大瀧神社 (犬上郡多賀町)


近江国犬上郡
滋賀県犬上郡多賀町富之尾1585
(P有)

■旧社格
郷社

■祭神
高龗神
分水神


「犬上川」の中流域、「大蛇ヶ淵」と称される霊地の淵に鎮座する社。
◎創祀年代は不詳ながら、「淡海落穂艸」という書に「大瀧三社の御舘野の札所は大同二年坂上田村麿将軍の御領にて建立云々」とあるとのこと。「淡海落穂艸」は大正十四年(1925年)に出版された書。「大瀧三社」の意味するところは不明。大同二年は807年のこと。
◎坂上田村麿は征夷大将軍として、蝦夷征討を始め各地に派遣されています。ところが大同二年前後は派遣の記述がなく、また蝦夷征討も中止されていたため都の警固などを行っていたのではないかと思います。
◎江戸時代には「瀧之宮」と称されていたようです。社前の「大蛇ヶ淵」は現在でこそ剥き出しになった奇岩の合間を縫う渓谷美を見せていますが、これは上流にダムが造られ水量が減ったことによるもの。かつては迫力ある水瀑布であったとか。
太古より「水源の神」としての信仰が起こり、そこに高龗神・闇龗神・分水神が習合されたように考えます。
◎当地「犬上郡」について重要な関わりを持つのが犬上君。遣隋使や遣唐使で知られる犬上御田鍬が有名でしょうか。犬上郡の郡名はこの一族に由来すると考えられています。
紀の景行天皇五十一年の条には、日本武尊と両道入姫皇女(フタヂノイリヒメヒメミコ)との間に生まれた稲依別王を祖とすると。
ところが一方でアメノヒボコ神とともに渡来し、当地周辺を拠点としたという伝承もあります。北隣の坂田郡はアメノヒボコ神の裔である息長氏が拠点とした地。南北両隣に住み着いたとも考えられます。当社、それから同じ犬上郡の多賀大社ともに犬上君の祖神を祀った社とする説も。
「大蛇ヶ淵」には犬上君の祖神である稲依別王にまつわる伝承が残されています。
◎瑞垣内のご本殿両脇には、犬上神社(ご祭神 : 稲依別王)と大雷神社(ご祭神 : 大雷命・大山祇命 )が鎮座しているとのこと(瑞垣内であり未確認)
◎当社は多賀大社の末社または奥宮であるとされます。多賀大社から当社は5kmほど南方。伝承では多賀大社に鎮まる伊邪那岐大神は「杉坂峠」に天降り、その後峠を下り「芹川」に行宮を営んだとされます。この行宮が調宮神社(御旅所)であり、こちらも奥宮であると。
当社前を流れる「犬上川」とは、異なる流路で琵琶湖へ流れ込むため、当社が奥宮であるというのは末社に列した時に付されたものかもしれません。列した時期は、徳川家光公による再建が行われた時のことと考えられます。
そもそもは多賀大社が犬上郡きっての大社であり、東方の鈴鹿山脈の方まで一帯が神の宿る地として考えられていたという見方もできそうですが。