☆椿井大塚山古墳


山城国相楽郡
京都府木津川市椿井三階・太平
(P有、下部写真参照)


■形状
前方後円墳
■全長
175m、後円部の直径110m(いずれも推定)
■築造時期
3世紀中葉すぎ(小林行雄氏は3世紀末とする)
■埋葬施設
竪穴式石室
■出土品
鏡36枚以上(三角縁神獣鏡32面、内行花紋鏡2面、方格規矩鏡1面、画文帯神獣鏡1面、資料によりもう少し多い場合も)
日本最古の刀子
鉄刀7本以上、鉄剣10数本以上、鉄矛7本以上
その他鉄製武具多数
■周辺の状況
木津川からほど近い丘陵を利用。近くに「舟戸」という地名も有。縄文時代から人が住み着き開けた地であったらしい。
前方部をJR線が分断している。
■被葬者
武埴安彦とする説もあるが、敗者の墳墓にしては大きすぎるという異論も。


32面もの三角縁神獣鏡が出土したことで考古学者を始め、古代史ファンなどが大いにざわついた古墳。

卑弥呼から下賜された鏡ではないかとも考えられる鏡、
下賜100枚と言われるなか、なんと32面も。

その後、黒塚古墳で33面発見されましたが。


元々円墳と考えられていたのが、
JR線を通すことになり円墳を避けて着工。

すると石室が現れ
それが前方後円墳の前方部分であると判明。

大急ぎで発掘調査が行われるものの、すでに
工事業者に遺跡や副葬品の破壊、さらに盗掘も行われてしまい少なくとも数枚の鏡は持ち出されたとも。

そしてそこには民家が建ち並ぶものの、そのまま国史に指定。
つまりその方々が住む家の下は古墳であったということ。

被葬者については当地の盟主であり、大和朝廷の支配下に組み込まれた際に下賜されたと考えられます。
息長氏の祖神が眠っているという指摘もあります。


前方部の一画に駐車場有。

右手が前方部の一画。
手前が円墳、奥が方墳。そして分断された線路。