日向神社 (多賀大社 境内摂社)
(ひむかじんじゃ)


近江国犬上郡
滋賀県犬上郡多賀町多賀604 (多賀大社境内)
(P有)

■延喜式神名帳
日向神社の比定社

■祭神
瓊々杵尊


多賀大社境内の西端、西参道入口すぐに鎮座する境内摂社。式内社 日向神社に宛てられています。摂社になったのは昭和九年のこと。
◎「多賀神社誌」によると、天平鎮護二年(766年)に神封二戸を寄せられたとあり、その頃には既に鎮座していたものとみられます。
◎ただしその時にどこに鎮座していたのかは不明。その後の記録も無く遷座があったのかどうかまでは分かりません。
多賀大社は「寛永の大造営」(1633~1638年)を行ったとされますが、当社も含まれているようです。遡ることができるのはここまで。またいつから末社となったのかも不明。
◎ご祭神は瓊々杵尊。ところがこれには異論が多く出されています。「神祇志料」が言うように、「延喜式内蔵寮式大神祭」の項に「日向王子弊料」とあり、これは大三輪神(大物主命)の御子神のこととされており、当社も多賀神(伊邪那岐命)の御子神のことであろうかと。
或いは「神名帳考証」などは、「大三輪神(大物主命)の御子神」そのものと捉え、天日方奇日方命ではないかとしています。これは大神神社の大変重要な摂社である神坐日向神社のご祭神でもあります。
◎仮にそうであるとするなら、かつては「青龍山」山頂の磐座にて祀られていたのを、麓の多賀大社境内に降ろしたのではないかという考え方ができそうです。その山頂に鎮座するのは胡宮神社 奥宮。巨大な磐座を御神体とし、磐前に小祠が設けられています。

神坐日向神社が現在は麓にあるものの、本来は「三輪山」山頂に鎮座していたはずの社。その「青龍山」山頂の磐座(御神体)は、現在でこそ龍宮などと言われ雨乞いの神となっているのでしょうが、本来は「多賀神(伊邪那岐命)の御子神」或いは天日方奇日方命が祀られていたという考え方ができるように思います。「神祇志料」や「神名帳考証」もそこまでは言及していませんが。
◎さらに言うなら、その場所で太陽祭祀を行っていたのではないか、つまり「日向王子」が天照大神を祀っていたのではないかという可能性もあるかと考えています。



手前が当社、奥は神明両宮。