◆ 「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」 
(~1 概要)




新たなテーマを立ち上げます!


せっかくの…またとなさそうな…
時間のある機会を生かしちょっと大がかりなテーマを。


多くの先達により研究されてきたテーマ。
私なんぞが語らずとも既に多くが語られています。書籍や論文を探せばいくらでも出てきます。

でもそれらはある程度の知見を備えた人たち向けのもの。浅く広くをモットーとしている私にできるのは、初心者向けに対してのお話くらい。


パワースポットなどという言葉は好みません。もしその意味で言えばこちらの風水神は、とてつもない神威を有する二神。残念ながらこの二社がそれに当てはまるという話は聞いたことがありません。

そんな言葉を好んで使う軽薄な輩たちにとっては少々難解な二神。敬遠されているのかもしれません。


このテーマにて、この偉大な二神に興味を持って頂ける方が出てくることを願い、分かりやすく紹介したいと思います。

普段よりも丁寧に紹介することを心がけます。

いつものように理解できない方を置き去りするような、ドS的なことはしません!
(言ったからには律儀に実行する人です!)



今回はさらっと概要を。



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「龍田の風神」とは龍田大社のこと。

大和国平群郡(現在の奈良県生駒郡三郷町)に鎮座します。大和国の西端、ひと山越えればすぐ河内国(大阪府)。


「廣瀬の大物忌神」とは廣瀬大社(廣瀬神社)のこと。

大和国廣瀬郡(現在の奈良県北葛城郡河合町)に鎮座します。大和盆地の真ん中より少し西側。


どちらも式内名神大社。
これは「延喜式神名帳」という延長五年(927年)にまとめられた、朝廷より祈年祭に幣帛(へいはく、=奉り物のこと)を受ける神社の一覧があり、「名神大社」はその最高社格。

また「二十二社」の「中七社」に列格。
これは国家の「重大事」「天変地異」の時などに、朝廷から特別の奉幣を受けた二十二箇所の神社のこと。

さらに旧社格は官弊大社。
これは明治に設けられた社格制度で、どちらも最高社格に列格しています。

現在は「別表神社」として、神社本庁により別格扱いがなされています。

つまるところ、あらゆる格付けで最高位であるということです。




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上述した「延喜式神名帳」というのは「延喜式」の中の巻九・十のこと。延喜の時代に編纂が始まり延長五年(927年)に完成。平安時代の中頃ですね。

「延喜式」とは「格式(きゃくしき)」の一つ。「格式」とは「律令」を補完する施行細則など。

「律令」とは国家の基本となる法典のこと。現在の日本国憲法とは成立ちが異なりますが、ざっくり言えばそういうレベルのもの。

* 「律令」→(補完)→「格式」

「格式」は「格」と「式」から成ります。
「三代格式」というのがあり、弘仁・貞観・延喜の三時代に編纂が始まっていますが、うち「延喜式」のみがほぼ完全な形で残っています。

「格」と「式」の違いはここでは直接関係無いので触れません。「律令」も「律」と「令」から成るのですが。知りたい方はWiki等で。

この「延喜式」が古代を研究する上で大変重要な資料源となっているのです。ちなみに「延喜格」は現存しません。



なぜ「延喜式」のことをくどくど説明したかというと…

巻1・2に「定例祭(四時祭)」というのが列記されていまして…これに両社に対して行われる祭が記されているからです。

「定例祭(四時祭)」というのは、四季にわたり定期に行われる宮廷の祭のこと。以下一覧を。

* 「祈年祭(としごひのまつり)」
* 「鎮花祭(はなしずめのまつりの)」
* 「神御衣祭(かむみそのまつり)」
* 「三枝祭(さいぐさのまつり)」
 「大忌祭(おおいみのまつり)」
 「風神祭(かぜのかみのまつり)」
* 「月次祭(つきなみのまつり)」
* 「道饗祭(みちあへのまつり)」
* 「鎮火祭(ひしずめのまつり)」
* 「神嘗祭(かんなめのまつり)」
* 「相嘗祭(あいにへのまつり)」
* 「新嘗祭(にいなめのまつり)」
* 「鎮魂祭(たましずめのまつり)」
* 「大嘗祭(おほにへのまつり)」

このうちを付けた
「大忌祭」 → 廣瀬大社(廣瀬神社)
「風神祭」 → 龍田大社
…に対して行われます。



新しく立ち上げた「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」というテーマは、この「大忌祭」と「風神祭」に関してのことをつらつらと書いていくものです。

次回よりその中身に触れていきます。



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この二社が国家にとってどれほど重要な社であったか、お分かり頂けましたでしょうか?

今回はそれさえクリアできていれば◎と思っています。



二社ともに奈良県の中では参拝者がかなり多い方です。ところが国家の位置付けと比べると、到底見合ったものとは言えず…。

奈良県民ですら知らない人が多い…。

この二社へ参るためだけに、わざわざ奈良まで足を運ぶ人があってもいいくらい。
ま~そんな方はほとんどいないでしょうね(大祭時は除いて)。



次回はなぜこれほどの社格を有する社であるのか、そのわけに触れたいと思います。




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