神祠 (小石丸首塚)


近江国犬上郡
滋賀県犬上郡多賀町富之尾1585
(大瀧神社P利用)


大瀧神社の社前の霊境「大蛇ヶ淵」を挟んだ対岸に鎮座する小祠。渡れなくはないのであろうと思いますが、基本的に大瀧神社境内からの遥拝になるかと思います。
また大瀧神社の参道入口の道路向かいには、「犬胴松」という史跡があります。
◎案内板には「(大蛇ヶ淵)には神代の昔に大蛇が棲んでいたといわれる龍淵がありました。大蛇は近辺住民に仇なす祟り神でしたが、稲依別王命と忠犬小石丸によってこの淵に鎮められました。この場所より対岸に目を向けると小さな祠が見えます。この祠が犬上神社に祭られている稲依別王命が小石丸の首を鎮めたといわれるところです。眼下の大蛇ヶ淵と、時に大奔流と化す川面を見守り鎮めているかのようです」とあります。
◎この稲依別王命と忠犬小石丸との説話については、「犬胴松」の案内に詳しく記されます。
「その昔、犬上式部二族の祖先といわれます稲依別王命は (中略) この渓谷の淵に人々を襲う大蛇がいることを聞き、退治しようと猟犬小石丸伴い、渓谷を探し続けました。七日七夜を過ぎ、仮眠していましたところ小石丸が吠えたてるので稲依別王命は怒り腰の剣で一刀のもとに愛犬の首をはねました。首は岩陰より稲依別王命に襲いかかろうとする大蛇の喉に咬みつき大蛇は淵に落ちて死にました。稲依別王命は大いに驚き、この愛犬忠死に深く感銘し、祠をたて、犬咬大明神として祭りました。こうして、稲依別王命を救った忠犬の霊を葬り犬胴塚とし、そこに松を植えたのが犬胴松です。(中略) 境内三社のうち」とあります。
◎この二つの説話を合わせると、対岸の小祠には小石丸の首が鎮められ、「犬胴塚」には胴から下が鎮められたということのようです。
これはあくまでも説話であり、「犬上」という地名への後世の附会かと思います。推測の域は出ないものの、この小祠あるいは「犬胴塚」は、稲依別王命による祭祀跡ではないかと思っています。
◎稲依別王命は紀の景行天皇五十一年の条に、日本武尊の御子とあります。ところがアメノヒボコ神とともに渡来したという伝承も。アメノヒボコ神に関わるということは、水神を奉斎していたようにも思います。
稲依別王命が日本武尊の御子であったとしても、アメノヒボコ神とともに渡来したのであったとしても、いずれも関心の対象は製鉄鍛冶。鉄を求めて当地へ進出して来たのではないかと考えています。




写真中央に微かに小祠が見えます。ちょうど御神木と案内板がある対岸。

以下は大瀧神社の参道入口の道路向かいの「犬胴松」。

磐座が座しています。