◆ 「祝詞新講」 次田閏より 
(~1 序)





体調不良やその他大人の事情で、しばらく敬神活動が疎かになっていました。

その間に紹介記事を上げる神社のストックが、
とうとう枯渇してしまったのです…。

昨年のワクチン接種が原因で、二度の瀕死の重症に陥った時以来の危機に。


そこでこれを機に、新しいテーマを立ち上げることにしました。…性懲りもなく。

この「危機」を「好機」に変えようと思います。


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■ 「祝詞新講」著書の入手

年初より「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」のテーマ記事を8回に渡り上げていました。

その中で「延喜式」の「定例祭」のうちの、「龍田風神祭」「廣瀬大忌祭」の原文と読み下し文がどうしても必要であったため取り寄せたのが当書。
せっかくなので、この書を存分に活用しようと思います。

そもそも祝詞や祭祀に関してはけっこう無頓着でした。自身のレベルアップには欠かせないものと感じてはいたのですが。

完結させるまで10年程度はかかるかな。
生涯を終えるまでには何とか完結させたいと思います。


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■ 「祝詞新講」という書

まずこの書の説明から。

「祝詞新講」
*発行は昭和二年
*「古事記新講」に続いて発行

著者・次田閏(つぎた うるう)氏
*上代の国文学者、明治十七年生まれ
*「萬葉集新講」「古事記新講」など


考古学者や日本史学者ではなく国文学者がアプローチしたことに、大いに意義があると思っています。

つまり文章を読み解く能力は、考古学者や日本史学者よりも優れていると。もちろん日本古代史にも通じておられたようですが。

祝詞研究の先人である賀茂真淵などは、国学者、皇学者としての顔を持ちつつも、万葉集の研究など古代日本人の精神を研究したりも。

次田閏氏は真淵の後継者ではないかと
勝手に思っているのですが…


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■ 「祝詞」とは?

そもそも「祝詞」とは何だ?
これを再認識する必要があるかと。


「宣る(のる)詞(ことば)」と解されます。
そして「のりとごと」が略され「のりと」になったと見られています。

「宣る」
━━本来は、神や天皇が重大な事実を宣言する、またみだりに言うべきでないことを表明する意━━(デジタル大辞泉)

━━言霊信仰を背景にした語で、まじない・のろいの力をもった発言や、むやみに口に出すべきでない事柄を明かす発言、重要な意味をもった正式の発言などにいう━━(学研全訳古語辞典)

範囲は広がっており、分かったような分からんような感じに書かれてますが…

乱暴にまとめるなら、この場面においては「祭祀の詞」ということでいいのではないかと。
もちろん言霊信仰を背景にしているでしょうし、まじない・のろいの力を持たせた場合もあるでしょうし、
普段のおしゃべりとは正反対の重い意味を持たせたものということかと。





■「祝詞」の成立過程

いつ成立したかなど、どこにも示されているはずはなく、推定するしかありません。

現存する古典祝詞は「延喜式祝詞」。
延喜年間(901~923年)に勅命があり、延長五年(927年)に成立したもの。これは既に弘仁貞観(810~877年)の頃には成立していたものと見られています。

それ以前の太古より、神祭りにおいては何らかの詞が奏上されていたものと思われます。

記の国譲りの段において記される、「寿詞(ほぎごと)」である「鑽火詞(きりびことば)」が、文献に見える最初のもの。
また「天岩戸神話」にて天児屋根命が唱える「布刀詔戸言(ふとのりとごと)」も。


当書においては「延喜式祝詞」の写本「九条本」を、原文から次田閏氏による訳文、解説に至るまでが収められています。





今回はここまで。

次回は「緒言」。祝詞本体に至るのは第3回目からとなります。