磯崎神社 (米原市磯)


近江国坂田郡
滋賀県米原市磯2484
(P有)

■祭神
日本武尊


琵琶湖東岸畔、米原市「磯」に鎮座する社。湖畔から一気に標高160mほどの石段を登った高台にご本殿が鎮まります。「磯山」と称されています。境内にはかつて虎が城が築かれていました。また彦根城は2㎞ほど南に。
◎巨大な露出岩盤が座しており、寄り添うようにご本殿が建てられています。岩盤そのものが御神体かと思われます。組み上げられた磐座ではないように見受けられます。
◎創建由緒等については社頭案内によると、「日本武尊が、伊吹の悪神を退治された時、足の傷がもとで気を失はれ、醒ヶ井の泉で正気になり、都への帰途、再び病つのりこの地で崩じられた。磯山に陵を築き葬る。聖武天皇の勅命により社を建立され磯崎大明神と称した」と。
◎「醒ヶ井」とは、北方を流れる「天野川」の中流域にある、現在は「居醒の清水」として親しまれているもの(現地未訪)。「伊吹山」を源流としています。なおこのすぐ下流で鈴鹿山脈北端を源流とする「丹生川」と合流します。
また同じく米原市の大清水に鎮座する泉神社も候補地の一つとされているようです(未参拝)。さらに「天野川」の上流で、こちらにも湧水があるとか。
◎記紀に記される日本武尊の進路に当地はありません。記では尾張→伊服岐(いぶき)の山→居寤清水(いさめのしみず)→当芸野(たぎの、美濃国、現在の岐阜県養老郡養老町)。紀では尾張→伊吹山→居醒泉→尾張→伊勢。
つまり「伊吹山」から一旦は近江国側へ下りかけたものの、反対側の美濃国または尾張国方面へ向かっています。
また社頭案内では当地に葬られたとしていますが、記紀には伊勢国鈴鹿郡の「能褒野」であると。ただし当社にこうした伝承があり、またご祭神として祀られていることを慮ると、やはり日本武尊は当地に来ていたという可能性を無視できないと思います。
◎その「天野川」を少し下った地には、息長氏のものとされる山津照神社山津照神社古墳があります。またさらに少し下ると、こちらも息長氏が奉斎したとされる日撫神社、そして息長氏の神奈備山であったと思われる「日撫山」があります。
◎息長氏と言えば「水」と「鉄」に深く関わったと考えている氏族。また日本武尊も「鉄」に深く関わっていたと考えています。「伊吹山の悪神に…」というのは、鉱毒にやられたものとする説が有力。「天野川」はもちろん「丹生川」にも、川名にその痕跡が残されています。
◎社前の琵琶湖の岸には烏帽子岩・弁慶岩が、また「磯山」山中には「弁慶岩」が座しています。



祓戸社のようです。


こちらも境内社。

ご本殿は真っ直ぐ登った先に。元々の参道は右手から登る方のようです。「虎が城跡」を通ります。

拝殿






ご本殿裏の後宮。



この辺りが虎が城跡のようです。