船倉神社 (船倉弁天神社)


大和国高市郡
奈良県丹生谷字スハル1749
(アクセス、駐車、登拝は → こちらの記事にて)

■旧社格
村社

■祭神
市杵島姫


高市郡の南西端に位置する「丹生谷」、その東端の「弁天山」山頂近くに鎮座する社。標高は300mほど。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。社殿は江戸時代のものであるとのこと。往時は18ヶ村の郷社であったとのこと。
ネット上から得た情報によると、半壊した石灯籠には「寛延二年(1749年)十月薩摩組十八ケ村」の銘があると。また北へ二十余町(2km余り)の「鳥居山」にある石灯籠には「薩摩・森・吉備・松山・羽内・藤井・市尾・丹生谷・谷田・與楽・妙法寺・寺崎・越智・車木・兵庫・田井庄・薬水」の17ヶ村の銘があると。こちらの「鳥居」は当社のものであったと。
◎高所のしかも山頂に祀られる市杵島姫について、一説としてかつての「大和湖」の船着場であったとも。
「大和湖」はおよそ300万年前に出現した大和盆地の巨大湖。縄文時代にはおそらく当地付近は既に陸地になっていたと思われます。同じ御所市には「船路」という地名も残っていますが、こちらと当地とは同程度の標高。可能性としてはあるかと思います。
◎他に当地字名「スハル」は、「スバル(昴)」を由来とするものではないかというものも。つまり星神信仰があったのではないかと。
◎以下は個人的な思量として、丹生都比売の巡幸地だったのではないかという大胆な推測を。
丹生都比賣神社に伝わる「天野告門(あまののりと)」という平安時代の書に、丹生都比売は紀伊国伊都郡「奄太村石口(いわくち)」に降臨、次いで「川上水分ノ峯」に上り鎮まったと。これは丹生川上神社 中社に比定。
さらに下り「十市郡布々支丹生」「巨勢の丹生」「宇智郡布々支丹生」に順に忌杖を刺して鎮まったとあります。十市郡は明日香村入谷(にゅうだに)の大仁保神社、巨勢は高取町丹生谷の大仁保神社、宇智郡は丹生川神社にそれぞれ比定されています。
うち「巨勢の丹生」の大仁保神社は当社より西麓に鎮座し、小祠と石灯籠の残骸があるのみ。丹生都比売が「忌杖」を立てたというのは、当社地だったのではないかという可能性を考えています。そして現在の小祠は遷座されたものと。

丹生都比売は水神である罔象女神と習合されていきます。当社においては水神 市杵島姫命と習合したのかもしれません。


こちらは鳥居前の禊場といったところでしょうか。

辨天神社まであと「三丁」(300m余り)と刻まれています。


神像が安置されていますが、シルエットから修験者による信仰かと思われます。


すぐ側に立つ鳥居、ここからは本格的な山道。


社務所的なもの。

社務所的なものの向かいにご本殿への石段があります。