も無い…。霧の中をさまよった挙げ句、強行突破してやっと山を降りる道を発見した…と紀にあります。


「伊吹山」の神は、

*記 … 牛のように大きい猪

*紀 … 大蛇


「源平盛衰記」には、この大蛇というのは胆吹大明神(イブキダイミョウジン)の法躰(ほったい)であるとのこと。スサノオが八岐大蛇を退治して得た剣をアマテラスに献上すると、大神は大変喜び、これは自分が天岩戸に閉じ籠った時、近江国の胆吹岳に落ちた剣に間違いない、…といった話を載せているようです。


紀によれば、その剣はヤマトタケルが持っていた草薙剣。「源平盛衰記」の記事もそうしたことを踏まえてのものと見られなくはない…としています。


日本武尊の足跡を落とし込んでみました。



◎剣と蛇

「草薙剣」と「八岐大蛇」のように、「剣」と「蛇」の関係に注目しています。
幕末の国学者であり歴史学者であった栗田寛氏は「栗里先生雑著」の中で、ヤマトタケルがまたいで通った大蛇は、伊福部神と同じ神であると記しています。

既に何度も記してきたように、伊福部神とは「常陸国風土記」逸文に見られる「伊福部岳」の神のこと。こちらが象徴される地ではなくたまたま山名が残っただけのことで、同様の類が全国各地で見られる神。

つまり「雷=蛇=剣」が成り立つと。

これについてはすべてがそうであるとは限らず、当ブログに於いては「そういった事例が多く見受けられる」に留めたいと思います。
明らかにそれに該当しないものも多く見受けられますので。

[近江国坂田郡] 磯崎神社
ご本殿の脇には巨大露出岩盤が座します。



◎伊吹の弥三郎

本書では「伊吹の弥三郎」の伝説をさらりと流していますが、そんな単純なものでもないので、簡単に触れておきます。

それこそ民俗学のど真ん中とも言える伝説であり、谷川健一氏にとっては、うんざりするほどの当たり前なことをなのでしょうか。
私にとっては当たり前ではないので、しばし滞留することにします。

少々長くはなりますが、ご覧頂けますとさいわいです。

━━「伊吹山」の神は、スサノオに退治された八岐大蛇が転生し神となったもの。その子孫は

代々「伊吹山」司祭者となった。弥三郎はその一人。鉄のような丈夫な身体と怪力を有し、容姿も美しかったという。

ところが酒好きで常に泥酔。「伊吹山」で野生の獣を生肉のまま食べ、無くなると人里に降りては家畜や商人を襲い奪い取っていたもよう。人々は弥三郎を鬼として恐れた。

大野木殿(オオノギ)という豪族の娘を妻とし、間もなく身籠る。恐れた大野木殿は先ず、弥三郎を豪勢に夜通しもてなし、暴飲暴食をさせて殺した。

そして33ヶ月も胎内に留まり生まれた子は、玉のような美しい子であった。ところが成長すると父の弥三郎のように怪力で狂暴になっていく。酒呑童子とも呼ばれる。大野木殿は殺そうとするが、母はこっそり「伊吹山」に捨て置いた。

子は「伊吹山」で逞しく成長するも、やがて鬼を従え乱暴狼藉をはたらくようになる。遂に「伊吹山」を追放され、酒呑童子として山々を転々。最後に「大江山」に行き着いた━━


資料により内容は大きく異なります。いくつかのソースより少々強引にまとめたものとご理解下さいませ。


なお資料により伊吹弥三郎は暴飲暴食で亡くなったのではなく、脇から刀で刺され亡くなったというものも。


さて本題に戻ります。



「伊吹山」(近江国側から)




◎伊吹弥三郎と鍛冶神との関連

伊吹弥三郎伝説は資料により大きく異なるとしました。中には弥三郎の身体が鉄のように丈夫というのではなく、全身を鉄で覆っていたというものも。「脇から刀で刺され…」というのはこの類いのもの。


このように全身が鉄で覆われていても、身体の一箇所だけがふつうの人間と同じ肉身であるために、そこを狙われて殺されるという話しは全国各地にあるとしています。

そしてその多くが鍛冶神と結び付いていることは見逃すことができないと。伊吹弥三郎の背後には、「伊吹山」の神が鍛冶神であったことが示唆されているとしています。




「伊吹山」の近江側の麓、「伊吹村金山」(現在の米原市伊吹の中のどこかは不明)付近には、露天掘りの岩鉄を採掘した跡があり、鉄滓やふいごの火口等を伴う古墳時代の製鉄所跡も発見されているとのこと。また伊吹神社(伊夫岐神社のことか)も祀られているとしています。


つまり「伊吹山」が、古代の金属製錬に従事していた伊福部氏の尊崇する山であり、そこに伊福部の神である雷=蛇神が祀られていたいうことに。猛風を与えてくれる「伊吹山」を伊福部氏は崇めていたとしています。


「伊吹山」を近江国側中腹より





今回はここまで。


伊吹弥三郎の伝説など
すっかり忘れてましたね…。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。