豊原神社


伊勢国多気郡
三重県松阪市豊原町
(詳細住所不明、「豊原琵琶垣内」交差点から南東50mほど、鳥居は東向き)
(境内北側にP有り)

■延喜式神名帳
大櫛神社の論社

■祭神
大彦命(大櫛神社)
伊弉冊尊 速玉男命 事解尊(三熊野神社)
大歳命(穂卸神社)
天忍穂耳命(字中垣内 宇気比神社)
天忍穂耳命(字宮ノ腰 宇気比神社)


「櫛田川」の下流、西岸の田の中に鎮座する社。「伊勢街道」推定地からは南へ100mほど。「豊原」という地名から、肥沃で実り豊かな地であったように想像されます。
◎社頭案内板には以下のように記されます。
━━古くより豊原に鎮座されていた村社 大櫛神社 三熊野神社 穂卸神社 宇気比神社は明治四十一年二月十一日合祀令によりて現在の宮地山添町の飯野高宮神山神社に合社神遷された。その後明治大正昭和と歳月の流れる中 昭和二十九年三月氏子の熱願漸くか成つて元宇気比神社 宮地字宮ノ腰に新社殿が建立され 神山神社から五社をご遷座申しあげこゝに豊原神社の創立をみたのである━━(適宜スペース付加)
元伊勢「飯野ノ高宮」とされる飯野高宮神山神社は、明治期に計23社を合祀したとされています。昭和期には21社が分祀されています。当社はそのうちの5社の合祀分祀がなされたようです(宇気比神社は2社)
◎案内板は続けて、
━━説によれば大櫛神社は多気飯野両郡に鎮座される延喜式内社五十六座の一にして 人皇六十代醍醐天皇の御宇神籍に列ねられ 櫛田郷に奉斎された (中略) 祭神は大彦命にして人皇八代孝元天皇の御子であると伝えられている━━と。
◎要約するとかつての大櫛神社は式内比定社であるということ。当社は多気郡ですが、合祀先の飯野高宮神山神社は飯野郡に鎮座しています。「両郡に鎮座される延喜式内社五十六座」としたのはこのためと思われます。
◎旧社地は「櫛田」交差点から東へ50m辺り、現在の豊養稲荷神社が鎮座する周辺という説も。
そちらは当社から東方500m程度。「伊勢街道」推定地に面しています。なお大櫛神社の創建由緒については伝わっていないようです。
◎ご祭神の大彦命は表記の通り第8代孝元天皇の御子であり、第10代崇神天皇の御宇に「四道将軍」として北陸へ派遣されています。
経由地は不明ながら、大和国宇陀郡から伊賀国にかけて痕跡が多く残されています。一般的に考えて伊賀国から北上して、近江国東部(琵琶湖の東側)を通り越国へ向かうと、円滑に進軍できるかと思うのですが。







奥がご本殿で、手前は境内社。

境内社のご本殿。

伊勢地方ではお馴染みの、村内の山神をすべて遷座させたもの。