多賀大社


近江国犬上郡
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
(P有)

■延喜式神名帳
多何神社 二座 の比定社
[境内摂社 日向神社] 日向神社の比定社

■社格等
[旧社格] 官弊大社
[現在] 別表神社

■祭神
伊邪那岐大神
伊邪那美大神


伊邪那岐大神の終焉の地の候補地の一つとして知られる社。近江国一の屈指の大社。
◎創建時期は不詳。当社側は「神代の昔、国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神は高天の原からこの峠(杉坂峠)に天降られ」としています。この「杉坂峠」というのは当社東6kmほど、標高600mほどの山中。現在の多賀町「栗栖」や「杉」の辺り。
◎そこには「三本杉」という当社御神木があるとのこと(現地未確認)。「(この峠に天降られ)休息をなさった時に、土地の老人が粟の飯を献上した。大神はご機嫌麗しくお召し上がりになり、食後その杉箸を地面に刺したところ、その杉箸が根付き…」と。
◎その後峠を下り着いた「芹川」で行宮を営んだとされ、これが現在の調宮神社(後ほど記事UPします)。当社御旅所にもなっており御輿渡御があり、また当社奥宮または元宮とも。
この時伊邪那岐大神は「くるし(苦し)」と言ったとされ、それが転じて「栗栖」になったと。後世の附会でしょうが。
◎そして終に伊邪那岐大神は当地に。「日之少宮(ひのわかみや)」とも称されていると。「神社覈録」は「神書抄に曰く」として、「日之少宮は近江国犬上郡多賀大明神是也 近江は艮方に在り日の初めて出る所也 故に日之少宮と云ふ 出雲杵築宮(出雲大社のこと)は乾方に在り 故に日隅宮と云ふ」としています。
これは紀の「亦曰く 伊弉諾命尊天に登り(既に国生みを終えたことを)報告し 日之少宮に留まった」(大意)を受けてのもの。ただし直前に「幽宮(かくれのみや)を淡路之州に構えた」とあり、素直に解釈するのであれば、淡路国の伊弉諾神宮にあるとするか、或いは「天」にあるとするかのどちらかだろうと思います。
◎本居宣長は「古事記伝」において、文脈から日之少宮が天上にあるのは明白で、「神書抄」の艮方云々は非であるとしています。そして天上の日之少宮になぞらえて地上に建てたものと。
◎当地にて伊邪那岐大神の降臨神話が創作されたのでしょうが、少なくとも大神の何らかの痕跡や伝承があったのだろうと。それに基づき創建されたのが当社だと思います。
多くの古書が当社ご祭神を伊邪那岐大神としています。神名帳に見える二座のもう一座は伊邪那美大神なのでしょうが、これとは別に当社に伊邪那岐大神、胡宮神社に伊邪那美大神が鎮まるとする説が根強くあります。胡宮神社は当社南方1km足らずに鎮座する社。中世末頃より当社の末社であったが、寛政年中(1789~1791年)胡宮神社側が奥宮であると主張したと「多賀神社誌」にはあるようです。昭和八年の書であり、当社側からの記述であることを差し引く必要はあるかと思いますが。
胡宮神社の御神体山には「青龍山」山頂磐座が座しており、こちらを当社奥の院としていた時代もあったようです。
この一連の経緯については胡宮神社の記事にてもう少し詳しく触れます。

胡宮神社 奥宮(「青龍山」山頂磐座) 

日向神社(多賀大社 境内摂社)