☆ 狐井稲荷古墳
(きついいなりこふん)


大和国葛下郡
奈良県香芝市狐井
(「狐井580」の杵築神社の北側背後)
(P無し、狐井城山古墳と合わせて見学しました)



全長70mほどの前方後円墳、狐井城山古墳の北方100m足らずに築かれています。

昨年末(2020年11月)に巨大な子持勾玉が出土したことが発表され、大いに話題となった古墳。

長さ13cm幅10cm。
全国でおよそ450の出土事例があるなかで、最大の体積であるとのこと。

プレスでは「大王の古墳築造を担った集団が喪葬儀礼に用いたと考えられる。全国で見つかる子持勾玉の元の形に近い」とのこと。

河内国土師ノ里で発見されている子持勾玉と酷似しているようです。おそらく土師氏が関わったものと推されます。祖神である野見宿禰 が角力(相撲の原型のようなもの)に勝ち、与えられた領地の伝承地「腰折田」は南西1km足らず。

子持勾玉が喪葬儀礼に用いられていたという説を裏付けることができそうです。

築造は5世紀後半頃と推定。

民有地であるため発掘調査等はなされていません。子持勾玉も土地所有者が2011年に発見したものの個人蔵とし、2020年8月に二上博物館に寄贈されたことで発表に至ったようです。

したがって全長、築造時期は推定の範囲。

5世紀後半は第21代雄略天皇から清寧・顕宗・仁賢天皇辺りになるでしょうか。清寧天皇の後に飯豊天皇があったとする説が有力ですが。

なお当古墳は仁賢天皇の次代、第25代「武烈天皇 傍丘磐坏丘北陵」の比定説があります(治定墓は → こちら)。


西側より。冒頭写真は万徳寺の境内にある墓地にお邪魔して撮影したもの。杵築神社ご本殿の背後にあります。

所有者が登るために拵えた通路でしょうか。



こちらは杵築神社