☆ 植木家墳墓 (伝蘇我馬子塚)



河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町太子
(「太子1536」と「1520」の間)
(P無し、近隣停め置き不可、「太子 和みの広場」から徒歩10分ほど)



蘇我馬子の墓と地元で伝承されている地。

蘇我氏の根拠地であった河内国石川郡、その郡内の「磯長郷(しなが、古代は科長郷とも)」。「二上山」の河内側西麓、最古の官道「竹内街道」沿いに位置します。

付近には蘇我氏と血縁関係のある敏達天皇陵用明天皇陵推古天皇陵孝徳天皇陵、さらに聖徳太子御廟と王陵が密集する地。

概要は石碑に立てられている通り。樹齢350年ほどの御神木と多層塔が設けられています。

古墳状の高まりも無ければ、石室等も無し。もちろん蘇我馬子の墓であるはずはありません。何らかの蘇我氏の伝承地だったのが、時代とともに誤って伝えられたのでしょうか。

馬子は紀の推古天皇三十三年(626年)夏五月二十日の条に、「大臣(馬子のこと)薨じる 仍りて桃原墓に葬る」とあります。
この「桃原」という場所が現在は確認できず不明。石舞台古墳で間違いなさそうな趨勢ですが。

案内板には当地が、「建久四年古図」に「妹子大臣塚」とあるとのこと。伝承墓は太子町山田の小野妹子墓。他全国各地に伝承墓はあるのですが。

一方「富田林市史」が引用する「聖徳太子伝歴備考」という書には、「桃原墓とは河内国石川の東条なり 太子の御廟の東南の方なり」とあります。

「東条」というのは、太子町山田の小野妹子墓の地であるようです。そちらは調査がなされていないため詳細は不明。馬子の墓であっても、妹子の墓であっても何ら不思議はない地ではあります。ただし長い方で15mの楕円形というのは、馬子の墓にはあまりに相応しくないかと思います。

「うまこ」と「いもこ」と間違えて伝わった可能性もあるかと…。

ちなみに当地は聖徳太子御廟より「東南東」。表記するとすれば「南」になるかと思います。


そうすると当伝承塚は、「うまこ」の墓でも「いもこ」の墓でもないように思うのですが。つまるところ、蘇我氏関連の何らかの伝承地ではないかと考えます。


古い集落内にあります。


当地にお住まいの方々は、蘇我氏のご子孫も多いのでしょうか。大事に扱っておられます。



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