☆ 復元氷室
大和国山邊郡
奈良県天理市福住町
(アクセス、駐車は下部写真参照)
紀の仁徳天皇六十二年の条に記される「氷室」。「長屋王邸跡」から発見された木簡にも「氷室」のことが記されます。それを復元した施設。
紀の記述に関しては、氷室神社の記事に詳細を記しているのでこちらでは割愛。リンクへ飛んで下さいませ。
町民が拵えたというこの施設。
かなりの出来映えらしく、いろいろなデータが得られているようです。ネット上から拾ったものに地理的要素(誰でもすぐ分かるレベル)等を付加して掲載しておきます。
◎立地
・標高は480mほどの高原地帯
・風通しが良く水捌けの良い山の北側尾根
◎建物
・高さ約3m
・地面に穴を掘り屋根を始め全面を茅で覆ったもの
◎データ
・3トンの氷を2月に搬入、取り出すのは7月「海の日」
・残量データ
2020年…残量515kg
2019年…残量1026kg
2000年…残量2100kg
その年の天候にも左右されるのでしょうが、地球温暖化の影響からか残量は相当量減っています。
半年近くを経過しても、古代だとほとんどが残っていたと思われます。
個人的にもっとも驚きを受けたのが「茅」の凄さ。これほどまでに保温性があるのかと。
茅葺き屋根の中で一時間程度は過ごしたことがあるものの、住んだりするのはもちろん寝泊まりも未経験。機会があれば体験したいものです。
なお「長屋王邸跡」から発見された木簡には、「都祁(つげ)」に深い穴を掘り氷に草を掛けて保存、馬で運ばせたなどと記されます。「草」は「茅」のこととされます。
当地から奈良の都までは15~20kmほど。当時だと半日ほどでしょうか。
宮中では酒に氷を浸して飲んでいたとありますが、果たしてどれほどの大きさにまで溶けて小さくなっていたものか…。
小学校の担任は
こ~~~んなに大きいものが(両手を大きく広げて)、こ~~~んなに小さくなった(手のひらを差し出して)と言っておられたのを鮮明に覚えています。
小学生相手だからといって
テキトーなことを言ってはダメですね~
大人になり古代史にうつつを抜かすおバカさんが、そこには混じっていました…。
紀や木簡などを見る限りは、手のひらまでには小さくなっていなかったようです。