☆ 繼體天皇 三嶋藍野陵 (太田茶臼山古墳)



摂津国島下郡
大阪府茨木市太田3丁目
(P有、駐車可能かどうかは不明、下部写真参照)



第26代継体天皇の治定墓。

全長226mの前方後円墳(全国第21位)。
周濠外側だけでなく、墳丘裾部で平成十四年に発掘調査が行われています。

円筒埴輪や形象埴輪が出土しており、製作年代は5世紀中葉であるとされます。ところが継体天皇は531年に崩御、100年近くズレがあるため事実上の治定間違いが判明しました。

真の継体天皇陵として有力視されるのが今城塚古墳。多くの点で継体天皇陵に相応しいとされ、こちらが事実上御陵に該当するとされています(詳細は → 今城塚古墳の記事にて)


こちらの太田茶臼山古墳が治定されてしまった理由と思われるものを上げておきます。

◎ 摂津国では最大規模の古墳であること。全長226mは今城塚古墳の190mを上回る。
◎ 幅30m前後の周濠を有する。「造出」はくびれ部左右ともに有する。
◎ 周囲に培塚を有する(摂津国唯一)。
◎ 「三嶋藍野陵」の「藍」が周辺一帯の地名であり、近くを流れる「安威川(あいがわ)」に地名が残されている。

まさに大王級のもの。継体天皇陵とするには申し分のないものと言えます。

「延喜式」諸陵寮には「島上郡」とあり、その他文献等資料にも「島上郡」と出ているようです。当地は「島下郡」ですが、本居宣長などは「島上郡」と「島下郡」の郡境が移動したとしています。これは太田茶臼山古墳が継体天皇陵であることに、まったく疑いを抱いていなかったからだと思います。

真の被葬者は誰なのか。これについては継体天皇の曾祖父である意富富杼王(オホホドノオオキミ)とする説が有力。

祖父は応神天皇、父は稚野毛二派皇子(ワカヌケフタマタノミコ、応神天皇第5子)、母は弟日売真若比売命(オトヒメマワカヒメノミコト、日本武尊の曾孫)。同母妹に忍坂大中姫(衣通姫の母)。

特に事績は伝わっていません。後に継体天皇を擁立したこと、息長氏系の血筋であること、日本武尊の血を引くことからも、相当な権力を有していたと想像されます。

問題はなぜこの地に葬られたのか。継体天皇は越前または近江を支配していましたし、また意富富杼王も同様。
強いて言えば継体天皇の即位前には、隣の枚方市に「樟葉宮」を営んでいた時代もありました。所縁がありそうなものと言えばその程度。稚野毛二派皇子または意富富杼王のいずれかの時代に、この地に所縁を持ったのであろうと思いますが、それに触れた資料はありません。


駐車場が有り車も停まっていましたが、域内整備作業のために停めていたもの。普段より開放しているかどうかは不明。




前方部を。住宅地の隙間から写させて頂きました。