氷室神社 (天理市福住町)


大和国山邊郡
奈良県天理市福住町1841
(P有)

■旧社格
郷社

■祭神
闘鶏稲置大山主命
大鷦鷯命
額田大中彦命


朝廷に氷を献上したことからの「氷室」を祀る希少な社。名阪国道 福住インターから北へ500mほど、天理市福住町の標高500mほどの山村地に鎮座しています。添上郡の氷室神社(春日大社 摂社)と区別するため、都祁氷室神社(つげひむろじんじゃ)と称されることも。
◎紀の仁徳天皇六十二年の条に、「額田大中彦皇子 闘鶏(つげ)に猟したまふ 時に皇子山の上より望りて  野の中を膽たまふに物有り 其の形廬の如し 乃ち使者を遣はして視しむ 還り来て曰さく 窟(むろ)なりとまうす 因りて闘鶏稲置大山主を喚して 問ひて曰く其の野の中に有るは何の窨(地下室)(額田大中彦皇子は)啓して曰く 氷室なり」とあります。
額田大中彦皇子は応神天皇皇子。「闘鶏」は都祁(都介、つげ)のこと。そこで猟りを行っていたところ気になる建物を見つけ、大山主命を呼び寄せて尋ねたところ「氷室」であると答えたというもの。
◎さらに皇子が詳細を尋ねると、「地面を掘り茅を葺きさらにすすきを敷き氷を置くと夏になっても解けない」「暑い月には水や酒に入れる」(大意)ものであると。皇子は持ち帰り天皇に献上、以降春分の日に氷が献上されたと続きます。
◎以上が正史に初めて登場する「氷室」であり、長屋王邸宅跡から発見された「都祁氷室」と記される木簡はこの「氷室」のこと。現在のところ、日本最古の「氷室」とされています。
ちなみに長屋王は牛乳を飲んでいたことが知られますが、夏はこの氷を入れて飲んでいた可能性も。
現在は周辺に多数「氷室」跡が発見されており(下部写真参照)、また復元施設「復元氷室」も設けられています。
◎闘鶏氏は神八耳井命を始祖とする多氏から派生した氏族。独特な「日祀り」を行う氏族として知られ、この闘鶏の地で半独立国家を築いていたとも言われます。朝鮮半島からの渡来系集団説とみるのが有力。
◎一方当社創建に関しては、(第19代)允恭天皇三年(414年)に大臣三田宿禰を奉じて氷室の霊を祀ったと「元要記」にあります。「元要記」は平安時代編纂とされていますが、実際は中世に成立したとも言われ偽書説も。この記述を信用するなら創建はこの時。
◎秋季例祭には背後の「氷室山」にある御旅所(氷室旧跡)まで神幸渡御が行われるようです。


*写真は2020年5月と2021年6月撮影のものとが混在しています。


駐車場は西方200mほどに。














美しい「鏡池」と境内社 厳島神社。

境内に置かれている資料。




「氷室跡」を示す境内設置資料。



こちらが「復元氷室」