闘鶏野神社
(つげのじんじゃ)


摂津国島上郡
大阪府高槻市氷室町6-1-9
(境内西側に停め置きできそう、当日は「今城塚古墳公園」から2kmほど歩きました)

■祭神
天照皇大神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇 額田大中彦皇子 天児屋根命


「北摂山地」を構成する一山「阿武山」の麓、丘陵地に鎮座する社。参道は名神高速道路が横断し、架橋を越えての参拝となります。
◎創建年代は不詳。元は八幡大神宮と称されていたらしく、「氷室」地区の氏神であったと伝わります。西200mには八幡大神宮が鎮座(後ほど記事UP凍ます)。当社とは大いに関係すると想定されるものの、詳細は分からないとのこと。
◎社名「闘鶏野(つげの)」は額田大中彦皇子の「氷室」発見伝承に基づくものとされます。
紀の仁徳天皇六十二年の条に、「額田大中彦皇子 闘鶏(つげ)に猟したまふ 時に皇子山の上より望りて  野の中を膽たまふに物有り 其の形廬の如し 乃ち使者を遣はして視しむ 還り来て曰さく 窟(むろ)なりとまうす 因りて闘鶏稲置大山主を喚して 問ひて曰く其の野の中に有るは何の窨(地下室)か (額田大中彦皇子は)啓して曰く 氷室なり」とあります。
額田大中彦皇子は応神天皇皇子。「闘鶏」で猟りを行っていたところ気になる建物を見つけ、大山主命を呼び寄せて尋ねたところ「氷室」であると答えたというもの。
◎この「闘鶏」は大和国山邊郡の「都祁(つげ)」であろうとされ、氷室神社が鎮座、周辺には「氷室」跡が多数発見されています(→ 「復元氷室」記事・氷室神社の記事参照)。
ところが当地では発見されていません。また「延喜式」主水司(もいとりのつかさ)式にも摂津国に氷室があったとは記されていません。
ただし地名「氷室町」、隣の「土室町(はむろちょう)」などが残ることから、「氷室」が存在した可能性も。当社以南は開発され既に住宅等になっているため、存在したとしても発見は困難かと。また闘鶏(都介)氏が当地に拠点があったという伝承も無いようです。
◎これに対して社頭案内板には、━━闘鶏を「ツゲ」と読むのは、鶏鳴が神託を「告げる」ことに由来するという━━としています。
これはよく言われる説。天照大神の天岩戸神話に「常世の長鳴鳥」を集めたとあります。つまり鶏には太陽を復活させる霊力があり、鶏鳴はその復活を「告げる」合図であると解されます。
◎当社背後の丘陵上には「闘鶏山古墳」という前方後円墳が築かれています(現在は見学不可)。4世紀前半、全長86.4mの規模のもの。三角縁神獣鏡二面(京都府木津川市の椿井大塚山古墳出土と同形)などが発見されているようです。
また「阿武山」山中には藤原鎌足のものとされる「阿武山古墳」も。さらには真の継体天皇陵とされる今城塚古墳や治定墓である三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)なども。周辺一帯は「阿武山」を神奈備山と見立てた霊地とされていたのではないかとも考えています。


一の鳥居


参道は高架を渡ります。

下は名神高速道路。



「八幡宮」銘の石灯籠と旧狛犬。

三本杉の神紋。


かつては登拝できた「闘鶏山古墳」ですが、現在は高槻市により施錠され閉ざされています。

参道から高槻市街を。